数学を専攻するならどの大学がいいか

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この記事の目的は、学部レベルの数学を専攻すると決めた上で、これから数年、どの大学へ入学するかを検討する材料を読者に提供することである。数学科という学部はそもそもなぜカネを払って進学しなくてはならないのかを述べる。教員の状態・流動性などについて述べ、私の中での結論を以下に書く。

この記事は、その性質上燃やされるだろうけども、燃えても私に 1 円も入ってこない。もしそのことを気の毒に思ってくださるのであれば、こちらから本を買ってもらえると励みになる。

前提

大学院:自明な答え

まず、大学院レベルになったら、日本国内・国外を問わず、その道で一番の専門家のところに行ったほうがいい。これは当たり前である。数学は専門の細分化が非常に進んでいるので、第一線の人がどこで教職をとっているかはまちまちである。

もし自分の専攻分野がまだ決まっていない(数学の学部 4 年生だと何もおかしいことではない)場合は、とりあえず東大や京大といったスタッフが多いところに行ったほうがいいだろうと思う。修士課程の途中で専攻分野が絞られた段階で、指導教員の変更もできるし、博士課程から別の先生につくということも可能である。数学はそういう前例はたくさんある。私もそうである。

そこで、以下では学部の話をする。 この記事は、学部の話がメインである。

対象となる読者

  • AtCoder などが得意などという理由で、私のことをそれなりに見知っている方のうち、数学をこれから学部で学ぼうと思う方。特に日本の高校数学がトップクラスにわかる受験生。

これから数学科に進学しようという気持ちが特にない人は、この記事を読むのは時間の無駄である。論文を 1 行でも多く書く、本を 1 ページでも多く読む、または 1 分でも多く声優さんのアルバム (例えばこれ) を聞いて英気を養うなりするといいと思う。

注意

この記事は 2019 年に書かれている。今後文部科学省や日本学術振興会や財務省の意向が変更され、アカデミアに本質的な変化が起きたときには、また別の風景が広がっているかもしれない。「賞味期限」には気をつけてほしい。

私がわからないこと

海外の学部はよくわからない。言及はしない。ただ、日本の高校までのカリキュラムはかなり高度なので、その内容をきちんとわかった人が例えば高校 2・3 年生で勉強したような数学をまた大学で勉強するのは無駄だと思う。そうならない大学もあるかもしれないが、私はよく知らない。とりあえずなんの理由もなく海外の大学を推すようなことはしない。

というわけで、以下では国内の大学の学部について述べる。

数学科が存在する理由

学部で取り扱う内容

数学科はとても特殊な学科である。というのも、 そもそも講義・演習・セミナーで扱われる内容は教科書に全部書いてある 。もちろん、そのほとんどは日本語で出版されているし、ごく一部の例外の分野を除けば日本語か英語で「全て」を読むことが可能である。大学 4 年生の段階では、専門の教科書を途中まで読んで終わりになる。これらを学ぶために数学科に行く。これが事実としてある。実験もないし、解剖もない。先生だけが最新の学説を知っていてそれを学ぶために講義に出ないといけないということもない。卒業論文作成も、普通はない。

ゆえに、ごく素朴に考えると、数学科に行くのはカネの無駄だと思われても仕方ないかもしれない。学部に行かなくても、本を読んで、理解して、演習問題を解き練習すればいいからである。それは確かに事実である。

数学科があるべき理由

ところが、私は数学科は存在する価値があると思っている。というのも、 専門数学になると議論が猛烈に抽象化される上に、分量も膨大となるからだ。それらを数年で独学することは、ほぼ不可能である。

数学科専門科目の内容は、ごく 1 世紀前の数学の「天才たち」ですら、独力ではたどり着かなかった内容である。それらを凡人である普通の大学生が、独力で理解するのはあまりにも酷であると言える。

また量も膨大である。東大の場合は 3 年生で「その後必要になる」内容を講義するが、もう普通の人間が消化できる分量をはるかに超越している。それにさらに 4 年生で「専攻分野の基礎となる内容」を講義・セミナーされる。

こういう内容は、穂坂先生のような超例外をのぞいて、私を含めた大抵の人は全部は消化できず、それでもなんとかついていって、わかるところをできるだけ増やした状態で学部を卒業する。そういうレベルの質と量である。

そこで、すでに専門数学を極めた教員が講義し、演習をし、さらに少人数で、多くの場合 1 対 1 で、セミナーをすることで、その学習の補助をする。これが数学科の役割である。 手厚い、そこまで手取り足取りやるのと思われるかもしれないが、実際は厳しい。河東先生の文書を読めば実態がわかるだろう。少なくとも学部レベルはこれで良いし、研究の見本をつかませるために、修士課程もしっかりとした指導があるのが普通である。

だから高いカネを払って数学科に進学して数学を勉強する価値があると私は思う。今後入学してくる方には、そういうつもりで数学科に進学すると、ミスマッチは減るのではないかと思う。

教員について

教員の重要性

そこで問題となるのは、どの教員がどのように指導するかということである。特に学部で、ということである。そこで重要になるのは、逆説的ではあるが、教員である。数学科で指導される内容は全部教科書に書いてあると先ほど述べた。それは事実である。しかし、誰がものを教えるのかと、学生の中での数学の醸成とは無縁ではない。

私は田舎の底辺出身だったから分かるのだけれども、高校の数学の教諭の中には高校の数学をろくにわかっていない人が存在する。自称「進学校」でもそうである。底辺すぎて書きたくないのであるが……私は今でも覚えているのだが、 2 階微分可能な関数の凹凸を判定する事項を、教諭は語呂合わせで覚えさせようとしていた。私は絶句した。もちろん私は自分で勉強していたから「被害」には逢ってないのであるが、そういう「授業」を受けた人は、自分で上書きしない限り、被害者となる。高校の数学をわからずに高校を卒業する。

当たり前だが、数学を教育する上でも、教員が数学を十分よく知っていないと、教育はできない。数学のレベルが、学部専門レベルとなると、もっとそうであろう。もっとはっきり言おう。 現代数学をろくにわかっていない教員に教わると、大学の数学をわからずに数学科を卒業する。 高いカネを払って数学科に行った意味がないのではないかと思う。

教員の実力に「保証」はない

ここから先はリアルな話を書こうと思う。

もしかしたら読者の中には 「東大の先生は圧倒的に実力を持っていて、その他の大学はその属国」 という構図を描いているのかもしれない。残念ながら(?)はっきり言ってそんなことは全くない。地方の大学で教授をやりながらコンスタントに実績を挙げている人もいれば、受験生が「難関大学」と理解している大学で、ただコネで就職したはいいものの、何にもやっていない人もいる。前者は、例えば私の分野では、愛媛大学の内藤先生はいい論文を生産なさっている重鎮である。

特に博士論文のネタが枯れたあとに、何にも生産できない人が多くなっているようだ。その理由は少し前からのアカデミアの変革にあるように思える。傾斜配分がすごくて、修士課程 2 年生の段階から学振の書類を書かされる時代である。私が実名を挙げていい範囲だと、谷村君や鈴木君といったトップレベルに優秀な人でも、積み重ねる途中である修士課程 2 年の段階で研究計画なんて書けるわけがない。それでもカネを取らないと始まらないから、教員が修士〜博士課程にかけてしっかり指導するのが普通になりつつある。つまり、博士論文は、他人の力を使って書き、推してもらう。「スタートダッシュ」をかけて、それに高値をつけてもらって、それをやりながら permanent にありついたら「勝ち」という時代である。

実力ない人から学ぶことは何もない

こういう経緯があるので、大学の教員になっているからといって、その人の数学力が保証される時代ではもはやなくなりつつある。 permanent の大学教員であることをいいことに、数学に対し何にも貢献していない人もいる。

その一端は Twitter で可視化されている。例えば AtCoder をやっている人なら先日 底辺レベルの不思議な出来事 が起きたのは記憶に新しいだろう。私はあの incident で 「**大学理学研究科数学専攻への印象が再悪化しました。」 となった。その大学には立派な先生もいらっしゃるのに、なんであんなのがいるんだろうと思う。

論文書かないで教育負担だけやって余った時間で Twitter で関係ない人に迷惑かけて遊んでいる人が、まともな数学の実力持っているわけないだろう。そういう人から、数学を学ぶのは、カネも時間も無駄でしかない。もう私は学生ではないが、一生関わりたくない。私は、仮にあの大学の研究科からいきなり助教になりませんかと言われても絶対断る。

東大の教員が私立に移籍している

ついでにいうと、今の数理科学研究科の教員は、実は定年退職を待たずに私立に移籍するケースが多くなってきている。

まず東大に限らず、国立大の教員の年俸は低い。これは色々な根拠があるが、例えば渡辺先生のツイートで垣間見ることができる。

東大の教職員の給与はこちらで見ることができる。責任の重さに対して、低すぎはしないだろうか。

さらにいうと東大の教員となると、国に命じられてめんどくさいことをしなくてはならない。例えば、リーディング大学院は、役人との折衝はただの茶番だった。あのような茶番に大真面目に、河野先生や儀我先生といった先生方が付き合っていることには気の毒に思えた。評価書類を見ると嫌気がさしてくる。

その一方で、教育負担は増え、研究時間は減る。教育負担が増えているのは目に見える数字はないが、少なくとも数理科学研究科の教員は減らされている。この事情は数理ニュース、特に 2013-1 の冒頭で読むことができる。

私は教員になったことがないのではっきりしたことは言えないのだが、この点私立はまだマシらしい。デメリットとしては、教育負担はそこそこある。しかし、国の重要な会議に出席を命じられる心配もないし、研究家として予算取るために変なアクションしなくていいし、共同研究者は海外にいるから自分は移籍しても研究できるし、大抵給与も上がるし、定年も大抵 65 歳より上である。

良い給料、良い研究環境、良い待遇が待っている私立に行くのに、違和感がある人なんているのだろうか。よくあるパターンが東大の准教授を引き抜いて私立の教授にするというパターンである。数理ニュースなどで数年分異動を調べてもらえばすぐわかると思う。その人たちはトバサレタのではなく、自らも納得して、いい話に乗ったのであろうと思う。

結論

結果、何が起きたか

以上をまとめると、以下のようになる。

  • 学部の数学科は、教員が数学の勉強を補助してくれるところに、その存在理由がある。
  • しかし、大学教員になっているといって、数学の教員に実力に保証があるわけではない。
  • 国立大の教員は、さらに良い環境を求めて、私立大学に移籍しつつある。

当然のように、以下が従う。

  • いわゆる「難関大学」だからといって、数学を極めし教員が指導してくれるとは限らない。 むしろ数学わかっていない教員の「相手をしてあげる」必要に迫られる可能性もある。

特に受験生は、大学ランキングで大学を選んでしまいがちである。ランキングの上の大学ほど、いい先生がいるのだろうと推測してしまいやすい。しかし実際はそうではない。「トンデモさん」はすでに「難関大学」の中に紛れ込んでいる。その人に指導されるのは時間とカネの無駄であるばかりか、数学の理解の醸成にも影響を与えかねない。

今の受験生は、どこの大学の数学科にいくべきか

とりあえず 東京大学理学部数学科はしばらくはまだ安全だ と思う。例えば助教に中村勇哉氏がいる。あの人は私を嫌っているらしく、影で私のことを「論理的な議論が通じない」などと吹聴している。しかし、私の見る限り、あの人の数学の実力には、間違いはない。今東大に入学して数学科に進学すると、あの人が准教授になっていて講義や演習をする可能性がある。それはいいことかなと思う。

数理科学研究科の今後はわからないものの、今後教員を reserve する上でも、教育についてはさすがに十分考慮はしてくれるだろう。というのも、講義を受ける学生は東大生、しかも数学科を選んだ東大生である。その人たちに対して講義するのは大変なプレッシャーだろう。 もし実力ない人が入ってきて講義・演習をもってしまったら、学生にもバレてしまうだろう。 そのくらい東大の学生の水準は高い。まだ知識がないだけで、頭はいい。他の大学の水準が低いとは言っていない。しかし東大だと、教員が講義をしていて間違えていたり曖昧にしていたりすると、指摘や質問が飛んでくる。そういう環境であるから、いくら「大学教員としての適性」(以下の余談も参照)があっても、数学が一定水準に達していない人はどこかできちんと落とされるのではないかなと思っている。

しかし、逆にいうと、大学教員として適性が高くて、なおかつ、数学の実力も東大生に教えられる水準にあるというレベルの人を東大が捕まえてくる必要があり、しかもそういう人は数年で私立に引き抜かれるという状況であるから、恒常的に人が足りないという状況になっている。その犠牲になるのは、東大以外の国立大学ということになる。 ゆえに、いわゆる「難関大学」でも結構危ない状況になってきている。 具体名はさすがの私でも書けないが、 受験生に出回っているであろう大学ランキングで上位の大学だからといって安全とは限らない。というかもうヤラレテしまっているというのが、あまり大きい声では言えないけれども、実情になっている。

これから数学科に進学する場合は、東大に行かないのであれば、私立大学に行くのはむしろ有力だと思う。 東大から研究熱心で教育熱心な先生が私立に移籍なさっていることが多い。この人たちは学部の講義はしっかりやるだろう。これも一概には言えない。必ずしもそうとは限らない。しかし「国立大学ガチャ」でハズレを引くよりは、選択権があるだけましだと思う。

理想的には、どの大学に行くにしても、よく所属教員の研究歴をチェックするべきである。特に若い人の業績は本人の力で書いていない場合もあるため、一概にはいいにくい。私の理解では、博士課程とほとんど関係ない研究テーマで研究をし続けている人は、数学の実力がある。このことは受験生の立場ではチェックがしづらいのであるが、誰かがアドバイスできるといいと思う。しかし、私に聞かれても困るし、アカデミアにいる人は他人の論評をしたがらないだろうから、結局情報が手に入らない。理想論の域を出ない。

国立大の場合は、いつ決壊するかわからない。このままいくと、東大もいつかは決壊するだろう。

余談

余談ではあるが、数学の業界は、昔は良い society を形成していたと思われる。つまり 「数学の実力がある人を教員にする。その使い方は教員にしたあとで考える」 というものである。おそらくその「最後」の代に当たりそうなのが、足助先生あたりの付近である。足助先生はこの国のシステムが一番うまくいっていた時に製造された典型的な優秀な数学者だと思う。また、本人と学生でズレはあるとはいえ、間違いなく教育熱心な方である。

しかし時代は変わってしまった。私の目から見える景色だと、 今の数学のアカデミアの教員採用は、伝統的な日本企業の新卒採用にかなり近いと思う。 「まず適性のある人を雇う、実力はその次。そのために自己アピールを重視する」である。文部科学省と日本学術振興会の相手をでき、上とうまくやっていけて、波風立てない人。 SPI で検査しているかのようである。この「システム」では、私はやる前から不採用確実なので、私は近づこうとすら思わない。別の方法で生きていくしかない。そしてそういう人は、数学という学問の性質上、結構多い。

こういう言い方をすると失礼かもしれないが、足助先生は今の時代だと教員としてこの国では採用されないだろうと思う。ところが実際の本人は、適性の高い仕事に就いている。昔のアカデミアは偉かったなぁと思う。

これから数学科に来たい方に考えてもらいたいのであるが、数学わかっていない人からテキトウな講義・演習をされるのと、足助先生のような問題ないわけではないけど実力ある人から講義・演習をされるのでは、どちらが幸せだろうか。時間とカネを使って数学を学ぶなら、どちらから学びたいだろうか。私も足助先生は苦手ではあるが、あの人に専門科目の講義されるならむしろ嬉しいと思うくらいである。