日記 2023 年 10 月 21 日

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日記

履歴書や紹介ページも書き直しました。内容はほぼ同じですが、よりきれいな英語でリライトしました。人と会うことも多くなってきたので、アップデートしておきました。

履歴書に詳しい遍歴を書いている理由を書きます。

いつも書いていることですが、私が大学院に行ってわかったことの 1 つに、研究者というものは、通常、若い時期に得た道具を、定年退職まで再使用し続けるものだ、ということが挙げられます。ごく一部の例外だけが、自分の専門のフルモデルチェンジを実行します。その結果、特に若い頃の研究者の専門は、先達の誰かの専門と一致します。ゆえに、研究者の専門は、一言で言い表すことができます。そのことは、一概に悪い伝統であるとは言えないし、言うつもりもありません。

私の場合は、不幸なことにこれに当てはまりません。今のところ公開できていて、他者からレビュー済みの業績に限っても、楕円形偏微分方程式、変分法、計算幾何学、交通解析、鍵管理方式、暗号を用いた投票システム、が挙げられます。そして、私が事故で死んだりしない限り、今後これらに新しいものが加わることも確定しています。

その上で、こう考えてみます。仮に私が大学に就職するとして、私がやりたい研究をやれる研究科はどこでしょうか。あるはずもなく、どこにもありません。昔、指導教員が「コンピュータが使えるってことは、アピールポイントになるんだ。電子メールの設定とか、してくれるってことだから」と言っていました。あのときの指導教員にどのくらい悪意があったのかはわかりませんが、私の研究業績の 8 割くらいは、数学専攻の教員が「採点」すると 0 点であるのだと言いたかったのでしょう。私の専門は、誰がどう見ても、そして未だに、数学です。しかし、私が数学の教員になるということは、労力の 8 割を捨てることだといえます。

数学ですら、こういうわけですから、アカデミアのどこにも、適切な就職先はありません。したがって、無言で業績を並べれば、専門家がそれを評価してくださるということは、私の場合は、ありえません。ですから、自分で説明するしかありません。これが、完全な履歴書を書いておく理由です。

そもそも、履歴書というのは、全く会ったことのない人に、自分の経歴や業績を説明するものです。上述の理由で、業績を調べにくいなら、それを本人がまとめて説明することは、そんなにおかしいことでしょうか。逆に、本人は口を閉じていて、ベテランの教員が書いた強い推薦状が候補者の人生を左右するという方が、奇妙な風習だとも思えます。

幸いにして、履歴書は好評です。大学院を修了したあとは、研究を続けるつもりはなく、人生に見切りをつけ、プログラマーとして生きていこうと思っていました。ところが、オファーをくださった企業は、全て、研究に専念するポジションを提示してくださいました。結果、私は正社員として働いた全てのポジションで、研究開発をしています。特に今の所属では、私が自分で考えたことを自分で好きなだけやっています。民間企業は、私に研究をやめさせてはくれませんでした。この事実が、全ての「答え」なのではないでしょうか。