好きな言葉について

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序文

労働時間の管理の関係で、土日に論文や本を読むことには、少なくとも、ためらいがある。とはいえ、つい考えてしまうのが常である。現在の私は、一部の例外を除けば、休日を自由に使ってよいことになっている。しかし、それでもこうしたことをしていると、いつまでも気が休まらない。

この前の「私の履歴書」で、オプジーボで著名な本庶先生が、「ゴルフをしているときは研究を忘れられる。一度頭がリセットされる」といった趣旨のことを書かれていた。私にとっての “それ” は、言うまでもなくビデオゲームであろう。フルボイスの 3D CG でシナリオが展開されるゲームは、時間がかかる。そこがよい。洗濯物を畳んだり、本棚を掃除したりもできる。

朝早くから仕事を始めると、やはり労働時間の管理上問題が生じるので、本日の早朝は文章を書いてみる。

好きな言葉

組織が定めた規範の中にも、好ましいものはある。ここではそれとかぶるものは除外する。日記は組織とは関係がないからである。

以下に挙げる言葉は、必ずしも原義に忠実ではなく、私なりに 別の意味合い を付与している。その点を太字で強調しておく。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

資本主義社会においては、物事が順調なときには加速していくのがよい。というより、そうする他にない。また、たとえ順調でないときでも、周囲の人々に感謝する心は持ち続けるべきである。したがって、自分が順調であるかどうかと感謝の質とは、関係があるべきではない。

私の勝手な理解では、うまくいっているときほど、丁寧な仕事をせよ という意味である。順調に出世すると、早々に一国一城の主のような大きな気持ちになってしまう人はしばしばいる。そうして奢りが生じ、やがて躓く。そうなる人とそうならない人の分かれ目は、順調なときにより一層丁寧な仕事ができるかどうかにある。

神は細部に宿る

Fate/Grand Order が好きな人は、皆この言葉が好きである。本当だろうか。

すべての権力を、まるで神から授かった自らの権能だと思い込んでいる自己中心的な人が上にいると、細かな改善点を積み重ねることは、極めて報われにくい行動に思える。やる気を失ってしまうかもしれない。

私の勝手な理解では、細かい改善点でも、見ている人は必ずいる という意味である。「こんなことをしても意味がないのではないか」と思われるようなことでも、見ている人はいるものである。数年後に報われることもある。1 回目の成功は偶然と片づけられるかもしれないが、2 回、3 回と積み重なれば、偶然とは言えなくなってくる。意欲をそがれることなく、そこまで辿り着くことが大事である。

勝って兜の緒を締めよ

私の勝手な理解では、他の人が休憩しているときに、働くべきだ という意味である。たとえば試験が終わった後、大半の人は休憩に入るため、施設が空いている。ゆえに、快適に勉強できる。そのうえ、間違えた箇所の反省もできる。また、ゴールデンウィークの中日やお盆休み、年末年始、長期休暇期間中は、電車も会議室も空いているので、出勤にぴったりである。こうした時間を有効活用できるかどうかで、明確に技能や理解の差がつく。

このような行動は、思いつきでやるのではなく、10 年、15 年という長期にわたって継続すべきである。

有給休暇は、普段働いているときに過密スケジュールを避けるために使えばよいであろう。ただし、ここに書いたことは理想論であることも付記しておく。他のメンバーや家族の都合もあり、他人と休みをずらすことができない場合もありうる。