学生時代にやらずに後悔していること

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今日は早く目が覚めてしまった。学生時代にやっておくべきだったこと、後悔していることについて書く。

借金をしておくべきだった

一般的に、借金がどれほど有利な手段であったか(少なくとも私の学生時代まではそうだったか)は、信頼できる情報に当たればすぐにわかる。多くの人が借金について説明してくれているので、ここでは詳細には触れない。

話をややこしくしているのは、博士課程以降、私がリーディング大学院の奨学金を受給していたことだ。この状態でも低金利で借り入れが可能だったかどうかは、当時の制度をよく調べてみないとわからない。おそらく難しかったのではないかというのが直感的な印象だ。

しかし、学部生から修士課程までの 6 年間は、借り入れが可能だったのだから、その機会を活かしておくべきだった。

留年または休学をしておくべきだった

多くの人のおかげで、今の私は少なくとも自分が満足できる待遇を得ている。しかし、今の私には「学生に戻る」ということができない。

単に「もう一度学生になって研究がしたい」という話ではない。誤解のないよう、以下に説明を続ける。

現在の毎日はとても充実している。私は、自分が望んだ通りに、望むだけ、自由に研究開発に打ち込むことができる。その他の業務は極限まで少ない。そのため、今の仕事をやめて大学院に行きたいとは思わない。むしろ、それには意味がない。研究に没頭したいという理由で今の仕事を辞めて大学院に行くのは、矛盾している。

ただ、学生時代のように、まったく意味のない「空白の時間」を過ごすことは、今の私にはもうできない。会社は私に賃金を支払い、さまざまな制度を提供してくれている。その対価として、私が使う時間には、会社にとっても何らかの意味が求められる。裏を返せば、私自身の裁量でその時間を無価値にすることはできない。

ところが、大学院生であれば、それが可能だ。今になって思えば、それこそが、真の特権だった。

たとえば、勉強も研究もせず、好きなゲームを 1 年間やり続ける。毎日起きて、本を読んで過ごし、眠る。それで別にかまわない。何も生産しないし、稼ぎもしない。そういう「無意味なこと」に時間を費やせる余裕は、今の仕事をしている限り決して得られない。研究がしたいわけではない。研究は、就職後に好きなだけできるからだ。

このように考えてみると、もし過去の自分に対して今の自分の資産を「送金」できるのなら、資金的には十分可能である。これからも働いて収入があるのだから、なおさらだ。しかし、実際にはどれほど「送金」したくてもそれはできない。「過去を伸ばす」ことでしか、その経験は得られなかった。

体調を崩して留年したことは不幸ではあったが、こうした観点から見れば、留年できたのは奇跡的な偶然であった。たとえどれだけお金を支払っても、仕事を辞めても、今の私が 20 代の 1 年間を「空白の 1 年」に変えることはできない。ゆえに、欲を言えば、もう 1 年、留年しておくべきだった。

とはいえ、この選択もまた現実的には難しかった部分がある。私が大学院を修了したのは 2019 年 3 月だったが、もし 1 年留年していたら、修了は 2020 年 3 月。ちょうど最初の緊急事態宣言が出ていた頃だ。

この時期に大学院に在籍していた人々が、修了時に相当な困難を経験していたことは、言うまでもない。仮に休学していたとしても、コロナ禍をうまく乗り越えるのは難しかっただろう。たしかに、先に述べた通り借金はできたかもしれない。しかし与信には限界があり、何度も留年や休学を繰り返すのは現実的ではなかった可能性が高い。ゆえに、この選択肢自体が、そもそも幻だったのかもしれない。