2022 年 12 月

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どうして、 12 月も、忙しくなってしまったのでしょうか。

11 月末、私には 2 つの道がありました。 1 つは、高度なことは他人任せにして適当にやる道。もう 1 つは、高度なことも自分で全部確かめてやる道。前者なら、 12 月には概要が判明し、のほほんと過ごせそうでした。後者を選ぶと、その終わりは、もはやわかりません。山に登ってみて、はじめて、本当の山の高さがわかります。

私が選んだのは、もちろん、後者でした。

なぜなら、がんばりたいからです。毎日毎日、自分のしたいことをがんばれるということが、どれほど貴重なことか、わかるからです。

だから、今の私が猛烈に忙しいのは、 100% 完全に、自分のせいです。

何度か書いてきましたが、私の半生は、簡単に言えば、私ががんばりたくても周りの人が潰す人生でした。 10 代のときは、最後の 1 年半を除いて、数学をやるな、勉強をするなと言われつづけました。 20 代は、先生の言うとおりに研究計画書を書いて、先生の道具を使って手を動かす人が出世する世界で、やる気をなくしていました。

つまるところ私は、 10 代も 20 代も、底辺社会を抜け出せていませんでした。あの 2 つの世界は、形が違っていただけで、その本質は一致しています。極論すると、暴力を振るわれたり、物を盗まれたりされないことくらいしか、違いがありません。このことに気が付きました。

現在の私は、以前と違うところがあります。やる気が、満ち溢れています。

先日、「高橋さんと話をすると、私もやる気になります」と言われました。これは非常に嬉しい言葉でした。周りの人の日々のご配慮のおかげで私がやる気になるだけでなく、今度は私が周りの人をやる気にさせています。

2023 年は「今までの人生で一番真面目に数学をやる」を目標にします。

私が一番数学を真面目にやっていたのは、学部 3 年生のときでした。やっても、やっても、終わらない。押し寄せてくる数学に対し、わかるところを少しでも増やすだけしか、せいぜい、できませんでした。このときが、 2022 年までの人生で一番真面目に数学をやっていたときです。次が、受験数学の勉強に燃えていた中学 2 年生から高校 1 年生の頃でしょう。

この 2 つは、美談であるかもしれません。しかし、数学に対して受け身であったという点が、欠点といえます。本来、数学は、自分でやるものです。自分が「これをやるべきだ」という対象を、よりよくわかろうと、日々努力する営みです。だから、来年更新することには、大いなる意味があります。

普通の人生における数学のピークとは、大学院時代の研究です。そこで授かった武器を、残りの人生で振り回し、徐々にしおれていく。これが人生の使い方の「正解」だと、私も存じております。でも、そうならない人も、いるじゃないですか。その人たちの方を見習い、続いていきます。