3 月は、有給休暇がたくさんあります。平日昼間からゲームをやっていても、不思議に思わないでくださいますとありがたいです。
3 月 7 日は、「今日も三月なのか〜」の日でした。最近『崩壊:スターレイル』にはまっています。私の周りの人は、私が花火ちゃん大好きだと思っているようですが、べつにそこまでではないように思います。ベタですが、スターレイルでは、星ちゃん、なのかちゃんが好きです。
『FINAL FANTASY VII REBIRTH』も順調にやっています。『Fate/Grand Order』もあいかわらずやっていますが、第 2 部は、そろそろきれいに完結してほしいという気持ちもあります。
花粉症がひどく、かつ、最近アニメをあまりにも見ていないので、今年は AnimeJapan 2024 はいかないことにしました。周りの人が、休みの日は好きなだけゲームをやって良いというので、できるだけゲームの時間を確保しています。 2024 年度は、ゲーム系のイベントには参加したいところです。
重要なことを書くときは、読みにくく書くようにしています。今回も、読みにくいように書きます。
今、私は、困っていることがあります。私が抱えている研究課題が、私の労力に対して、何倍もあるということです。
それが具体的に何であるのかは、ここにはもちろん一切書けません。しかし、その分量を申し上げると、私がこなせる 280% - 300% くらいの量が積み上がっています。
私がやりたくて、組織にとって有望な研究課題がありすぎて、困っています。
所属先は「それを全部こなせ」などというはずもなく、「無理しないペースで」と言ってくださっています。しかし、 300% のうちの 100% くらいしかこなせないのでは、 200% を無意味に捨てていることになります。他社や学校から研究成果が出たり、時代が移り変わったりして、いわば「賞味期限切れ」になるものもあります。不戦敗のようなものです。ですから、私がやりたくてもやれない 200% のほうも活用したいと、希望しています。
私を手伝ってくださる方もいます。ありがたいことです。私がサーベイをする時間は削れています。しかし、ある程度の深みにまで立ち入ると、大学院レベルの内容が必要になってきます。そういうことは、私がやるしかない状況になっています。
上席者の強力な計らいにより、私はいろいろな仕事から解放されています。しかしながら、このタイプの効率化も、限界に達しているというのが、正直な実感です。もちろん私が自分のやる仕事を増やしたところで、 300% は消化できるわけもありません。
この日記に、「自分なら 200% を消化する力になれる」とか「自分は同じくらい、いや、もっと研究ができる」という人がいらっしゃればよいな、と、書いてみたくなりました。
しかし、今まで一度もそのように書いてこなかったことには、理由があります。それは、難易度が高いからです。いつものように遠慮のない言い方をするならば、学校でどれほど成功した人でも、私の仕事をする場合、必ずしも成功するとは限らないからです。
この点について、正直な思いを書いてみたいと思います。
私が抱える研究課題は、どこかで、数学が必要になります。上述のように、たいてい、大学院レベルになります。数学というのは、過去の天才たちが自力では届かなかった対象を、基礎事項として使いこなせなければならない学問です。ある程度時間かけて修行する必要があります。私も、研究の初歩の段階では、長い時間をかけて勉強しています。大学院レベルと書いた場合、基本事項の使いこなしができるのは、たいてい、大学院を出た人ということになります。
ところが、数学の大学院は、その実態は、大学教員を輩出することを目的とした学校です。そこで磨かれるのは、指導教員の先生と近い分野の専門性と、学校社会でうまくやっていくための人間関係です。極端な話、この 2 つがしっかりしていれば、前者を業績と強力な推薦状で主張し、後者でポストを獲得すれば「アガリ」ということになります。また、業績は自力で出す必要もありません。数学の大学院とは、そういうルールのゲームをプレイする場所です。
この 2 つを磨いてきた人が、私と同じ仕事をするとき、果たしてうまくやれるでしょうか。少なくとも、異なる能力が必要になるとは言えます。ですから、必ずしも成功するとは言えないことになります。
まず、自力で数学をやれることが必要です。大学院時代の専門と全く異なる分野も、自力で大学院レベルに達する必要があります。一応、就職直後には、たまたま大学院時代の専門とフィットすることができる可能性はあります。しかしこれは、必ず、いつか終わります。なぜなら、社会が進化していくからです。民間企業は、稼ぐために、社会の進化についていく必要があります。ゆえに事業の内容も変化していきます。就職後に 40 年近く研究し続けることを鑑みると、上述のようにたまたまフィットした大学院時代の専門分野は、必ず古びます。だから、そのフィット感だけを見たところで、意味がありません。そして、未来には、過去には存在しなかったものを、研究対象とすることになります。そこで役に立つのは、特定の分野が極められたという過去の実績ではなく、自力で数学をやれるという未来に向けた能力だけです。
次に、数学以外のことも、ある程度、やれることが必要です。何が必要なのかは、ポジションの性質に依存するでしょう。私の場合は、計算機とファイナンスが重要です。人によっては物理学や化学や生命科学や経済学が重要かもしれません。なお、私が一番重要だと思うことは、諸規則を理解することです。諸規則にしたがっていないものは、始めることすらできないからです。このようなことを、興味をもって地道にやれることも、また、重要なことです。
もちろん、数学の大学院を出た人にとっては、これらの分野は専門分野ではありません。ゆえに、詳しい人に頼ることは許容されるでしょう。しかし、その人たちから信頼を得るためには、自分自身に素養が必要だと、私は考えています。例えば、「自分は数学をやる人です。プログラムを書くのは自分の仕事ではありません」ということは、偉い先生から学生に至るまで、学校で見てきました。しかし、その人はエンジニアの方々からの心からの協力が得られるでしょうか。私の場合、プログラマーとしての能力はたかが知れています。しかし、自分でいくらかプログラムを書いたことがあり、実績もあります。ですから、大幅に外したことは言わないのではないかという信頼が、エンジニアの方々から得られています。こういうのが大事です。
余談ですが、学校の世界で持て囃されている応用研究では、実は全然、応用のことを考えられていないということも多く見受けられます。実際に稼ぐことを考えた場合、業界の人から見たときに非常に初歩的な部分でアウト判定を食らうということも、少なくありません。これは、諸規則を学ぶことが重要だと上述した理由の 1 つです。また、そういう立派なしかし初歩で終わっている研究を見ると、自分の食い扶持があると思えるので、実はその都度私は安心しています。
数学も、数学以外も、重要ですと書きました。しかし、これだけでは、まだ足りません。それは、稼ぐことへの強いこだわりです。研究をすることで、会社を稼がせる必要があります。これができるかどうかは、本人次第です。
数学の場合は、数学をやってきたという実績で、予想することができます。数学以外のことも、座学を中心にできますので、過去の勉強の成功や、現在の趣向などを調べれば、予想することができます。しかし、稼ぐことはどうでしょう。稼ぐことは、教えることもできないし、学ぶこともできません。過去の成功は、未来の成功を予言しません。なぜなら、社会が進化していき、稼ぐ方法も変化していくからです。ほんの数年前の成功例は、現在では適用できなくなっています。稼ぐということを「正解」と表現するならば、その正解が絶えず変化することになります。過去問や演習問題がある世界とは、正反対の世界ですし、先人が道筋をある程度引くことができるアカデミアの研究の世界とも、性質を異にします。稼ぐ、とは、誰も至ったことのない正解を、最初につかむということです。その前提として、やり方を自分で考え行動し、たくさんの失敗と反省をする必要があります。つまり、だいぶアカデミアからは遠い行動が求められます。
あまりこういう言い方をしたくはないのですが、稼ぐには、一種の「適性」が必要です。努力をすれば稼げるわけではないことは、誰もが認めるであろうところです。そしてその適性は、上述の大学院で磨かれる能力とは全く無関係です。当たり前のことです。大学院は、営利企業ではありませんから。
稼ぐ能力を見抜けるのは、私ではないでしょう。私は稼ぐ研究を立案・実行できているかもしれません。まだまだ不十分だと自覚していますが。しかし、稼ぐことのプロではありません。おそらく、私の上席者は、誰が稼ぐ適性を持っているか、ある程度見抜けると予想します。しかしその眼も完全ではないでしょう。結局のところ、稼ぐ適性があるかどうかは、研究者として何年かやってみないとわかりません。
以上をまとめますと、学校でそこそこ自信をつけた方が、異世界転生のつもりで仕事をする場合や、起死回生の一発逆転を狙いに方向転換した場合、必ずしも成功するとは限りません。もちろん成功するかもしれません。しかし、過去の専門の業績だけでは決まらないのは確かです。ましてや、学校で鍛えられたであろう学校社会の人間関係に関する能力でも決まりません。
研究には、人生の一部を費やすことになります。雇われる側、雇う側の双方が幸せになる事が重要です。だから私は、自分が 280% から 300% の研究課題を抱えているからと言って、単純に、人手がほしいとは、言えないし、書けないのです。
しかし、上述の説明を見て、俄然やる気になっている人もいるのではないかとも思います。「自分なら、自力で別分野で学位をとるレベルまで到れる。専門分野以外も興味を持ってできる。何より、自分は、稼げる研究ができる。根拠もある」という人がいたら、私と同じ場所、または、競合他社、はたまた、国内か海外かにかかわらず、研究で生計が立てられるのではないでしょうか。何と言っても、研究課題が山積みですから。なお、超余談ですが、競合他社の方も親切です。広い意味では、資本主義社会の仲間だという共通意識があるように感じます。
なお、最後にお願いがあります。この件で、私に直接コンタクトをとるのは、どうぞお控えください。この日記や SNS は、あくまで私の個人的な考えを書くための場所だからです。所属組織とは関係がないがゆえに、具体的な就職関連のコンタクトがあると、問題があります。そもそも、コンタクトをとって、やり方を教えてもらおう、便宜を図ってもらおうという考え方自体が、大学院の流儀に毒されています。私が困らされるくらいには大学院の流儀は強固なので、今、若干嫌味な言い方をしたことは、許してください。適性のある人なら、入口ではつまずかないでしょう。
]]>今の所属になってから、研究者としての寿命が大幅に伸びた。
大学院にいたときは、そもそも学位取得後に研究で生計を立てるとは思っていなかった。実際、無職の時期もあった。しかし現在は、身分も保証されている。日銭に困らないどころか、イレギュラーがなければ寿命が尽きるまでの資産の心配もない。学校よりも、研究環境が充実している。周りの方々の取り計らいにより、好きな研究を、私の枠組みでできている。今の私が毎週数学に費やせる時間は、少なくとも、私の出た大学院に所属するどの教員よりも多い。その理由はとても簡単で、研究以外の業務はほぼ 0 だからである。実際、数学に費やす週もあるし、数学以外の研究対象に費やす週もある。ありがたいことに、この状況は、退職まで続くだろう。
ゆえに、次の興味は、研究引退後のことである。私の研究の中心に数学があるため、このことは、数学をやれなくなったあとどうするかという問題と同値である。仮に 70 歳まで研究を続けたとして、それ以降、何をするか。いくつか候補を書いてみたい。
35 年以上先の未来は、誰にも予想できない。また、私以外の周りの人に依存するべき項目もあるが、そういう項目は書かない。ゆえに、以下の記述には、具体的な意味はなにもない。
数学の研究をやめたあとも、何年かの間は、プログラミングはできると見込まれる。何年か前から、競技プログラミングは 75 歳くらいになったあとで再開するのがよいのではなかろうか、と言っている。
アプリを作るのもいいかもしれない。情報科学の本流自体にはあまり適性がないので、趣味で作る程度のアプリがよいのではないだろうか。
最近、必要に迫られ、法律の勉強を少しずつしている。令和 5 年度の司法試験予備校による予備試験の解説動画を見た。内容が、私が今勉強していることや、または、過去の資格試験で勉強したことにつながっていて、自分にも関係がある世界の話だと感じた。
今やっている法律の勉強自体も面白く、興味が続きそうである。なので、きちんと勉強すれば、司法試験予備試験にも対応できるのではないか。ただの妄想である。
論文式試験は、受験国語の最終進化系であると感じている。勉強は過去問の勉強が主であるが、事例処理が問われるところ、基本事項の確実な運用が問われるところ、現場で得点ができる要素を答案に盛り込み、時間が足りたいため落とすべきポイントはあえて落とすところ、などなど、私好みの試験である。なにより、先生が示した解答を受け入れるだけで本試験の高得点には至らないところが、上質な受験国語の風味を感じる。
短答式試験は、仮に今の私がやるなら、何回も繰り返し過去問やればクリアできる。未だに資格試験の勉強は、必要に迫られするので、この直感はかなりの確率で正しい。しかし 35 年先まで、同じことができるかはどうかは未知である。数学を引退するまでになった私が、果たして膨大な暗記と演習に対処し、試験に太刀打ちできるようになるだろうか。この部分は懸念している。
今の私が司法試験予備試験にチャレンジするだけの勉強時間を確保できるはずもない。そんな時間があったら、数学をやるべきである。私の目の前にある研究課題は、てんこ盛りである。なので、司法試験予備試験の勉強は、研究引退後に取り組む候補としておくことにした。
ビデオゲームをやるのが相変わらず好きなので、 YouTuber を再開するということである。
今はダイバーシティとインクルージョンの時代であるし、今後もこの流れは進んでいくであろう。おじいさんになった私が、定期的にゲームをやっていれば、新たな輪も広まるのではないか。
もちろん、老眼や体力の問題もあるが、ゲームをやる時間自体は、いっぱいあると見込まれる。
]]>『龍が如く 8』のメインストーリーを終えたので、今『ペルソナ 3 Reload』(以下『P3R』)をやっているはずでした。しかし思ったよりもコマンド RPG の現代化が進んでいなくて、『P3P』の男性主人公ルートとほぼ変わらないと思うようになってきました。別のゲームに移る見込みです。しかし、普段ゲームをやらない方にとって、『P3R』は遊びやすいと予想します。バトル速度が早すぎないからです。また、思い出補正がある方にもおすすめできます。
『崩壊:スターレイル』の大型アップデートも控えていますし、『Fate/Grand Order』のバレンタインイベントもくるでしょう。
今後やる家庭用ゲームには、まず『FINAL FANTASY VII REBIRTH』があります。これには有給休暇を投入します。余談ですが、今の勤務先では、理由を何も言わずに有給休暇の権利を行使できます。しかし私は、やるゲームの名前を書いていて、その度にたくさんの人から応援されます。その後は『プリンセスピーチ Showtime!』と『Rise of the Ronin』の同日発売が控えています。
そういえば「なぜ日本のゲームを中心にやっているか」という話を書いていませんでした。ゲームの好みについてです。いつか書きたいと思っています。
3 月までは、数学の研究を中断して、他の分野を勉強します。
理由はいろいろありますが、ここに書ける理由としては、外に出られなくなってきたことが挙げられます。研究をしているのに、外にほとんど出られないと、ストレスがたまって、研究もうまくいきにくくなります。
インフルエンザと風邪が流行っていて、短時間飲食店に行くのすら勇気がいる状況です。もちろんコロナも流行っていますし、身近で感染者も出ています。
数学は、実力を落とさない程度に、少しはやろうかなと。
数学の研究は、「問題を見つけられる能力」「諦めずにやり続けられる能力」が重要だと言われます。しかしこれは少し違っていて、学校でやる数学に限らず、研究で生計を立てるなら、どこに所属していても重要です。
しかし、私が学校を去った理由は、もっと単純です。「学校という底辺社会が嫌で、現に院生時代は、修士課程 1 年生の後半以降、 5 年半以上、やる気が出なかった」に尽きています。上記の 2 項目に、問題があるわけではありませんでした。やる気の問題です。この証拠が、今の私の状況です。
それでも、なぜ自分の研究に学位が出たのか、悩んでいました。結局のところ、「留年もしたし、指導教員のお情けで、出してくれたのではないか」と思っていました。しかしそれだと、匿名のレフリーによる査読付き雑誌に論文があっさり通った理由と、審査に入った他の教員が反対しなかった理由が、ないことになります。後者の教員の中には、普段から私のことを快く思っていない人も複数いました。しかしそれでも、ジャッジの段階で一言も文句は出なかったと聞いています。なので、ずっと、疑問に思っていました。
しかし私も、最近になって理由がわかってきました。研究において重要なのは、結果が強いかどうか、正しい議論ができているかどうかではありません。非自明なことをやっているかどうかだと。
数学の研究は、本人の興味を充足させるためにやるものです。結果が強いか、耳目を集めるかどうかは、一義的にはどうでもよいことです。正しい議論ができているのは、すべての前提です。
その一方で、非自明なことができているかどうかは、研究の世界では、厳しく問われます。難易度が高くとも、他の人のやった議論をなぞっている限りは、非自明ではないので、他人の真似である。こういうことです。とはいえ、その「非自明なこと」を、効率よく誰かに教わってしまうならば、この議論は意味がなくなってしまいます。また、それこそが、アカデミアの攻略法でもあります。
研究の世界は、究極の、誤った成果主義のように見えているかもしれません。確かに、処遇はそれで決まりもします。しかし、本当のところは、上のようなところです。結果を評価しているように見えて、実はその課程を重視している。それが、実力の評価である。興味深い事象です。無論、民間にいる場合も、研究で非自明なことをやっているという要素は、重要なことです。強固な資本を背景とした後発が出てきたときに、差が出てきます。
学校に残るか、民間企業に行くか、それとも他の道を行くかは、自分の適性で決めるべきです。
民間企業に行くと、稼ぐことに貢献できる研究が求められます。ところが、学校の構成員の中には、稼ぐことは汚らわしい行為だと嫌悪している人は、少なくありません。そういう人が、仮に、民間企業に異動し、利益の萌芽となる研究成果を出したとしても、マネタイズの段階で興味を継続することはできないのではないか。
例えば、私の業界の場合は、諸規制・諸規則も詳しく認識しておき、妥当な解答を提示する必要があります。また、その中でも私の研究の場合は、数学以外にも、現実世界の計算機や、伝統的なファイナンスにも触れておくことは、なんだかんだ言って必須であると言わざるを得ません。そういうことを、何年もかけて勉強することを、手間だとも何とも思わない人に向いています。
自分の人生を、最も正しい形で使うことが、各人の最上級の幸福ではないか。そのためには、自分の好きなことを譲らないことが重要です。たとえ、怒鳴られても、暴力を振るわれても、お金を出さないと脅されても、評価を下げるぞと言われても、曲がってはいけない。絶対に妥協してはいけないタイミングというものがあります。苦しいときも、マイナスとマイナスを比較して、よりマイナスの少ない方を選ぶ。このことが、最終的な成功を引き寄せると、私には思えます。
]]>現時点でゲームシステムの攻略情報があまり共有されていないことを鑑み、どのような方針で臨むとクリアしやすいか、この記事の後半では私見を述べる。
私は『0』『極 1』『極 2』『3』『4』『5』『6』『7』『7 外伝』『維新! 極』を、少なくともストーリークリアまでやっている。『8』は、現在はストーリーを 1 回クリアしただけである。発売から 1 週間も経っていないので、これでも相当ハイペースである。その時点で掴んだことを述べる。
コマンドバトルは、非常に改善されている。基本システムをずらすことなく、現代でも通用するものに進化させている。
前作『7』のコマンドバトルは、やり慣れている人には物足りなく感じるであろう内容であった。正直にいうと私は苦痛で、ストーリーを進めるために仕方なくやっていた。しかし、『8』では、大幅に改善されている。現代的になっている。手段を尽くせば通常攻撃もダメージソースになるし、位置取りでできることも増えた。最終的に、通常戦闘は、前作よりずっと高速に終わるようになる。育成システムも明快で、バランスは非常に良かった。
以下でも述べるが、育成に無駄な要素がない。本編以外もやることが、プレイヤーの最適戦略になる。
ストーリーも最後まで堪能できた。春日による問題解決と、桐生の終活のどちらの要素も、素晴らしい内容であった。
本編ストーリーには、大きく 3 つの軸があるように思われた。 1 つ目は、反社会的勢力の社会復帰である。 2 つ目は、現代における宗教である。 3 つ目は、ストーリートレーラー上伏せられている内容なので、ここでは書かない。どの論点も、妥当な落としどころであった。 1 つ目は、ともすれば排他的で同調的な日本の生きづらさと、犯した罪は決して許されることはないという両方が描かれていた。桐生の出した最後の回答も、適切なものであった。 2 つ目は、慈善事業団体としての側面を肯定しつつ、敵側の異常な側面もきちんと描けていた。 3 つ目も、ともすれば強いイデオロギー対立や風刺になりそうな部分を、うまく避けて、現実ベースで描けていた。
倫理コードがしっかりしている。しっかりしすぎているくらいではないだろうか。アウトローな世界を舞台としたゲームは、北米・欧州のゲームを含め、他にもある。その中でも『8』は最も倫理コードに敏感なように思えた。あえて現代ではよくない言い回しをした場合、後に必ず否定的な見方が入っている。私はゴミのような底辺社会で生まれ育ったのだが、その経験を踏まえると、ここまで丁寧に仕事が尽くされているのは、信じられないレベルだと思った。
ホノルルシティの広さや文化に根ざしたサブストーリーも豊富で、楽しめた。昨年私は、福岡の中洲に行った。そこで『5』の永洲と同様の景色を発見し、嬉しくなった。そういうわけで、ハワイにはいつか行ってみたいと思った。きっと同じような光景や施設を発見するであろう。
桐生の終活は心に残った。ボリュームはそこまで多くなかったものの、まるで生前葬をやっているようであった。『0』から『7 外伝』に至るまでの我々プレイヤーの膨大な努力を肯定してくれているようであった。これを読んだ方が未クリアであるならば、エンディングで桐生がどういう結末を迎えるか、最後まで見届けていただきたい。
俳優さんの演技も皆上手であった。特に海老名役の長谷川さんの演技は、本職の男性声優に負けず劣らずな、素晴らしい内容であった。各俳優さんのファンでゲームを買った方は、完走していただきたい。
ロード時間もほぼなく、きれいな映像が途切れなく動く。操作性についても、全く不満がない。私はどちらも門外漢であるから、詳細は省略する。
2024 年現在のコマンドバトルの最先端は、この作品の更にその先にあるように思えた。特に、オート戦闘がしっかりしていれば、なお良かったように思う。これは、ファンのためでもある。
新規の『龍が如く』シリーズのファンの中には、 3D アクションだと、画面酔いのため進めないという人もいる。この論点は、既によく共有されているように思う。しかし、さらにその中には、コマンドバトル RPG もうまく進められない方もいるということは、あまり共有されていないように思う。しかし、私が認識している範囲でも、実際にそういう人はいる。
YouTube のプレイ動画を見るだけでは物足りなく、ゲーム機とソフトを買ってきて、慣れていないビデオゲームをやってくださる。こういう方も、大切なお客さんのはずである。そういう方が、 YouTube 視聴に戻ってしまっては、悲しい。
コマンドバトルができない層も、オート戦闘を駆使してクリアできればよかったように思う。現状のコマンドバトル作品の中には、フルオートで高速に進行できるものも結構ある。通常戦闘は 10 - 20 秒程度で終わるものも珍しくはない。
この項目は、若干ネタバレになる。
『8』では、ある人物が、途中で大きな十字架を背負ってしまう。本編の最後も、「それでいいのかよ」と思ってしまった。「どうしてこのシリーズは、味方側の女性キャラをうまく描けないのか」と、再度思ってしまった。消せない十字架を背負わせてはいけない。なぜこれに敏感になれないかと。
『龍が如く』シリーズは、女性キャラクターが不遇であるという欠点がある。出番が少ないわけではない。上に書いてあるとおり倫理コードがしっかりしているため、差別や蔑視があるわけでもない。それでも、本編上、女性キャラクターが途中で厳しい立場に置かれ、そのままになって、適当に終わってしまう事がある。シリーズで言うと、遥ちゃんはその典型である。『1』から『6』までの経緯で、本編にうまく絡めないレベルになってしまった。
そして、「そういう事象」を目にすると、「なんのためにプレイヤーは努力したの」という気持ちになる。私も『8』をやっている間に、残念ながら、そうなった。
『龍が如く』シリーズの決定権を持つ人は、現状では、おそらく、海外のハイエンドゲームと、往年の RPG の名作と、日本のスマートフォン向けゲームを研究しているように思う。これに加えるならば、コマンドバトルについては、『FINAL FANTASY VII』のリメイク作(1 ヶ月後に新しいのが出るが)、『崩壊:スターレイル』あたりは、非常に現代的である。女性キャラクターの造形については、 TYPE-MOON 作品、『アトリエ』シリーズ、『ゼノブレイド 2』『同 3』あたりは、示唆を与えるように思う。
龍が如くスタジオの今後の作品では、女性キャラクターを主人公としたものが出てくるのではないかと、密かに期待している。そのキャラクターを、桐生や春日や、そして八神・海藤並の主人公として育て、大きな成功を納めるならば、最も端的な、上記の指摘に対する回答となるであろう。
思ったよりもずっと、シリーズ本編を全部やっている人向けに作られているように思えた。龍が如くシリーズを途中の人は、いきなりこれをやると、桐生の終活の意味がわからないであろう。置いてけぼり感は否めないだろう。
『0』から『7 外伝』までほぼ全てに渡って、意外な人物も含めて、桐生の終活に関係してくる。もっというと、終活以外でも『JUDGE EYES』『LOST JUDGEMENT』もごくわずかに影響しているので、やっておくと楽しめる。
もちろんこれは一概に欠点というわけではない。説明不足なのではなく、『1』が発売されてから約 18 年間も紡いできた歴史の重みであると言える。シリーズの集大成であると言える。プレイヤー側も、制作者の熱量に応えるには、努力がいるということである。
これも私の予想であるが、『8』は、前スタジオヘッドである名越さんに向けて作られた作品なのではないか。「名越さんが始めた桐生のシリーズは、このようにしてフィナーレを迎えました」という、総括である。
あくまで発売から 1 週間も経っていない段階で、インターネットを遮断して私が掴んだ内容であるということに、注意されたい。界隈での理解が進むと、別の方針のほうがよくなるかもしれない。もっと詳しい信頼できる人が別のことを言っていたら、その方のほうを信用していただきたい。
ゲームバランスについての全体的な感想は「急がば回れ」である。すなわち、少ない努力でクリアを目指すのであれば、重要な要素だけを尖って育成するのではなく、各要素の育成を的確に行うことが重要である。そういうバランスになっていることを、わりと早い段階で気がつけた。
まず重要なことは、絆レベルを上げることである。
実績解除状況を見る限り、発売 1 週間の時点では、絆ドラマを最後までやっている層はかなり少ない。しかし、本作では確実にやったほうがよい。絆ドラマを進めると、通常攻撃の DPS が格段に向上するからである。連携攻撃にはダウン効果がついている。さらに、高い確率で絆追撃が決まる。標語的に言えば、通常攻撃が 3 倍の威力になる。さらに、極技よりも通常攻撃のほうが繰り出すスピードも早いので、キャラクターのレベル上げもジョブのランク上げの効率も高まり、高速なクリアが望める。こういうわけなので、絆レベル 50 の達成を目標とするべきである。
通常戦闘では、まず、極技・絆技・デリバリーヘルプで敵の体力を減らし、倒す目処が立ってきたら、通常攻撃で削りながら MP を回復する。 HP は戦闘後、安価な食べ物で回復する。こういう感じでいく。
次に重要なことは、ジョブをまんべんなく育成することである。
各ジョブには、これ 1 択と呼べるほど強いものはないが、反面、各ジョブには欠点がかならずある。特定の属性が足りなかったり、ガード破壊ができなかったりする。これを補うのが、継承技である。
中ボス・大ボス戦では、敵の弱点をつく極技を、パーティー全体が連打するのが一番効率がよい。しかしジョブを変更できる施設は、ごくわずかな場所に限られている。特に、ダンジョンを進んでいる間は、ジョブを変更できない。ゆえに、どのような状況にも対応できるよう、継承技を充実させるのが重要である。そしてそのためには、絆レベル上げと、汎用ジョブをまんべんなく育成することが必須となる。
ジョブのランクは、ランク 10 までは一気に上がるし、最終的にはランク 30 まで比較的短時間で育成できるようになる。強力な継承技を増やすと、最終的にはスムーズな進行という形で恩恵を受ける。
育成が済み次第、武器をローテーションで使い回せることを考えると、専用ジョブよりも汎用ジョブのほうを優先して育成するべきである。各ストーリーの進行度合いに応じて、「上がりづらくなってきたな」と思ったら、別のジョブに切り替えるようにする。大事なのは、ある一定のランクに到達したら、新しいジョブに切り替えることである。
こういうわけだから、ジョブチェンジシステムが開放され次第、汎用ジョブを全て取得するべきである。人間力が足りない場合、資格試験学校でクイズを受けるように促される。まずそれをやるべきである。
最後に重要なのは、本編ストーリー以外の要素もやるようにすることである。私見では、攻略上特に重要なのは、次の 4 つである。
絆さんぽは、絆レベルを上げる最も効果的な方法である。マップに場所が表示されるので、比較的容易にコンプリートできる。表示されないマスは、後に埋まる。絆さんぽでは絆レベル 50 には届かないものの、食事・プレゼント・キャバクラで、無理なく達成できる。
エンディングノートは、ネタバレを防ぐために詳細は避けるものの、恩恵を受けることになる。ついでにいうと、ストーリー上も、エンディング前に終わらせるのが望ましいように思う。
ドンドコ島は、最終的な金策にはなりえないが、コンプリートすると中盤の早い段階で大金を獲得できる。この時点で、全員分の星 5 防具と、いくつかの星 6 武器を購入できる。終盤の入り口までの攻略が楽になる。真島建設のヘルメットを大量に作成し敷き詰め、残りの素材でアダルトな建築物を作成するのが、早期クリアの鍵となる。
ローグダンジョンは、最終章の段階でハワイ・横浜の地下 30 階までを 1 回やるのが目安になっているように思われる。こうすることで、ラスボスまで足りるだけの経験値が稼げる。終盤の金策にもなるし、春日と桐生の星 7 防具も手に入るので、エンディング前に 1 回はやるべきであろう。
]]>インターネットには、業務に関連することは何もかけません。
いろいろな理由があります。会社が特定の個人と結びつくのはよくありません。業界が業界なので、いろいろな階層での規制があります。そもそも営業店では、外務員資格がないと、電話すら取れないと聞きます。そういうレベルです。
日記の記事も、一度書いてから、安全のためお蔵入りにしているものもあります。業務に関連する具体的なことは、少しでも書くのを躊躇します。どうしようかなと思っております。つまり、数学・計算機・ファイナンスなどについては、書けません。
念のためにいうと、業務と関係がない過去の日記は、下書きを含め全て保持していて、今後も公開できるものばかりです。
昔 Twitter と呼ばれていたものは、今では X といいますが、以下 Twitter と書きます。
本社で SNS をやっている人は何人か知っていますが、私が把握している限り、その全員が私と同じ使い方をしています。
私は Twitter では、ゲームのスクリーンショットを貼っていて、ゲームのキャラクターの 2 次元絵をリツイートしています。ときどき、絵師さんにリプライをします。
ある人は、おいしい食べ物の写真を貼っていて、おいしい店の情報をリツイートしています。
ある人は、旅行の写真を貼っていて、テーブルゲームの話をリツイートしています。
他にもありますが、特定を避けたいので省略します。
つまり、他の人の場合、私にとってのゲームが、その人の趣味になっているだけです。驚くほど一致しています。
見ているうちに、確信しました。私にとって Twitter は、こう使うしかないものであると。同じ状況の誰もが、同じ結論に到達するのであると。
しかしこういう使い方は、素晴らしい使い方であるということも指摘したいところです。最近の Twitter は、かなり荒れています。 2024 年は重大な選挙が各国で予定されていますし、 1 月冒頭にはいろいろなことがありました。頭がいいはずの人たちが、毒されていたりもします。特に、意識的に新聞から情報を仕入れるようにしないと、デトックスの機会が失われるように感じます。この点、上記の Twitter の使い方は、隔離されている使い方なので、 Twitter は居心地の良い空間です。
数学、計算機、ファイナンスの話をしたいなら、組織の中で、深く話すことができます。もし私とそういう話をしたい方がいらっしゃったら、会社に入社してくださるとできます。特に数学は、業務で鍛えていますので、学校に所属していたときよりも充実した話ができます。
SNS について補足をしておくと、 Facebook をやらない人は、比較的多いように思います。私は元々避けていましたが、今の私にとっては、職業上、相性が悪いと言えます。
「好きなものを譲るな」と、この歳になって思います。
私が一番好きなものは、数学をはじめとした研究や勉強です。次が、ビデオゲームをプレイすることです。特に、定跡の確立していないものをうまくやるのが得意だと評されます。
選択の機会があるのなら、自分が後悔するような道は選ばない。
]]>仕事でやることが一番楽しく、しかも上達もするので、そのことを書く。ただし、守秘義務があるので、抽象的に書く。現在、時間がないので、このことだけを書いてこの記事は終わりにする。
私が計画していた研究開発は、合計で 8 ヶ月、前倒しで完了した。今年度中どころか、今年中に終わることができるとは、想像できていなかった。もちろんこの 8 ヶ月の前倒しは、個人の力だけで達成したわけではない。周りの方の努力が 8 ヶ月という数字に結実した。
私も詳しく理解していないのだが、マネジメント層の間で「高橋さんに、これをやれと、誰も示唆してはならない」という取り決めがあったのではないかと、ある種の確信を持って、予想している。今の所属になってから、好きにやらせてもらっているが、それでも 2023 年の徹底ぶりは、すさまじかった。結果、私が見通したとおりに、本や論文を読み進めることができ、執筆もできた。
幼い頃から、たった 1 つのことを求めてきました。「自分の好きなように、好きなだけ勉強したい」ということです。一言で言い表せます。これに集約されます。
生まれた瞬間からこのことが叶う人もいるのは、上京後によく見知りました。しかし私の人生で、これが叶った期間は、ごくわずかでした。河合塾に通っていた時代と、数学科の学部生時代でした。その僅かな期間ですら、結局は過去問から逆算した勉強をしていただけですし、他人の決めたカリキュラムに沿って勉強をしていただけとも言えます。
しかし今、私の願いは、予想外の形で叶いました。「自分の好きなように、好きなだけ研究したい」ということです。
東大数理は、研究者製造学校ではありますが、数学に没頭し充実した研究をするための場所ではありません。東大数理に居残り続けていたら、数学への熱意を取り戻すことなく、惰性で一生を終えていたことでしょう。数学をやり続けるためには、底辺社会を離脱し、認識をレベルアップする必要がありました。
数学のアマチュアになったということではありません。民間企業は、研究をやめさせてくれませんでした。ただし、数学の大学院で評価されるような研究と、私が民間企業でやる研究は、内容も目的も異なるということには注意が必要です。今のような研究スタイルが向いています。
自分の時間を、自分の好きなことに費やせています。そうすることで、会社の利益に最大限貢献することができます。マネジメント層は、冒頭のようにしてくれました。「要望を伝え、叶えてもらった」というより「マネジメント層が用意してくれたものを、受け取った」というのが、妥当な表現です。だから、私は現状の上席者全員の実力を信頼しています。周りの人とは、強い信頼関係で繋がっています。
2023 年は、わかりやすい成果を残すことができました。 2024 年以降も、高い火力を維持することが重要です。今のところの計画では、来年は、今年のようなわかりやすい成果は出ない見込みです。だからこそ、来年の過ごし方は重要です。
]]>今年は、いろいろな人と会えました。まだ振り返るのは早い気もしますが、年末に書くことは他にもあるので、ここで書いてみます。
社内の人が親切なことには、もう、驚かなくなってきました。いつも日記に書いていることですが、日記に不満を書かないのは、そもそも不満がないからです。
それでも、同業他社の人ですらも親切であることには、驚いてしまいました。詳細は書きませんが、思わず感動するような出来事でした。
気がついたことがあります。退職者が、会社のことを、本当に良い会社だったと言っていることです。退職する人ですら、会社のことを良かったと言っていて、在籍中の人に親切にしてくださる。たとえライバル企業に移っても、です。これは素晴らしいことです。
非常に優秀な専門職の方に出会えてよかったと思っております。私の説明を即座に理解し、アイデアを広げてくださり、しかも向こうからこうしたほうがよいと提案をしてくださいました。さらに、仕事が早く、ミスも少ないという。この方のおかげで、大変助かりました。
他にも、先生方や、研究者の方や、学生の方とも会えました。どの職位なのかにかかわらず、やる気がある方と出会うと、私もやる気が湧いてきます。
社外の方と交流することに、苦労がなくなりました。周りの方が基本的な説明をしてくださるので、私は基本的に専門的な話をし、それ以外の時間は、ご飯を食べて、突っ立っていればよくなりました。聞かれたときに、研究のこと、普段から考えていることを話せばよくなりました。
2023 年は、様々な人と再会できました。新型コロナウイルスは決して終わっていませんが、普段会えない人と話せてよかったと思います。
皆、それぞれでした。歳を取り、職位も上がっていました。はっきり印象に残っていることは、全員が、激変する現代社会に、ついていっているということでした。特に民間にいると、当然そうなります。
たくさんの人が、アーニャのグッズをお土産にくださいました。周りの人に普段から、アーニャがかわいい、変顔が好き、表情豊かで面白い、ちちとははをアシストしているのがよい、と言っているので、自然な帰結でしょう。少し前までは、アストルフォのグッズをよくもらっていました。ありがたく使用しております。
]]>以下、『龍が如く 7 外伝 名を消した男』を、単に『外伝』と表記する。シリーズの他の作品の略称は、普段ファンで使われているであろう略称を用いる。例えば『龍が如く 極』ならば『極 1』である。
この記事は、ネタバレなしではある。しかし、『外伝』の序盤ですぐに明かされる内容については触れる。ゆえに、少しもネタバレされたくない人は、この記事を読んではいけない。今すぐやるべきである。
『外伝』は、『龍が如く』シリーズの往年のファンから、新規のファンに至るまで、多くのファンに響くであろう内容であった。
それどころか、『龍が如く』シリーズを新規で始める人も、いきなり『外伝』を開封し、来年 1 月発売の『8』に備えるという方針で、支障はなさそうである。
プレイ時間も短くて済むし、リリース日から Xbox Game Pass に入っているので、『龍が如く』シリーズが気になる方は、『外伝』をまずやってみるのが適切であろう。
ゲームの感想を書くときは、筆者がどんなステータスかを書いておかないと、読む方も困るであろう。私のステータスを書く。
私は Xbox Series X を用い、 Xbox Game Pass で『外伝』をプレイし、ストーリークリアと並行して実績を全解除した。実績全解除に必要ないものも、一部はやりきっている。難易度は最高難易度 Professional でやったが、一部の金策は最低難易度 Beginner に切り替えてやっている。ムービーは飛ばしていない。総プレイ時間は 28 時間である。
『龍が如く』シリーズの経験は、『0』『極 1』『極 2』『3』『4』『5』『6』『7』『維新! 極』を、少なくともストーリークリアまではやっている。『8』もやる予定である。発売が近くなると、会社の人から「新しいの出るんですよね? 有給取ってやりますよね?」と言われるのは、わかり切っている。
公式でもアナウンスされている通り、クリア後に『8』の体験モードが解禁される。私は今のところ、これを途中までやって Xbox Series X の Quick Resume 機能で止めている。公式が「ストーリー体験モード」を配信禁止区間に設定していることと、その内容を鑑み、『8』の体験モードを最後まではやらない段階でこの記事を執筆することにした。もちろんこの記事に、『8』の体験モードの内容は記述しない。
『龍が如く』シリーズのファンは、現在、多岐にわたっている。おおよそ次の 1. - 4. に分類ができるだろう。これ以外のファンもいるかもしれない。
『外伝』や、この後に発売される『8』のターゲットは、 1. - 5. の乗り合わせとなる。全員に満足してもらえるストーリーを作るのは、当然、至難の業である。しかし結論としては、冒頭で述べた通り、『外伝』は、それができている。
まず先に 5. の方に向けて述べる。
新規の方は、『外伝』をやれば、少なくとも『8』をスタートするには無理がない段階に至るであろうと思う。無論、疑問点はいくつも残るであろう。しかし、事実を受け止めさえすれば、『0』から『6』までの 7 作をプレイしていなくても、『外伝』の展開は理解できるようになっている。少なくとも、そうなるよう、十分に配慮がなされている。
これは、朗報である。『龍が如く』シリーズに興味がある方に向けて、「まずは『外伝』をやってみては」と気軽に言えるようになったからである。
『龍が如く』シリーズは、プレイヤーへの配慮が行き届いていることでも有名である。もともと 2. のファンもしっかり取り込もうという意図で作られたシリーズである。プレイヤーのエンディングまでの到達率は高い。このことは、近年、女性ファンの増加にも寄与している。というわけで、興味がある人には、ゲームの経験の大小に関わらず、まずはやってみてはどうかと薦められる。
ただし、人に暴行する表現は、シリーズを通して過激である。そこはどうしても配慮できない。「こんなことをして不殺とか、冗談やめてよね」という表現も多々ある。そういう耐性を計測する上でも、まずは『外伝』をやるのがよいのではないかと思う。
なお、私が間違っていなければ、この記事を執筆している 2023 年 11 月現在、
である。興味が出てきたならば、この機会に、シリーズの他の作品もやることもできる。ただし、配信されるタイトルは変化するので、加入する前に、どのタイトルが配信されているか、必ず自分で確かめてほしい。
この機会に、私のおすすめも書いておくと、『外伝』を終えた後、『8』に備えたいなら、まず『7』が最優先であろう。ただし RPG 部分は結構やりづらいかもしれない。だから、ストーリーをなぞるのを目的にしたほうがよいと思う。他にも『0』『極 1』『極 2』『6』をやると『8』への準備になる。しかし、そこまでやると途中で時間切れになるであろうから、無理のない範囲でどうぞ。
以下、 1. - 4. のファンに向けた要素について、記述を開始する。
少し前提の説明をする。『龍が如く』シリーズは、『6』がターニングポイントであった。『6』のエンディングで、主人公・桐生一馬は、「死んでやるよ」という。死亡診断書を偽装し、死んだことにし、沖縄の子どもたちを守った。それが「名を消した男」の意味するところであり、『外伝』のプロローグである。
『6』の後味は非常に悪い。桐生の選択のみならず、敵方も後味が悪い。これは 2. のファンからすると、『龍が如く』シリーズは、もはやアウトローものとは遠いところに来てしまった、と感じたであろう。また、守られた遥ちゃんにも賛同できないであろうところがある。なのに桐生は「名を消した男」になってしまう。 3. の人の支持も得られないのは、道理である。私が知る限り、『6』の結末を称賛しているファンは、皆無といってよい状況である。
この後、『7』が出た。主人公を春日一番に変更した『7』は、前評判を良い意味で裏切り、ストーリーはよかった。桐生がエージェントとして活躍していることがわかり、シリーズは繋がった。そして、『外伝』は、『6』と『7』の間を埋めるものであり、『7』の決定的なシーンに向かってストーリーが進行していく。こういうわけなので、ファンは、半信半疑の状況で『外伝』のリリースを迎えることになった。
『外伝』は、 1. - 5. のすべての人にアピールできる点があった。「あなたのことは見捨てていない」という意志を感じた。 5. は述べたので、 1. - 4. について記述する。
まず 1. は、本作は 3D アクションゲームとして、なかなか快適である。桐生のアクションは「応龍」と「エージェント」がある。
「応龍」は、様々な要素がプレイヤーに十分有利に作られていて、シリーズのファンなら快適にアクションが繰り出せるはずである。安直な方法は削ぎ落とされているので、最後まで強化をしても、真剣にバトルする意味が残り続ける。
「エージェント」では、ガジェットを駆使して集団戦をスピーディーに処理することができる。一部のガジェットは練りが足りない気もしたが、しかし「蜘蛛」のガジェットを駆使するだけでも立ち回りはきれいになる。他のガジェットの要素は、今後、ブラッシュアップがなされ、別の作品で活かされるであろう。
次に 2. について。ラストバトルに至る展開がよかった。『7』のあの瞬間に至ることが確定しているので、 2. の人が納得する展開はこうなるよな、というものである。『0』並の V シネマ的要素を求めている人以外なら、きっと満足するであろう。現代の日本を舞台としていれば、むしろ、このような展開を表現する機会が『外伝』として設けられたことに、 2. のファンを大事に考えているという制作者の意志を感じる。
続けて 3. について。『8』で桐生がどのような宿命を背負うかは、すでに 『8』の PV の中程で明らかになっている。ここでは、それが何であるのかを書かない。だが、それに向かっていくならば、せめて桐生に希望を与えてほしいと願うのが、桐生のファンというものであろう。
『外伝』は、桐生が活躍し、納得がいく展開になっている。キャッスルで活躍するのはかっこいいので、ファンには好印象であろう。また、『外伝』の結末は、自分の目で確かめて頂きたいが、『6』の結末を上書きすることに成功している。
『6』のこともあって、 3. の人は、相当疑っていると思う。なので、若干踏み込んで書く。『外伝』の結末においても、桐生は遥ちゃんたちと連絡が取れていない。そもそも、取れたら、それこそ『外伝』におけるプレイヤーの労力を無駄にすることにもなりかねない。だが、絶妙のところで、桐生に救いがある。考え抜かれた展開だと思った。また、『外伝』終了時点での人間関係は、良好である。桐生を取り巻く人間の間で、わだかまりがない。細心の注意が払われており、練られている。具体的にはネタバレになるので略。そして、最後には、桐生は『8』の舞台であるハワイに行けるだけの展開になっていく。そのことを一言で表現すると「『6』の結末を上書きする」となるであろう。
最後に 4. については、現代の日本をうまく題材としていて、海外のファンも興味深く見ると思う。特に 4 章の展開は、風変わりであるが、彼らに十分アピールできているように思う。 2023 年のプロ野球は、阪神タイガースが日本一になったこともあり、道頓堀に行ってみたいという海外のファンは増えるのではなかろうか。
難易度は Professional がちょうどよかった。桐生の全能力を開放し、最強の防具を揃えるのはそこそこの労力で済む。シリーズ恒例の亜門戦も、エンディングより前にできた。それが終わると Professional でも、大いに無双できる。とはいえ、その状態に至るまで、金策をし、ミッションを埋めていく必要はあった。
ミニゲームでは、ポケサーはけっこう大変だった。実績を解除する上ではそこまで頑張る必要はないが、最後までやろうとすると、レースごとに運が絡んで大変である。
キャバクラは、実績全解除のためには 5 人全員分をやらないといけないが、キャバクラに一生無縁な私にとっては相変わらず苦行であった。『外伝』は分量が少ないので、仕方がないとは思うものの、しかし、『0』『極 2』にあったキャバクラ経営ゲームまたはその上位互換に挿げ替えてほしいと願う。とはいえ、『龍が如く』シリーズのファンとして有名な Kson さんが出演していたのは、感慨深かった。『Fate』シリーズのように、ファンが出演者側に回っていくのは、良きシリーズの傾向である。
シリーズ恒例のコインロッカーの鍵集めは、コンタクトレンズを装備すると、マップに全部表示されるので、非常に簡単であった。システム・アドベンチャーまわりは、こういう気楽さで、今後もいいのではないか。
]]>結論から言うと、これはもう、本人の感性次第だと思っています。私が投稿・リツイート可能だと判断したものを、投稿・リツイートします。
何が OK で、何が NG か。その考え方は、国によってもバラバラですし、文化圏によってもバラバラです。この論点に詳しい人は、世界基準などというものが存在しないことをよく知っているはずです。 3 次元世界では OK でも、 2 次元世界では NG であろうというものもあります。その逆もあります。ついでにいうと、私は民間企業に所属しているし、しかももう 30 代のおじさんです。いろいろ考慮することになります。
そういうわけで、結局は、私の基準は私が判断するしかありません。以下につらつら書いています。
めんどくさい人を避けるために、念のために書いておきます。以下は、私の個人的な考えを記述しているだけです。別の人が別の考えを持っているのは、大いに結構なことであり、それに対し何らコメントはありません。また、以下を超える表現についても、私の目に入る分には、構いません。あくまで、投稿またはリツイート(リポスト)をする表現の自主規制について述べています。
セクシャル表現は、 CERO-C の “中間” くらいをボーダーラインとしています。この記事を真面目に読むような人には、これで「あのくらいか」と伝わるでしょう。
ゆえに、下着・水着は、基本的には NG 判定です。ただしこれも場合によります。『Fate/Grand Order』の水着キャストリアちゃんの第 2 段階の「これがバニーの呪いかぁ」の衣装は、極めて健全です。私も大好きです。結局は、自分の良識に従います。
恋愛表現もほぼ同義です。わかりやすい具体例を挙げると、『ゼノブレイド 3』のノアくんとミオちゃんだと、エンディングのシーンは投稿を避けますが、その他は投稿可能と判定します。
大学院に所属していた頃から、上記の基準で運用をしています。大きなディスプレイで SNS を開いた時に、際どい絵が出てくると、他の人が見るとセクシャル・ハラスメントである可能性が否定できません。このあたりが契機となって、基準を制定し、自主規制をしています。その頃から「健全判定が厳しすぎる」と言われます。しかし今後も、リツイートの基準はこれでいきます。
繰り返しますが、この文章は自主規制について述べたものです。私が見る分には問題がありません。絵師さんにおかれましては、もしこの文章を読んでいるならば、萎縮しないよう、お願い申し上げます。
ビデオゲームは、ビデオゲームの中で犯罪行為をすることと無縁ではありません。ある程度は投稿可能と考えます。極端な話、『ゼルダ TotK』で、フィールドの素材を採取することも、敵を倒して戦利品を得ることも、犯罪行為といえます。これらを投稿不可とする人は皆無でしょう。
例えば、不法侵入について。ゲームによっては、致し方がありません。もし NG ならば、ステルスもののプレイ動画は全編を投稿できません。それどころか RPG で主人公たちが進入禁止エリアに入ることや、敵の本拠地に押し入ること(『FF7 REMAKE』の神羅ビルなど)も NG になります。
しかし逆に、サイバー攻撃や金融犯罪については特に厳しく判定することになります。このへんも、私の属性上、やむを得ません。例えば『HITMAN 2』のニューヨークのミッションでは、銀行をクラッキングし株価を大暴落させるという内容のチャレンジがあります。当然、その様子は投稿しないことになります。
ついでにいうと、本当に重要なのは、内容です。敵と味方のどちらが善で、どちらが悪なのか。犯罪行為は、肯定的に描かれているか、否定的に描かれているか、など。結局は、総合的に判定することになるでしょう。
暴力表現は、直接的な表現になればなるほど、投稿しづらくなります。例えば『龍が如く』シリーズで、桐生が喧嘩アクションをするのは、傷害行為に他なりません。ゆえに、投稿しません。同様に『アサシンクリード』シリーズで、人を殺傷する場面も、投稿しません。種々のシューターにおいて、銃で人を殺害する描写も、投稿を避けています。
ただしこれもケースバイケースです。例えば『マリオ』シリーズで、マリオがクリボーを踏み潰すのも、クリボーからすれば相当な暴力行為であります。しかしだからといってこれを投稿するべきではないという人は、ほとんどいないでしょう。
この境界は果てしなく難しいと思います。例えば、『メトロイド』シリーズで、ショットやミサイルで敵を倒すのを投稿するのはどうでしょうか。私は OK だと思いますが、では、例えば、『FF16』で、剣や魔法で敵を倒すのはどうかというと、だんだん微妙になってきます。結局は、ケースバイケースでしょう。
幽霊やゾンビなどです。ものによります。あまりにもハートブレイキングな描写は投稿を控えます。しかし、どちらかというと通常よりは緩めに判定すると考えます。境界の言語化は難しいでしょう。
この辺はスタンスを決めていませんが、私はそもそもどれもやらないし興味もないので、通常よりは厳し目に判定すると予想します。
厄介なことに、時代によって許容される表現が変化する可能性があります。 2023 年現在の日本の基準では OK でも、例えば 20 年後にどうなっているのかはわかりません。
具体例を 1 つ挙げると、『ゼノブレイド 2』のヒカリちゃんは生足が露出しています。これは 20 年後の日本でも健全判定になるでしょうか。昨年の、この論点に依拠するであろう『原神』の対応を見ていると、実は微妙なラインではないかと思っています。 20 年後なり 30 年後なりに絵を見た人のうち、過激で見境のない人は、過去に遡って批判を加えるのではないかという可能性も想像しています。
しかし、今後何が OK から NG に変化するのかはわかりません。予想できもしない未来の批判を想定しながら SNS を使うのは、あまりにも酷であります。それは、今を生きる人に求められる注意義務ではありません。ゆえに、この論点は、割り切っていきます。
]]>ネタバレなしで書く。しかし、未プレイの人がプレイ前に知っておいたほうがよいと思われることは、書く。未プレイの読者で、厳密にネタバレなしの状態を維持したい方は、本記事を読んではいけない。しかし、そんなに完璧なこだわりをもつ方は、すでに、インターネット遮断の上 1 周目くらいはクリア済みであろう。
私の期待よりもずっと良かった。 2023 年に私がプレイしたゲームの中で、現状 2 位に入っている。これは私が Fate シリーズが好きだからだけではない。ゲームとして優れている。 Fate シリーズが少しでも好きな人は、ブランクに関わらず楽しめるであろう。
後述する通り、アクションゲームとしても快適である。特筆、キャラゲーとして優れている要素が盛り込まれているわけではないが、基礎体力が高いので、購入を検討する人なら楽しめる要素があるだろう。
プレイ時間は、かなり長くなる。しかし、少なくとも 1・2 周目にだるくなることはないであろう。これは、価格に見合った価値があるとも考えられるし、例えば勤め人ならば休暇の予定を調整しなくてはならないだろうとも考えられる。
ゲームの感想を書くときは、筆者がどんなステータスかを書いておかないと、読む方も困ると思う。なので、いつも通り、私の現状について書く。
現状、私は PlayStation 5 版の『Fate/Samurai Remnant』を 4 周した。全てのエンディングを見た。伊織もセイバーも Lv.100 まで育てている。プラチナトロフィーを獲得した。ただしこれからリリースされるであろう DLC については、全く知らない状態である。
難易度については、 1 周目は剣豪(最高難度)、 2 周目は剣鬼(クリア後に解禁される真の最高難度)、 3・4 周目は剣士(最低難度)と剣鬼を入れ替えながらプレイした。総プレイ時間は約 90 時間である。
『Fate』シリーズについては、各作品、ストーリーを大づかみにはしてあるが、細部までしっかりとはわかっていない。熱心なファンとは、とても言えないだろう。一応アニメは、『Fate/strange Fake』以外の全作品見ている。『Fate/Grand Order』は継続してやっている。
多くあるが、次の 3 つは読んでおくのがよさそうである。
「コーエーテクモが贈る、究極の聖杯戦争体験」という触れ込みであるが、これは正しいと思った。私がプレイした感想としては「プロであるコーエーテクモゲームスが、自らの得意分野を活かして作った、究極の Fate の二次創作ゲームである」となる。二次創作は、その愛情ゆえに、ときに、本家を超える。私は DL 版を 9,680 円で買ったが、その価値はあったと感じる。
シナリオの節々に、過去の Fate シリーズに見られた要素が散りばめられている。特徴的なセリフだけではなく、キャラクターの造形も、展開も、である。これはライターさんが、過去作品に詳しいからできることである。そういうところが実に、同人要素を感じさせる。もともと同人の文脈で型月は発展してきたので、むしろこういうところに、プレイヤーの多くは感銘を受けたのではないか。コーエーテクモ、なかなかやるじゃないか、と。シブサワ・コウさんも褒めていたが、ライターさんは非常に優秀である。
脱線するが、社長であるシブサワ・コウさんは相当なゲーム好きであると言うことが、上述の TYPE-MOON エースからも伝わってきた。『Fate/Grand Order』のヘビーユーザーであるのは、それだけでも驚異的であるものの、まぁ、わかる。しかし、『月姫』『まほよ』をやって、感想を具体的に述べられるのには驚きを感じた。私が 70 歳になってからはじめて、伝奇系ジュブナイル全開であるところの『月姫』をやって、何かを感じることができるだろうか。
『Fate/Samurai Remnant』をやって、コーエーテクモゲームスの印象が非常に良くなった。多分そういう人は多いと思う。私は、シブサワ・コウさんに感謝している。『Fate/Grand Order』のファンで、 TYPE-MOON に企画を提示してくださった。感慨深い。また、コーエーテクモゲームスと TYPE-MOON を繋げたアニプレックスの岩上さんは、いつもながら、更にファンからの信頼が厚くなったであろう。
戻る。ネタバレ無しなので、シナリオは多くは語らないが、新規サーヴァントと既存サーヴァントがうまく配置されていた。各サーヴァントの真名が徐々に判明していく状況となり、それがゆえに、 2 周目も楽しくやれた。コーエーテクモが作ったシナリオであるが、かえって原点の Fate に回帰していると感じた。
Fate シリーズは結局のところキャラゲーである。キャラゲーとしてもよかったと思う。
まずコーエーテクモゲームスがやるのだからということで、日本の江戸時代が選ばれたのは、当然、優れていた。シブサワ・コウさんが武蔵ちゃんの大ファンで、彼女を出してほしいと言っていて、それがきっちり通ったという。他のゲーム会社が聖杯戦争を作ると、別の時代と地域になるであろう。
グラフィックは、以下に述べる理由もあり、さほど高レベルとは言えない。アニメ調のキャラゲーに限っても、日本の大手他社のハイエンドゲームのほうが、より高いレベルを作る可能性はある。もっというと、近年の中国はもっとそうである。ただし、そこは Fate のゲームであることを考えれば、そこまで悪いことでもない。テキストがしっかりしていて、キャラクターの造形が深く、 2 次元絵がしっかりしていれば、ついてこれるからである。声優さんの演技も、立ち絵も、当然、素晴らしく、この点は何も文句がない。基礎体力がしっかりしている。
このゲームの成立させる上で避けられない最難関の要素は、主人公である宮本伊織がどうしてサーヴァントと戦えるのか、ということである。なぜなら Fate シリーズでは「マスターがサーヴァントにそうそう太刀打ちできない」からである。インタビューにも述べられているが、できないわけではないが、できるとしたら理由がないとおかしい。ましてや、これはアクション RPG なので、主人公もマスターも成長していく。だから、伊織がサーヴァントと戦えるようになるのは、時間の問題である。そのため、理由付けが大事である。その部分に対するフォローもきっちり入るので、これは Fate であるという風に、最後までクリアした人は捉えたであろう。この部分は、 DLC に続くのかもしれない。
私としては快適であった。
先程グラフィックが、さほど高レベルではないと書いた。しかし、フレームレートの低下がほとんど見られなかった。通常、グラフィックのレベルは、フレームレートの安定度とのトレードオフであり、後者をとった結果だろうと推測できる。
最近のゲームは、パフォーマンスモードを選んでも、フレームレートが安定せず、ゲーム体験が大幅に損なわれることが多々ある。フレームレートが低下するくらいなら、グラフィックはさほどよくなくてよいというのが、私の正直な気持ちである。この点、ここ最近の日本・中国のソフトは、北米・欧州のソフトより、優れていることが多いと感じる。この段落は、あくまで私の主観である。
『Fate/Samurai Remnant』の PS5 版では、フレームレートの低下がほぼなかった。私がプレイ中に見た限り、複数のマスター・サーヴァントが移動している場面でわずかにあったが、バトルシーンでは皆無であった。少なくとも、気が付かなかった。
アクションゲームなので、硬直が発生しないことは重要である。共鳴絶技や秘剣や魔術やサーヴァント交代は、押せばすぐに発動する。この点は、ストレスがなく、非常に優れている。ただし、当たり前のことであるが、アクションゲームであるので、やられている間は発動できない。何をどれで中断できるかを見極め把握するのも、アクションゲームでは重要である。
攻撃範囲もかなり広く、しかもエフェクトがわかりやすい。 Fate シリーズをキャラゲーとしてやる方の中には、ゲームが上手ではない方もいる。そういう方にとっては、画面の変遷が激しく、困難さを感じるかもしれない。
少し補足する。 Fate シリーズは、ストーリーを主に楽しんでいる人が多くいる。 ω-Force はカジュアルなアクションゲームを得意としているから、親和性は高い。しかし、普段のお客さんは『Fate/Samurai Remnant』の最低難易度をクリアできても、 Fate シリーズのファンにはゲームが得意でない人もいて、そういう人は最低難易度でも困難を感じたかもしれない。さらに踏み込んだ補助があると、よかったように思う。ただしそれが何であるべきかは、私自身もわかっていない。この件に関して論じると非常に長くなるので、不十分は承知でもここで打ち切る。別の記事に書くかもしれない。
これだけ要素があるのに、多くのサーヴァントが操作可能である。しかも個性的なアクションをする。私は、逸れのキャスターのアクションが使いやすいと思った。彼女はとくにそうだが、『Fate/Grand Order』の攻撃モーションをアクション RPG に昇華させたモーションが多く出てくる。ファン要素を感じる。
レベルアップ以外でのスキルポイントが多数獲得できるので、主人公・伊織も、そのサーヴァントであるセイバーも、必要な要素は伸ばしていける。
上述の「マスターがサーヴァントにそうそう太刀打ちできない」という要素をしっかり表現するために、外殻ゲージがある。これは、この要素を取り入れるための模範的な解答である。
以上を鑑みると、「快適」という言葉が、最も正しいように思う。 ω-Force 作品であり、聖杯戦争であって無双ものではないところに、きちんと落ち着いている。
このゲームはボリュームがかなり多い。次のような構造になっている。ネタバレ無しなので細かいことを省いて結論だけ述べる。
私は 1 周目をクリアするのに、 50 時間くらいかかった。トロフィーコンプリートには 90 時間くらいかかった。
多くのファンは 1 周目クリアではとても満足できないであろう。わからないで終わるからである。
このことをここに明記するのは、私の個人的な体験に基づく。
私は『Fate/Samurai Remnant』を 1 周クリアすれば、だいたいのことがわかるであろうと思っていた。休暇は 2 週間とっていた。しかしこれは、『Fate/Samurai Remnant』を 1 週間でクリアし、後半の 1 週間で『アサシンクリード ミラージュ』をクリアする予定であったからである。
そして、蓋を開けてみたら、この予定は崩れた。クリアしてから、 1 周目では、足りないことに気がついた。これは Fate を最大限リスペクトして作られている作品だから、『Fate/stay night』のように、マルチエンディング方式だったのだと。
幸いなことに、『アサシンクリード ミラージュ』は 1 週間で全実績解除までいけた。だから私は、『Fate/Samurai Remnant』の 2 周目をやるために、更に休暇を 1 週間延長することにした。しかしそれでも、まさか 3 周以上必要だと思っていなかったので、終わらなかった。これが顛末である。
念のために言っておくと、有給休暇は断続的にとっていて、祝日や他の理由の休暇も含めている。私にとって、ゲームを毎日毎日毎日毎日やるのは、通常勤務よりもずっとつらい体験である。ゲームの「休憩」として、研究開発業務をする。 3 週間をまるまる有給休暇としたわけではない。あと、補足をしておくと、現職がつらいと思ったことは 1 度もない。平日は、毎日、楽しい。
以上のことは、こうも捉えられる。すなわち、 3 週間にさらにその後の土日も足して、聖杯戦争に入り浸れたのは、満足度が高い。最近は物価高や円安で、ソフトの価格は高くなっているが、『Fate/Samurai Remnant』には、ソフト価格に見合った価値が十分にあったと考えている。
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