出世について
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会社は私を偉くする気が全くないだろう、ということを書こうと思う。
私は、定年退職までずっと今の職位のままであろうと推測している。その理由を述べる。
前提
会社の存在理由
そもそも、会社の目的とは何であろうか。当然、利益を出すことである。会社の利益の大半は、利益が出て当然の場所から出ている。そして、その部分を来年度も続けていくことが、会社の存続理由のこれまた大半である。
それらの部門における利益の出し方は、個別の事情こそ異なれ、全体としてはかなり定型化されている。そして、それを回すのに必要な人材は、実は、現場の人間ではない。 CEO と社長であり、取締役であり、役員である。その選抜のために、出世制度がある。
立派な利益製造装置がすでにあり、それを維持していかないといけないからこそ、未来の CEO を選抜するための昇進制度がある。結局、会社というものはそういうものである。理にかなっている。
出世のルール
このような側面から考えれば、出世をするためのルールも見えてくる。
- 偉い人の指示に従い、駒として使えることを体現する。
- 言われた通りに、期待通りの利益を出すことが重要であり、それを上回る最適化まではしてはならない。
- 部下を持ち、管理するという実績を積む。
- まずは中間管理職から始め、徐々に担当範囲を大きくしていく。使えない部下は替えが利くが、上席者として大きく躓かないことは見られている。
- 提案をし、実行し、偉い人を愉しませることができる。
- ここでは、多少赤字でも構わない。それは「挑戦」「経験」とみなされ、後に偉い人になったときに、その失敗経験が生きると考えられる。
幹部選抜レースのルールとして、これは理にかなっている。
私が出世ルートから外れている理由
以上を踏まえると、私は全項目で完全に落第している。以下、その理由を述べる。
私が自分でやったほうがうまくいく
まず 1. について。上が指示する項目はうまくいかず、私が自分でやった内容は 1〜2 年後に成功例につながっている、という不都合な事実が明確になっている。もう、ごまかしは効かない状況である。
当然のことである。学術業界において研究指導をするには、少なくとも名目上、准教授以上の職位が通常必要である。それくらい、研究開発というものは難しい。訓練を全く受けていない人が、実務の論理だけで研究開発の方向性を示すなど、無謀である。当社には実務の「天才」たちが、自称も含めてたくさんいる。しかし、人類の叡智の積み重ねの前では、その「才能」を発揮する余地は全くない。他方、私が自分でやれば、人類史の過去・現在の英傑たちが味方になる。すると、問題のほうが遅れて現れ、やがてうまくいく。
しかし、だからこそ逆説的に、私は 1. を満たすことができない。変な話だが、私がやったことが尽く失敗し、上の命令が須らく成功するという「二重の逆転現象」が起きれば、私は 1. を満たして出世街道に乗ることになる。研究開発は、とても難しい板挟みを抱えている。
部下につけられる人がそもそもいない
次に 2. について。ここでは、そもそも部下につけられる人がいないという問題がある。
研究開発の人を採用するのはどうか。日本の大学院の仕組みだと、博士課程やポスドクは、研究者製造工場としては一応機能している。しかし、その側面があまりにも強い。そこから、実務に向いている人を選抜する方法は、全く思いつかない状況である。
それ以外の人を下につけるのはどうか。ここでも、先ほどと同じ問題が生じる。すなわち、学界の訓練を受けていない人に研究開発の機能を要求するのは困難である。先ほどは上の問題だったが、今度は下の問題になってくる。上の問題ならば、「私が自分の思ったとおりにやる」で暫定的に解決できる。しかし、下の問題は若手の職業人生を左右する。ここで大胆な決断をすることはできない。
かくして、私には部下がつかない。2. は不可能である。
補足をすると、そもそも以下で述べるように、私は中間管理職になりたいとは思っていない。それは、文字通りの意味で、人生の終わりである。
偉い人が納得するのは後になる
最後に 3. について。私は研究開発を中心に発想するので、その適用先は必ずしも利益を生み出す花形業務とは限らない。また、最適化される部門そのものに、やる気がなければならない。そして、偉い人が納得するのはいつも後になる。
私が利益を付け加えたとしても、会社全体の莫大な利益から見れば取るに足りない。また、先回りして重要な助けをしたとしても、結局それは助走に過ぎず、決定打を放つフロント部門や幹部候補が 100% の恩恵を受ける。
会社の中で、本当に危機感を持って仕事をしている人は少ない。今の海路の延長線上に未来がないということは、外から指摘されるまでもなく、誰もがわかっている。しかしそれでも、偉くなるという誘因の前には、ほとんどの人がひれ伏す。
そういった中で、わかりやすい物語を構築して利益につながるかどうかよりも、正しいことをやることの方に優先順位を置いてしまう研究開発では、永遠に 3. を満たすことはできない。
出世ルートから外れている利点
ここまで欠点を書いてきたが、利点もある。
利点
まず 1. が潰れているということは、私は一生、「私が自分の思ったとおりにやる」を通すことができる。偉い人が命令をしようとしても、それは「私が自分の思ったとおりにやる」の下位互換である。やがて私の周りではそれが常識となり、上に立つ人が変わっても命令しなくなるであろう。
次に 2. が潰れているということは、私は一生、中間管理職以上の管理業務と無縁でいられる。上席者の予定表を見ると、朝から晩までびっちりと埋まっている。それを見るたびに、絶対に自分にはこなせないと戦慄する。こんな職位になったら、私は体調を崩し、必ず退職に追い込まれる。普段、在宅勤務中心で好きな本や論文を読んでいれば許してもらえるのと比べれば、どちらを取るべきかは明白である。
最後に 3. が潰れているということは、私は一生、地道な研究開発ができるということである。研究開発は、始めた段階では直感で始めるしかない。「これはきっと当社の役に立つ。なぜなら今までの人類の歴史では」のような話しかできない。だが、1〜2 年後くらいに、問題のほうが遅れて現れる。そして初めて、有用性がわかる。これが当たり前になると、「あいつはそのままにしておこう」ということになる。そして今、実際、そうなっている。
処遇の問題は残る
こういうわけで、私にとって「会社は私を偉くするつもりがない」というのは、必ずしも悪いことではない。私に対して、潜在的な出世というカードを切って命令することができない、という意味になる。
しかし現場の方は、ありがたいことに、私の待遇をよくしようとしている。ゆえに、明確に、私の処遇に困っているように思う。いつも私に、私の時間を自由に使わせてくださるにもかかわらず、困らせてしまっているのは、この上なく申し訳がない。
上で述べた通り、私は今のままで十分である。現状の待遇が維持されるなら、定年退職まで今の職位を続けることに何ら不満はない。上席は「正しいことをやろう。見ている人は必ずいる」という。そうであれば、なおよい。