研究と勉強
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研究者の方は昔から、アドバイスとして「勉強しないで研究しろ」のようなことを言います。これは正論ですが、行き過ぎるような部分も、最近目にするようになってきました。
私は、このような主張を論評をするつもりはないものの、考慮に入れておくべきことがあると考えていますので、書いてみます。
考慮するべきこと
彼らには、厳しい時間制限があるということです。
若いときに、実力以上の業績を出すためには、様々なテクニックが重要です。いちばん重要なのが、人間関係です。学生なら、先輩や先生と親しくなれば、ヒントを貰いながら問題を解くことができます。偉い先生に、こいつは伸びる、手元においておきたいと思わせるのも重要です。
また、就職後は一転して、大学や学術業界のスタッフとして立派であることが求められます。逆に言えば、研究については、学生時代ほどの成果は求められなくなります。
数学では特にそうで、名前は出しませんが、学生〜ポスドク時代の成果を超えられない人は多くいます。また、学位取得後しばらくすると、課題が枯渇してしまいフルモデルチェンジが必要ですが、今度は上記のような補助がないので、仕方なく学生時代得た道具で再放送を続けるしかない人もいます。
こういう状況ですと、大学院入学後からは短距離走が始まっていることになります。いかに基礎の勉強をすっ飛ばして、 1 日でも早く大きな研究成果にたどり着けるかが問われます。
逆に言えば、その短い時間に最高の生産性を達成できれば、それ以降は摩耗してもかまわない。生き残れないなら “人生の終わり” で “意味がない” からです。指導者からは「勉強ばかりしてはいけない。勉強しすぎてはいけない。研究に集中しなさい」と必ず言われるでしょう。
異なる景色
上記の状況は十分わかっていますし、それを完全に否定するつもりは全くありません。しかし、私から見えている別の景色も、以下、指摘します。
今の私は退職まで 25 年以上もあり、私が望むならその期間ずっと研究開発ができます(私は将来代表取締役 CEO になりたいとは全く思っていません)。天寿が全うするまで 50 年以上あります。これだけあって途方にくれているのに、半年 - 数年で済む基礎の勉強を、適当に間引いて圧縮することに、意味を感じることは難しいところです。
また、周りの人は正解の方向すらも知っていない状況です。進化していく現代社会についていきながら、「こうすれば儲かるのではないか」と新しい発想を試す必要があります。
こういうときに役に立つのは、自分の手を動かせる事実だけです。ともすれば先端を追いかける研究者からバカにされるタイプの枯れた知識のほうが、ずっと成果につながることもあります。
何が言いたいかというと、アカデミアにいらっしゃる立派な先生が「勉強よりも研究」のようなことを若い人にアドバイスするときは、少し割り引いて考えないと、偏った考え方になってしまう可能性があるということです。各人、得意な時間軸というものが異なるでしょう。
自分にとって幸せな人生とはなにか、そのためには何をするべきか、各人にとっての正解を見出すべきであります。
その他
研究者は学歴コンプレックスになりやすいので、腹いせに「勉強ばかりしているやつらは落ちぶれた。研究で俺は圧倒した」のように強がる人もいます。
研究者は頭が良いので、お金に興味がないと言いつつ、実はカネ大好きムーブをする人も多いところです。それで嫉妬心で「勉強」を叩いてしまう。このような場合、医師や弁護士を揶揄している傾向にあることも覚えておくと、役に立つこともあるでしょう。
研究者はエリート意識が強く、「育ちの良い人間が、底辺出身の人間に 1 つも負けていいわけがない」と心の底では思っている人もいます。点数で合否が決定されることにつながる「勉強」を貶めずにはいられないという考えの人もいます。こういう人は、幼少時や 10 代の体験や、立派な方に個人的につながっているエピソードをよく話す傾向にあります。
話者によっては、この 3 点も割り引いて考えたほうが良いでしょう。
今指摘した 3 点は、研究者だけではなく、民間で立派な職位に就いている人も陥っていたりもするので、よく注意しておく必要があります。