ぼざろを見た感想

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時間がないならば、時間ができたときに、勢いに任せて、だけど普段から考えていることを、記事として書くのがいいのではないかと、思うようになってきました。

私は読書よりも新聞読むのが好きです。かっこいい文章を書くことに憧れはありません。英語の日本語訳のような文章が、私にとって一番しっくりきます。ですから、校正を繰り返しても、記事は、よくならないのではないでしょうか。ならば、今日書きたいものを、書く。それが一番いいのではないかと、思うようになってきております。

今日は TV アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』について、私的な感想を書きます。今年の生活の振り返りは、また別の機会に。

この作品を見ていて思うことは、次の 3 つです。

  • 13 年間の業界の進歩が、作品になっている。
  • 演奏シーンに、物語が組み込まれている。
  • ギャグパートで過剰なまでに落とすのは、深く考察されたくないからではなかろうか。

この作品は『けいおん!』とよく比較されます。私の中ではむしろ共通点の方が多いのですが、しかし、京アニ+ポニーキャニオンと、 CloverWorks +アニプレックスという確実な違いがあります。あのときの京アニは、明らかに他の制作会社より数段階上のアニメを作っていました。その 2009 年から 13 年を経て、技術が普及し、技術が当たり前になりました。

そもそもアニメを見ること自体、何ら特殊な趣味ではなく、普通のことになりました。 2022 年に、我らがアーニャが『non-no』と『an・an』の表紙になり、声優さんがインタビューを受けていることを、 2006 年にハルヒのライブシーンを見ていた高校生の私に吹き込んで、果たして私は信じることができたでしょうか1。今の時代のこの状況は、制作側とファンが、業界を少しずつ確実に拡大しつづけた結果です。驚異的な進歩といえましょう。

アルバム『結束バンド』に収録されている楽曲は、本格的なバンドの楽曲です。誰がどのように聞いても、どこに出しても、絶対に恥ずかしくない、一流の曲ばかりです。今では「アニソン」というくくりはもはやなくて、アニメの主題歌になった「楽曲」があるだけなのではないでしょうか。紅白歌合戦でアニソンが歌唱されるのは今では毎年当たり前のことですが、これも始めから当たり前のことであったわけではありませんでした。私が河合塾行っているときに NHK-FM で「アニソン三昧」がありましたが、この企画自体がとても前衛的でした。残念ながら水木一郎さんはこの前お亡くなりになりましたが、当時最新のアニソンも公平に取り扱っていたのを覚えています。

歌を歌い、または、楽器を演奏し、または、ダンスを披露し、という要素は、一時期よりは落ち着いているかもしれないけれども、現在では、アニメの題材としては標準のものと言えるでしょう。高いクオリティの映像を見ると、もちろん、すごいと思うけれども、それはもう、それだけでは差別化できない時代です。ぼざろの演奏シーンのすごいところは、結束バンドの成長物語を演出しているところ、そして、そのことに説得力があるところです。アニメ本編を見た人は、もう絶対わかっているから、ここで改めて言語化はしません。はまじ先生のチャンネルの話を聞くと、そこまでやっているのかと、改めて思えます。

その一方で、ギャグパートで、ぼっちちゃんが奇行を繰り返すところは、少し引いたりもしました。でもこれって、意図的にそうしているのではないかと思い至っています。つまり、こうされると、どんなにエモいシーンを見ても、その後で、評論する気がなくなります。これが一種の防御になっているのではないかというのが、私の予想です。ぼざろは、音楽の追求、バンドに伴う主人公たちの成長、ぼっちちゃんの奇行を中心としたギャグパート、それらだけで純粋に構成したいのではないかと直感しました。「いまの世界でゲーム制作者や何かを発信する人はかなりのハンデを背負っている」という話を読みましたが、はまじ先生と Instant さんも生放送で、これと関連した話をしていました。その意図に配慮して、ここに具体的な話は、これ以上あえて書かないでおきます。

今の話を少しだけ延長するならば、私は「インターネット上、悪意は善意で上塗りできる」と信じています。 SNS の時代ですから、攻撃側がどうしても目立ってしまいます。だからこそ「このコンテンツは素晴らしい」と思うのならば、そのことを書いていくのが、適切な行動だと、考えております。時間と労力の成約はありますけれども。 Twitter に上がっている絵の作者さんに直接リプライしているのも、それが理由です。読者の皆様も、自分の好きなコンテンツに善意を返すにはどうすればいいか、思いを馳せてくださいませば、創作の世界が少しずつよくなってくるのではないかと思っております。

  1. この前の夕刊に、女性ファッション誌の変遷について連載がありました。 1 回目の記事の末尾に、アーニャが出たことに関連する記述がありました。すなわち、現在の読者の興味は、それぞれの読者自身の「推し活」なのだと。