16 年後の答え合わせ

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寝ることが幸せ

私にとって最大の幸せは、寝ることであると結論した。寝るために、日中、起きている。

人生でやりたいことは、全部やった。人生の目標は、全部叶えられた。

あとは、寝ることを楽しみに、残りの人生を生きていこうと思う。

学部 1 年生の頃の話

私が学部 1 年生の頃、線形代数の講義があった。先生の名前は調べればわかるだろうから書くと、海老原先生である。何度も言う通り、私は理科一類に不合格になっているので、2009 年度のことである。

人の話を聞く限り、私の所属していたクラスは、あまり良いクラスではなかった。雰囲気を伝えるために、一番象徴的なことを書く。

私が大学生だった頃は、メーリングリストでクラス内の連絡を取り合っていた。秋学期になり、このメーリングリストは途中からパッタリと使われなくなった。後で知ったのだが、心無い人が仲の良い人を選抜し、新しいメーリングリストを作って、私を含めた一部の人をハブにしたのであった。

話はこれで終わりではない。その後、半年後くらいに、新メーリングリストの中で対立が起き、新メーリングリストは真っ二つに分裂した。こうしてクラスは空中分解した。もはや、現代の寓話である。

最初の段階で、おかしいと思って声を上げ、反対の行動をする人が出なかったのだろうかと思う。

このうえ、数学と関係がない理科二・三類というクラスだから、線形代数の講義の態度は最低・最悪であった。講義開始から 30 分くらいすると、私語でガヤガヤしていた。昼間のファミレスのような状態になっていた。海老原先生は、前の方に座っているわずか数人のために授業をしている状態であった。毎週、埼玉県からわざわざ駒場に来て講義をしてくださっているのだから、なんて無念なんだろうと思った。

どれだけ血筋が優れていても、両親がカネを注いでも、良い環境を与えられても、試験で高得点をとっても、それでもいじめは起きるし、学級崩壊は起きる。

前置きが長くなった。この日記で数学の話をするためには、カモフラージュが重要である。それが終わったので、ここから本題に入る。

あるとき、海老原先生は、ファミレス状態である教室を見かねて、「線形代数は、実社会や医学とも関係があります」という話をしてくださった。「例えば MRI や CT のような画像解析では、計測した信号から画像を復元するときに、線形代数は重要なのです」という話であった。

私は自閉症スペクトラムなので、先生の話で印象的だった場面は、覚えている。この場面も、その 1 つである。そういうわけでこのことをずっと覚えていたが、どういう意味なのかがわかるまで、とても時間がかかった。

まず CT についてである。これはラドン変換・ラドン逆変換のことであろう。修士課程 1 年のときに、新井先生が 500 番台講義である基礎解析学講義で解説してくださった。「トモグラフィー」などで調べてみると概説が出てくるであろう。私の理解では、定義域が 2 次元の場合は、ラドン逆変換は解析学の意味でより正確に書けるというところが重要なポイントになっている。CT を浴びるのが、3 次元ではなく、2 次元断面図で済むというのは、人間にとってはとても幸運なことではないかと、当時、感想を持った。

ラドン変換は関数空間上の線形作用素であるから、当然、行列と行列式程度の知識では太刀打ちできず、学部 2 学期の線形空間・線形写像の知識が基礎になる。そういう意味でも、海老原先生が「重要なのです」と解説するのは理にかなっている。

次に MRI についてである。こちらは原理では、情報理論であるところのナイキスト・シャノンの標本化定理がポイントになるので、そんなに線形代数という感じではないと思う。しかし、この話は、圧縮センシングにより高速化することと関連している。詳しくは Candes and Wakin の解説1を参照してほしい。この日記は変な数学の人を寄せ付けたくないのであえて適当に書いておくと、標本化定理の要求よりもずっと少ない数しかデータがなくても、変換元と変換先の基底に非干渉性があれば、 $l^1$ 最小解を求めることにより、非常に高い確率で画像が再現できる。このことが Candes, Romberg and Tao2 によって示されていた。これにより、撮影時間の減少につながる。

示されたのは 2006 年、解説記事が 2008 年、海老原先生の講義が 2009 年なので、時期はぴったりである。海老原先生は、このことを指していたのではないかと、勝手に思っている。そして、このことをわかるためには、同じ線形空間でもノルムは複数入りうるということを納得していないと門前払いである。

CT の原理の話を知ったのは、講義から 4 年後である。MRI の高速化の話は、最近知ったので、講義から 15 - 16 年後である。数学の疑問は、そのくらいの時間をかけて解決されるものである。ある意味で「少年老い易く学成り難し」である。もしも、疑問の解決が、発芽して花を開くことに例えられるならば、そのためには、最初の種が蒔かれていることが絶対の必要条件である。あのとき、海老原先生がくださった種を、私は受け取り、植えることができた。当時の私はすでに不貞腐れていて、やる気を失っていたが、クラスの雰囲気に飲み込まれず、勉強する意思だけはあった。高度化が進んでいく現代社会では、線形代数に一定以上取り組んだ者と、最初から捨てた者の差は、ますます大きな差になっていく3

  1. E. J. Candes and M. B. Wakin, “An Introduction To Compressive Sampling,” in IEEE Signal Processing Magazine, vol. 25, no. 2, pp. 21-30, March 2008, doi: 10.1109/MSP.2007.914731. 

  2. E. J. Candes, J. Romberg and T. Tao, “Robust uncertainty principles: exact signal reconstruction from highly incomplete frequency information,” in IEEE Transactions on Information Theory, vol. 52, no. 2, pp. 489-509, Feb. 2006, doi: 10.1109/TIT.2005.862083. 

  3. つまり、この話には「花を開いた後の続き」もあるが、日記には数学の話を書かないようにしているので、そこは省略する。興味がある人は、研究開発に関係があるポジションで入社し、本社の中で私に聞いてほしい。