数学と「社会」への雑感

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Twitter に書いた後、これ日記に書くべきだったわと思っています。加筆して整理してこちらに載せておきます。

前提:方程式が解けるとは

何をもって方程式が解けたというかはそれ自体とても難しい問題です。どの方程式の解の何をどのくらいわかった段階で「解けた」というかは、人によって全く違います。

微分方程式の場合

例えば線形ラプラス方程式を考えましょう。

\[ -\Delta u = f \text{ in } \Omega. \]

境界は適当に定まっているとしてください。

例えば適当な滑らかさがある場合は $u$ はグリーン関数の積分でかけますが、ではある点での解の数値を教えてくださいと言われると困ってしまう。高校 3 年生のように原始関数で不定積分が計算できるわけでもない。

もっというと、グリーン関数を表示してくださいと言われると、領域 $\Omega$ が half space か ball でないとそもそも「表示できない」。でも適当な滑らかさを仮定するとグリーン関数と関係なく解の存在はいえる。でもそんな状態で解けたと言えるんですかと言われると、実用指向の人は困るだろう。

今述べたのは大学 3・4 年生程度の基礎知識ですが、常微分方程式の場合は坂井先生の本に「どの段階で微分方程式が解けたというか」という問題意識は全般的に書かれています。大学 2 年生でもこの問題意識はわかりますので興味ある方はお読みください。

代数方程式の場合もそう

中学生でもわかる例を挙げる。例えば

\[ x^2 = 2 \tag{1} \]

の解は $x = \pm \sqrt{2}$ である。これで解けたとみんないうだろう。しかし逆に「 $\sqrt{2}$ とはどんな数ですか」と言われると、普通は「 (1) には正の解がただ 1 つ存在し、それを $\sqrt{2}$ と定義とする」としか言いようがない。これは堂々巡りだと思わないだろうか。解を問うているのに、その解について何の情報も提供していない。「 (1) の解は (1) の解である」と言っているだけである。もちろん技巧的に (1) を直接は避ける方法はあるけれども、基本的に (1) からは逃れられない。しかし普通の人は $\sqrt{2}$ はよく知っている数として認識している。

人類と現代数学

先端数学について

人類の先端は、必要あるとかないとかいう領域で戦っていない。「人類がこの先に進むためには何がわかるべきなのか」という意識で取り組んでいる。

例えば、変分法は、要するに無限次元空間で臨界点を求めるということです。これはエネルギー最小点が実際の物理現象だという着想からきています。その手法を極めるということは、ある汎関数(エネルギーとかトータルコストとか)を最小化する関数を求めなさいという問題に一定の知見を与えることにつながります。

ところが最小点でも最大点でもないという臨界点もあって、それも方程式の解になります。

こっちの方は、どういう風な意味があるんですかといわれると、私もあまりよくわからない。ところが、田中先生の本の言葉を借りると

鞍点というと非常に特殊な臨界点と思われるかもしれないが、その存在は非常に重要である

となっています。

問題の階層の違い

現在数学の最先端では、そもそも解が存在する・しないがわかるか、で戦っていることが多い。それも先ほどの鞍点のような、今のところ人類が「必要」としてはいないものも、差別なく取り組んでいる。

数値解析する手法はどのくらい進んでいるのは別の問題で、その専門の人が頑張っている。

ましてや応用指向の人が目の前の方程式にどのくらいの知見を引き出せるのかは、わからんとしか言いようがない。そもそも近似解を求めると言っても、「正しい近似」になっているかどうかも、また別の問題となる。

微分方程式の問題意識

だから普通の微分方程式専門の人は、もちろん必要に迫られて微分方程式の解析を行うことはありますが、全然違う問題意識で戦っている。

別に必要性を無視しているわけではない。標語的に言えば 人類社会が我々の研究成果をいつか必要とするまで、準備をしている と言える。

先ほどのべた今のところ人類社会に即物的な応用のないと思われる汎関数の鞍点を研究する場合も、いろいろな理由から(省略)、そういう知見が重要そうということはわかっている。

だからきっと、 100 年後の世界では「あの頃研究してくれていた人がいてよかった」みたいになっている、ほぼ確実に。

結論

このようなスケールで、人類は数学に取り組んでいます。

もちろんそういう風な営みに「全員」が参加する必要はない。ただ、今の世界の必要性から数学の研究の方向性を決めるのははっきりいって無意味です。人類はそんなに千里眼をもっていない。未来の段階で、過去の研究成果を未来完了形の形で欲しがる。

そういうわけで、数学者には投資だけして放置しておけばいいと思います。幸い、論文の読み書きの道具と、研究時間があればいいので、少額ですみます。

そこに数学者でない人が立ち入る必要はないし、違う階層のもの同士を比較する必要もない。 各自が「自分の問題」を時間をかけて考えた方が生産的 だと思います。

余談

あと実社会とか社会とか、何のことを指しているのかなといつも思う。単に疑問なんだけど。

少なくとも アカデミア VS 非アカデミア という構図はないと思う。

例えば数学者は現実社会の一員ですし、納税もするし選挙権もある。他分野から問題を提示されて研究を進めることもよくある。そして、先ほど述べたとおり、非アカデミアといっても、アカデミアからの生産物を 1 年後や 100 年後には利用する。

今の私では、経験不足でよくわからん。私がまもなく民間企業で働けば認識がガラリと変わってよくわかるようになるのだろうか。

万が一その場合も、その民間企業のローカルルールがわかるようになるだけで、「社会」そのものがわかるようになるわけではないと予想しているのだけども。

「社会」そのものがわかる必要がある職種もある。法学者や歴史学者や社会学者など、それを研究する人はそうあるべきだろう。また現実の政治問題に対応する役人や議員や首相などは、社会そのものをわからないと仕事ができないだろう。でも私は? というと、少なくとも今の所はよくわからない。これは、よくわからないままでいいという主張ではなく、現時点ではわからないし、今後もわかるめどは立っていないという意味である。

とりあえず「社会」というものが私に理解されるのは、ありえてもずっと先のことになりそうだし、もしかしたら一生わからないで天寿を全うするのかもしれない。