受験数学の勉強法について語らない理由

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結論を言うと、私は受験数学の勉強法については語りません。

私の高校数学の実力

まず最初に言っておきたいのは、私は受験数学は得意な方だったと思う。世の中上には上がいるが、大学の数学科に進学を決意できるくらいには得意だったと思う。

私が数学科に進学することを決意できたのは、色々な理由があるのだが、一番大きいのは河合塾時代にテスト演習の時に木村先生に答案を非常に高く評価していただいたことである。プレミアムコースでは 2 学期はテストゼミになる。数学の論証を受験生に指導するのは難しい。私しか正確にできていなかった問題が結構あったらしい。完璧な論証を書いていることを何回も高く評価してくださった。木村先生は数学科から数理科学研究科に行かれた方で、現代数学の訓練を受けている。その先生がいい答案だと言ってくださるのであれば、大学の数学もきっと消化できるだろうと思ったのが大きい。そのくらいには実力があった。

私は受験数学の敗者

しかし、受験数学の目的は、大学入試で点数を取ることである。その意味で私は敗者である。問題が難しすぎて、点数が十分取れなかった。正確にいうと、 あの 2 年間で東大を受験をした人は、ほぼ全員が受験数学の敗者であっただろう と思う。一部では戦後最難と呼ばれている 2 年間である。言い過ぎを承知で言わせてもらうと「数学の試験をしなかったのと同じ」という状態であった。

その敗者である私が、河合塾時代にとった行動は、つまりは以下のことだった。

  • 国語で 7 割、英語と理科で 9 割の得点を出せば、数学が同じ点数でも合格する。それどころか 0 点でも合格する。

そして国語・英語・理科に関してはこの通りになった。数学は少ししか点数が上がらなかった。つまり私は 2 年連続で受験数学で敗北した。しかし 1 年目は不合格、 2 年目はむしろ合格最高点に近かった。

敗者である私がどのように 12 歳から 19 歳まで数学を勉強したのかは、とても自信を持ってはオススメできない。その勉強方法が間違いでなく、むしろ正しかったであろうことは、今から見てもそうだと言えるのだが、では肝心の入試問題で点数を取るということに関して言えば、わからない。あの 2 年間は極端に難しかったとは言え、その入試で点数を十分取れなかった事実がある以上、私に勉強法を語る資格はないと思っている。

今はそれから 10 年経過しているけれども、私が受けた入試問題を見直しても、当時の自分は何をどのように勉強しておけばよかったのかわからない。というか このセットを作った教員は受験生の何を試験したかったのだろう と今からも思う。肝心の東大入試がそんなものである以上、私は受験数学について詳細な勉強方法は語らない。

補足:高校数学と受験数学の違いについて

高校数学は、大学数学の高校版だというつもりで書いている。つまり教科書の内容が正確にわかって、章末問題がきちんと解ければ十分な実力があると言える。これはどうやって勉強したらいいのか、私もわかっている。つまり大学入試を抜きにすれば数学の勉強法はわかっている。

受験数学は、高校数学を使って、大学入試に出るような難しい問題を解くことを指す。だから山ほど受験参考書が出ていて、一大産業になっている。受験生は捻ったややこしい問題を短時間で解けるようにしないといけない。これは私はどうやって勉強したらいいのかよくわからない。もちろん東大入試がアホみたいに難しい年以外だったら問題なく合格点が取れた。そのくらいの勉強はしていた。しかし、あの 2 年間の東大入試の結果があんなものである以上、私は敗者である。敗者である私に受験指導をする資格はない、と私は思っている。

東大入試の構造

そして月日は過ぎ、今私は数理科学研究科にいる。もちろん学部入試のことは大っぴらには聞こえてこない。しかしある程度、聞こえてきている。その結果を総合していうと、以下のことがおおよそ正しいと思っている。

  • 英語は「全体の難易度をこのくらいにしよう」という意思統一が図られている。
  • 対して数学は、そういう意思統一がない。各教員がいい問題を出そうとはしているし、原案に厳重に手が加わっているものの、全体の難易度はまちまちである。

数学者は自分の良心と興味に乗っ取って各自が研究を進めるものである。ゆえに後者の性質は一概に悪いものではない。ただ「全体の難易度をこのくらいにしよう」というのは、数学者が一番苦手なタイプの仕事であろうと思う。ゆえに、毎年難易度はまちまちである。

例えばゆとり教育が叫ばれたら、それに抗する意味を込めて難問を出すという、シンプルで、ある意味馬鹿正直なところがある。数理科学研究科には優秀な教員も多いので、自分が受験生時代大学入試で苦労することなくすんなり行った、すんなり行き過ぎた人もいるのだろうと思う。それも多分あまりよくなくて、入試でこのくらい、という難易度調整をしようという意識がほぼないのだろうと思う。聞いた話だが 「難しい問題も出してあげないと数学得意な人がかわいそう」 という教員もいるらしい。なんて迷惑なんだろうと思う。

対して英語は、全く違う意識で動いているようだ。受験生が高校 3 年生までの英語が完璧にできていないと、その上に大学教養の教育ができないことを「自分たち」がよく知っている。さらに 1990 年代後半から質的に現在の東大入試に変化していく過程で、 最高レベルの受験生が受験しにくる東京大学ですら、今の入試のような難易度で十分試験になるということを「学習」 した のである。

「易しい英語」で「難しい問題」を作っても入試になる、いやむしろ東大入試としてあるべき姿になるということに最初に気づいたのが、英語だったと思われる。 英語自体は易しいが問題は相変わらず難しいので、英語が得意で正確な読み書きができる学生は 9 割をとり、不得意または意味不明な読み書きをする学生は半分も取れない。こういう仕組みになっている。高校の教科書という「易しい」題材で難しい問題を作り出題する。これを踏襲したのが理科だったと思われる。数学はこのことにまだ気づいていない。