2025 年 3 月 11 日

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今日も、くだらない内容を書こうと思う。

名前について

私の父親は、重度の自閉症スペクトラムで、毒親であった。国立大学に非常に強い恨みを持っており、私が 19 歳のときに、私を自殺未遂に追い込んだ元凶である。この話は何度も書いてきたし、もはや私の周りでは良く知られていることである。

そんな父親でも、良いこともしたということを書いておきたい。それは、私の名前をつけたということである。

私の名前には 2 つの候補があった。 1 つは「和音」であり、もう 1 つは「征爾」である。後者は、言うまでもなく、有名な指揮者である小澤征爾に由来する。前者は、これまた有名なピアニストである清水和音さんに由来する。

私が生まれてから、父親はこの 2 つで迷ったようである。そして、熟慮の末、私に「和音」とつけることに決めた。その理由は、はっきりとは聞いたことがないが、私は、ある別の根拠から次のように推測することができている。

1989 年の段階で、小澤征爾の圧倒的な地位は確立されていた。「征爾」と見れば、誰でもその由来が小澤征爾であることは推測できるだろう。しかし「和音」はどうだろうか。当時の清水和音さんは、 20 代で、実力ある若手であった。だが、クラシック音楽に興味のない一般の人でも知っているというレベルではなかった。それでも、クラシック音楽に精通する人なら、その由来ははっきりとわかる。「わかる人だけに由来をわかってほしい」という意図が、彼の中にあったのだろう。こうして、私の名前は「和音」になった。

今まで 35 年以上生きてきた。その間、私の名前が清水和音さんに由来していることに気がついた人は、 20 人くらいいたと記憶している。ピアノが好きで弾ける人でも、彼のことを知っている人は少数なくらいであった。しかし、現在の清水和音さんは、今でも多数のコンサートをこなす実力派ピアニストである。また、後進の指導にあたっている。父親のクラシック音楽への審美眼は、 35 年の時点で、絶妙なレベルで正解であったことになる。

私は「和音」とつけられたことに、非常に安堵している。「征爾」よりも、画数が少ないからである。小澤征爾は、死後も世界にその名が轟き続ける大指揮者であるが、そんなにすごい人にあやかれていたとしても、自分の名前を書くたびに画数が多くて苦労をするのであれば、日常生活が憂鬱になっていたかもしれない。私は数学や計算機やファイナンスといった、数理活動の中で生きている人である。自分の名前を筆記することは、決まり切った記号を書く動作に還元される。その動きが、簡単な漢字で実現できることは、得なことである。

最後に、余計な一言も述べておく。「和音」という名前を、何か女の子の名前のように勘違いしている人もいる。女の子につけてもよい名前だと思うが、男の子にもふさわしい名前である。立派な由来があるのだから、そこに違和感など、ありえるはずもない。こういうわけだから、私の名前は、初対面の人間の “バカ発見器” として機能している。自らの教養の無さを告白するだけならともかく、そもそも、きちんと考え抜かれてつけられた名前を揶揄するのは、言語道断である。確かに、私の父親は、人間としてカスであるのは、客観的に見ても否定できない。しかし、私の名前をつけたことに批判が及ぶのはおかしい。そういうわけで、軽んじるべき人間が、大したことがない人間ですよと自ら教えてくれるのは、ありがたい。