2024 年 1 月 3 日

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今日書きたいことは、一言で言うのがとても難しい。順番に書いていこうと思う。

まず、私は受験秀才ではない。例えば大学で職を得ている人であれば、本当の受験秀才と私程度の人間の違いを理解しているはずである。実際、私と親しい人ほど、私のことを受験秀才だと認識していない。どのように認識しているかは、後半で書く。

私は、問題を解くのは確かに人より好きだし、問題を解けるようになる方法を編み出すのも好きだとは思うけれども、本人は試験には特段強いわけではない。実際、東京大学に不合格になっている。また、医学部医学科に進学した場合、現役で医師国家試験に合格できたかどうかは微妙だと思う。 1 年か 2 年は留年すればそのうち受かりそうではある。このようなレベルの人間を受験秀才とみなしてしまうのは、視野の狭さを露呈するものではなかろうか。

大学でやるような研究は、先人の残してきた研究成果を思う存分使い、その一歩先を進むということである。受験勉強は、限られた試験範囲の道具をうまく使い、過去問が通用する範囲の新規問題を解くということである。どちらも、先達研究者や指導者に評価されるように既存の分野の練度を効率的に高めていく必要があり、私としてはむしろ苦手としていることである。

現職についてから資格試験を受けることも多いが、人よりもはるかにたくさんの勉強時間を確保できているから合格しているだけである。研究開発の専属という立場から、上席者の計らいにより業務時間の一部を資格試験の勉強に充てられている。資格試験の良質な過去問から得られる知見は、研究開発に役立っているため、この時間の使い方は認められている。

それでは、周囲からは、私はどのように認識されているか。初見の問題を解くのが上手い人として認識されているようである。企業における研究開発では、既存の知見の練度を高めるよりも、初見の問題を新たな発想で解くことのほうが価値が高い。

関連するビデオゲームの話をする。発売日にゲームを購入し、攻略情報を見ずに初見で通しプレイをすることを私は好む。この遊び方は、初見の問題を解く最善の練習となっている。

2020 年代に入り、最先端のゲームは 42 日間で 1 バージョンが消費される時代となった。大規模なメインストーリーとイベントがこのペースで追加され、新キャラクターが 21 日に 1 回実装される。そのため、 3 ヶ月後には、同じタイトルの全く別のゲームをプレイしているような状況となる。

ゲームにおいては、知見が集積されるのではなく、破壊されるという時代になっている。例えるなら、数学の定理の証明が 42 日後に間違いになってしまうようなものである。この環境は、業績が集積していく分野を得意とする人との相性が悪い。攻略情報が練られている暇がそもそも無いからである。プレイヤーとしては、他人の攻略情報の知見が高まっていくのを待つのではなく、自分なりに練習を重ね少しでもできるようになる方が、ずっとよい結果につながる。

情報化の進展により、一度は攻略情報が容易に共有される時代となった。しかし、さらなる社会の進化により、知見の集積に追いつく前にゲーム自体が進化する時代となった。情報化社会は、一周回って、プレイヤーを原点に立ち返らせた。