近状 2022 年 6 月

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近状

予想よりずっと忙しくなっています。突発的にタスクが入ると、どうしようもありません。今年は大きく 2 つはいってしまったので、しばらくはやるものが固定化されるでしょう。

いくつかの事項は諦めざるを得ないでしょう。例えば競技プログラミングの記事を少し書くという話を以前しましたが、今年はこれ以上書けないかもしれません。犠牲にする他ない状況になっています。

日記を書くのは情報漏洩のリスクがあるので、どうしても具体的な記述には限界があります。

2022 年の目標の振り返り

6 月ももうすぐ終わりそうなので、半年前に立てた 2022 年の目標を振り返っておきましょう。これも、公表した分だけです。

  • 脳トレ、鬼トレを毎日やる。

脳トレは毎日やれていて、現状は完璧です。鬼トレは、毎日はやれていません。これは理由があって、寝る前に鬼トレをやると寝づらくなるからです。この傾向があることに気づいてからは、夕食以降はやらないようにしています。

2022 年 6 月 11 日、直前写真の世界大会記録を更新しました。つまり、現在私が世界大会記録保持者です。

これで 7 回目の優勝でしたが、とうとうタイトルホルダーになりました。

  • 音読を毎日する。
    • 1 日 10 分を目安とする。

ほぼ毎日やれています。やれていない日は、喉が痛い、鼻水が出ているなどの日です。題材は読売 KODOMO 新聞と読売中高生新聞を使用しています。まさか日本経済新聞を音読するのが妥当なわけもないので、いろいろ考えた結果、小中高生向けの文章なら音読しやすいのではないかと思い、こうしています。どちらも非常に勉強になっています。特に、読売 KODOMO 新聞の特集ページは、普段触れることのない話題が出ています。

こういうことがありました。最近 XBOX Game Pass で HITMAN 3 をやっています。そのうち、 1 つのミッションは、コロンビアで行われます。コロンビアのマップでは、カエルを捕獲することができます。そしてこのカエルは致死性の毒として使用されます。(以下の動画には人を殺傷する場面はありません)

このことが、さも当たり前のようにゲームの中で行われているので、どういうことなのかよくわかっていませんでした。そうして、先週 2022 年 6 月 9 日号の読売 KODOMO 新聞に目を通していると、カエルの特集が組まれていました。そこに、写真が載っていたのです、コロンビアで捕獲した、あのカエルの。説明を読むとこれは、モウドクフキヤガエルというそうで、代表的な毒ガエルだとのことでした。コロンビアの原住民が煮詰めて吹き矢に塗ったカエルだと。ゲームの中で当たり前のように出てくるので、ある程度知識があると常識なのかもしれません。しかし人の知識は偏っているものです。こういう発見のある記事が、様々な分野で毎週載ってくるわけで、目を通し続けるのは楽しいものです。

  • 新聞を毎日読む。
    • 最長でも 1 日 2 時間以内とする。

ほぼ毎日やれています。日本経済新聞を読みます。ただし今は忙しくて、今は 1 日あたり 2 時間に肉薄するような時間まではできていません。しかし最短でも 1 日 20 分は読むようにしています。やれていない日は、体調を崩した日などです。

  • 本を 100 冊読む。
    • 音読用の本を含めない。業務上読む本を含めない。理系の学術書を含めない。
    • 多くは読まないが、小説を含める。
    • あまり読まないが、漫画も含めない。

今の所 67 冊です。 3 月まではまで順調だったのですが、この記事の冒頭の状況により、厳しくなりつつあります。大変不本意ながら 100 冊はいかないかもしれません。新聞を読んでいますし、英語の記事を Asahi Weekly で読んでいますので、本を読む時間がないのはそこまで物足りなさを感じません。カウントを伸ばすためだけに冊数を稼ぐのも間違っているように感じますし、達成しなくてもよいでしょう。

  • コンシューマーゲームを 1 年間で 400 時間やる。
    • 脳トレ・鬼トレ・リングフィットを含めない。
    • スマートフォン向けゲームを含めない。
    • あまりやらないが、アーケードゲームと競技プログラミングを含めない。

忙しくて一時期できていませんでした。今は、意識的に増やすようにしています。なので達成を諦めていません。

カウンセラーの先生から「高橋さんの場合、人に合わせるだけではなく、余裕の時間をとるように」と言われています。ゲームの時間を削って、研究活動することは、可能か不可能かで言えば可能です。しかし、その場合ストレスが溜まって効率が落ちてくるのも確認しています。限界の 50% くらいでやるほうが、後の理解度で優れてきます。ゲームやる時間を頑張って作るくらいでないと、もたないです。

ありがたいことに、やりたいゲームがいっぱい発売されます。 2022 年 7 月の『ゼノブレイド 3』と 2022 年 12 月の『魔法使いの夜』は、休暇を取得してやります。ゼノブレイド 3 の全要素をやりきるのは難しいものの、休暇終了後も、心ゆくまではやりたいものです。FF7 REBIRTH (2023 年か 2024 年冬) は休暇取得せずコツコツやります。ゼルダの伝説 BotW続編 (2023 年春) と FF16 (2023 年夏) もやるでしょう。 Xbox Game Pass でも何が出てくるのか追いきれていないくらい出るので、しばらくは生きる希望に溢れています。

  • リングフィットを始めとするトレーニング系を合計で 1 年間で 150 時間やる。
    • トレーニングしている正確な時間ではなく、ソフトを起動している時間・動画を再生している時間を基準に考える。

これは「筋肉体操を週 3 回やる」に変更しました。谷本先生の『みんなで筋肉体操語録』を読んで、実はあのトレーニングの隅々まで考えられているとわかりました。特に 1 週間に 3 回、しっかりやるのが大事だとわかってからは、そのようにしています。

底辺を書く気がない

底辺社会について、書く気がなくなっています。その理由はいろいろありますが、中でもアイコンを描いてもらったのが大きいと感じております。非の打ち所がないアビーちゃんのアイコンを描いていただいたので、底辺社会のことを書く気に全然なりません。

学校に最後まで行くと、学校に就職することが多いです。しかし、もう私は学校に行くことはありません。すなわち、底辺社会との縁が切れたということです。実際は、研究を生業とする方は、学校に所属していることもそこそこ多いので、そういう意味では学校との縁は続いていくと言える余地はあるかもしれません。しかし、別に学校に所属している人に恨みがあるわけではなく、どうしようもない底辺社会から距離をとれているということです。

補足

上述の内容だけだと、真意が伝わらない可能性があるので補足しておきます。「学校が底辺と読めるが、どういうことか」となりうるからです。補足するためには、どうしても底辺の例を書く必要があるので少し書きます。ここでの底辺社会というのは、例としては、以下のものを指します。

  • 女子学生がのぼせ上がった上級生や下級生から不適切な行為を受ける。
  • 教授が学生に電話をし昼食を毎回下町に買いに行かせる。
  • 自分は研究に一切参加していないけど名前だけは論文に書いておいて、研究成果としてアピールする。
  • 教員の指示で研究計画書を書いて、教員の与えた道具で論文を生産し、学位習得後も共同研究者を見つけて寄生しながら生きていく。
  • 受け入れ教員の指示で使うものですとカネに清廉な姿勢を見せる一方、気に入った学生のためなら都合よくゆるくなる。
  • 目上にヘコヘコする分、目下の者に当たり散らす。飲み会で不満をぶちまける。特にもっと成功しているライバルに嫉妬する。

私は今こういうのとは完全に無縁です。

もっとすごい底辺の例だと、暴行、傷害、窃盗などの刑法上の犯罪行為が加わります。実際私は、高校まで被害を受けてきています。大学院はそういうのはありませんでしたが、大学院という場所は誹謗中傷と名誉毀損にあふれるところでした。そんなところでやる気が湧くはずがないし、生きていく必要もない。

こういうのを、信仰心の厚くて清廉なアビーちゃんのアイコンで詳しく書く気になれますか。私はとても嫌です。なので書きません。許しもしないし、なかったことにもしませんが、もう無縁なので書きません。底辺は救いようがないので、底辺同士でやりあっていればいいと思います。

やる気に溢れる

現職とそれ以前の違いを述べると、「やる気にあふれている」ということに、全てが集約されます。

精神論で恐縮ですが、学生時代と比べて、やる気は 10 倍くらい出ています。そしてそれがずっと続いています。だから、自然な帰結として、研究成果が出てきます。

研究成果が出ているのは、毎日取り組んでいるからです。毎日飽きずに取り組めるのは、やる気があるからです。そして、やる気が溢れているのは、周りの人が私のやる気を失わせないからです。

私にとっての幸せとは、自分の労働時間のほとんど全てを使って、自分の興味のある勉強と研究をすることです。幼い 10 代の頃から、ほとんど何も変わっていません。一見するととても簡単なことです。しかし、これが叶うかどうかは、周りの人次第だと実感しています。底辺に囲まれていると、やる気がなくなります。

私の今までの人生で、これが叶ったのは、現職を除くと 2 回しかありません。 1 回目は、河合塾に行っていたときです。どれだけ受験勉強をしても、どれだけ入試問題を解いても、周りの人は誰も怒らなかったのです。 2 回目は、学部生時代です。学部は予備校に近いので、やはり、どれだけ数学や計算機や英語の勉強をしても、周りの人は誰も怒らなかったのです。それどころか、もっとやれと言ってくる。限界を超えて体調を崩すと心配されるのも共通していました。

現在は「自分の興味のある勉強と研究をする」が、最高レベルで叶っています。ゆえに、今が、今までの人生で、最も幸せです。しかしこれで終わりではありません。現状以上の環境を目指し、より一層上に行きます。