2025 年 2 月 8 日
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2 月はいろいろな方のお陰で予定よりも仕事が減っているので、他にも書いてみる。
各人の働く理由
働く理由は皆それぞれということを、最近実感している。
職場を去った方のことを思い出す。その方は、まずご家族のために働いていた。家族のことを大事に考えているような選択をなさっていた。次に、お客様のために働いていた。過去に担当したお客様について、楽しそうに話していた。これらが、その方の働く理由だったろうと推測できる。
ある人は、自分の子供のために働いている。自分の職業にもこだわりがないという。これも素晴らしい働く理由だと思う。
私の場合は、恩返しのために働いている。自分の無意味な人生に、会社は老齢までの道筋をつけてくださった。金融業界は激震地ではあるものの、落ち着いた研究環境を提供してくださっている。私のような人間に、そこまでしてくださるかと。その恩返しに、会社を大きくするために研究開発をしている。
私の働く理由の “原典”
では、どうしてこのような理由で私は働いているか。
大学院修了時に、同業他社の管理職の方と面接をした。結果だけまず書くと、面接は不合格であった。 4 月は近すぎて、来年でないと採用できないという話をされた。
当時の私は、今とほとんど変わらない、どうしようないやつであった。面談の終了の間際、その私に、その方が、言ってくださった。
会社を稼がせるというゲームをしていると思いなさい。
高橋さんが個人としてお金に興味がないのは、構わない。しかし会社にとっては、存在意義だ。だから、会社を大きくするというゲームをしていると思いなさい。
私は、この言葉を金言として大事にしている。他の要素も付け加え美化し同じことを述べたのが、上の「恩返し」である。
私が金融業界に信頼を置いているのは、こういうところである。周りに回って、私はその 1 年半後に同業他社にいるのだから、人生というのは予想がつかない。私の仕事はフロントではなく研究開発だが、だからこそこの言葉は光り輝く。
どこかに書いておいて見返す
働く理由をどこかに書いておくのは、大事だと思う。それを見返すのは、定義に戻るようなものである。
ビジネスのステージが進んでいくと、当初は思い至らなかったような状況になる。その上、時代の潮流があり、他社の動向があり、各国の政策がある。ほんの 1, 2 年前の正解は突然不正解になるので、新しい考え方についていかねばならない。一寸先は、神のみぞ知る。無風でいられない。
こうなると、各人が、どうして働いていたかを忘れてしまいがちになる。だから原点に立ち返るのは大事である。
当初の働く理由と比較して、働く理由がずれていること自体は、おかしいことではない。日進月歩であるからだ。特に、通常の人生では、 20 代から 30 代にかけて、家族構成やキャッシュフローが複雑になる。子どもの成長と親の介護等のため、引っ越しも経験する。変化は自然なことである。
しかし、現在地点と原点との距離を測るのは大事である。思わぬ誤差、ふさわしくない変化がある場合は、修正を要する。ゆえに、働く理由の定期メンテナンスを行うべきである。
間違いを犯さないために
大事だと書いているその大本の理由は、各人の働く理由と矛盾するような行動をしてはいけないからである。本人自身もそうだし、本人以外もそうである。人間、無理は続かないから、崩壊してしまう、または、破壊してしまう。
特に、私の経験では、組織が黒字化に向けて行動するという段階になると、強いプレッシャーがマネジメント層にかかるものである。動じず立派な対応を取れる方もいるが、そういうのはごく一部である。通常の人は、お金に対して正しい判断をし続けることができないからだ。
だからこそ、なんのために、というのを忘れてはいけない。他人の働く理由は、通常、自分のものとは異なる。会社のパーパスの方を向くだけではなく、人の方も向くのが、間違いを犯さないための心構えであるように、思えている。