あるマシュマロへの回答

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前提

この記事はマシュマロ投げてくださった方への回答です。他の人に宛てて書いたものではありません。他の人は、この記事を読んでいる暇があったら、論文を 1 行でも読むなり書くなり、覚えていない英単語の 1 つでも覚えるなり、遊んで英気を養うべきだと思います。

結論

数学で明らかに理解できていない箇所がある場合、進度に関係なく、わかるところまで戻ってやり直すしかありません。先に進むと前にやったことがより抽象的・現代的な形で上書きされる場合もありますが、基本的には数学は積み重ねの学問ですから、前にやったことがきちんとわからないとその上の構造はわからないようにできています。だからそこまで戻るしかありません。戻って、わかるところからやり始め、今講義されているところまで理解するように、追いつかねばなりません。

ただし数学科の学部生の場合、よほど教員が教育義務を放棄していない限り、教員は学生を助けてくださいます。たとえば 2 年生に集合と位相を教える場合は、 TA も含めてとても丁寧に演習をするはずです(若くて教育経験の浅い教員は強がって変な精神論述べるかもしれませんが)。学部 3 年生の演習もそうです。学部 4 年の講究も時間を割いてセミナーしてくださいます。大学院に進んでも、研究の指導は手厚く受けられるでしょう。そういうのをよく頼りにして、修士課程 2 年で修士論文が書けるように調整していくと良いでしょう。

その理由

まず数学科や数学専攻で数学をやるためには、長い時間をかけて今までの結果を学ぶ必要があります。私が言っても説得力がないというなら Tao 教授の記事を読んでください。

私が思うに、数学の才能のある人というのは確かにいます。しかしその人は、現代の数学を学ぶスピードが早いだけで、何もしない状況からいきなり数学の構造を書き換えてしまうことは現代ではまずありません。過去の天才たちの全員を超えたところに現代の数学の最先端というのはあり、特に大学の学部 3 年以降は「過去の天才たちが才能だけではたどり着けなかった構造」と無縁ではいられません。たとえ天才であっても、私のような非才のやっていることと同じことを理解し思考しないと、最先端までたどり着けません。進むスピードが異なるだけで、道は全員同じです。

そしてその期間ですが、およそ 10 年だと思っておいて間違いがないと思います。今の時代、人が 1 つの数学をなすためには 10 年単位で時間がかかります。それだとあまりにもアカデミアバトルに勝てないから、現代では若手のうちはエライ先生の力を使うのが流行っているわけです。院生になれば嫌でもこの構造がわかると思います。

この観点で考えると、ひとまずアカデミアバトルはおいておくとして、数学力養成という意味では 10 年後にどうなっていたいかということを考えて、今するべきことを決めるべきです。仮に質問者の方が学士や修士で数学を離れ、一般社会で暮らしていくという場合でも、やはりこの 10 年という単位自体は変わらずその途中で離れるわけですから、 10 年後に自分の数学力がどうなっているべきかという視点で、今やるべきことを決めるべきです。

わからないことがあったら見直すのは、全くおかしいことではありません。たとえば、院試のために大学 1 年生の 1 学期でやる連立一次方程式の解法を復習するのは自然でしょう。私はそうしました。また、テストでできなかったところを復習するのも、ある意味前にやったことに立ち戻っていることになります。私は境界付き多様体の境界の向き付けの方法がわからなかったので幾何学 III の期末試験で間違えてしまったのですが、それをきっかけに復習し覚えました。そうしたら院試で $S^2$ の向き付けの定義を述べる問題が出ました。そういうものです。

今の時代は論文は自分で生産するのは損な時代ですから、他人の力を借りて生産する人もいます。私もびっくりしたのですが、博士課程に、一般のサイズの行列の掛け算もできない人や、 $2$ 次元平面での回転行列の書けない人もいます。恥を恐れて過去に戻ることを放棄し、そうなる方がよほど惨めです。わからないことをわかるようになるために戻るのは当然のことですから、そこを躊躇してはいけません。

やってはいけないこと

逆に言えば、数学科にいる以上、数学から決して逃げてはいけません。

東大の数学科からは例年退学者が出ます。東大は進振りがあり、教養学部で大学の数学を勉強した上で進学先を決めるのですが、退学者が出ます。個人的に少し事情を知っているので言っておくと、やっぱり数学から逃げている、というのが大きいです。例えば群や環、ルベーグ積分、多様体論を講義されているのに、もう全然ついていけないからと言って講義にも出ず、初等整数論の本やガロア理論の本を読んでいたり、という感じです。それだと単位は出せない。追試も受けなくなると、もう卒業の可能性がありません。

それでも世の中では数学の啓蒙書(それらの全部が悪いとは言いません)が結構売れる時代なので、そういうものを読んで分かった気になるようになることはできます。そして現代の数学に恨みがあるようになってしまう。そうなったら、時間をかけて数学科に行ったことが損になっている、と言っても過言ではないでしょう。

幸いなことに、大学には夏休みも秋休みも冬休みも春休みもあります。数学科の場合、必修も 3 年生でだいたい終わります。時間はあります。空いている時間に、戻るべきところまで戻り、進むべきところまで進むべきです。諦めてはいけません。逃げてはいけません。

周りの人について

数学で周りの人と自分を比べるのは全く意味がありません。その理由を説明します。

まず日本では浪人や留年はキャリアの傷ということになっており、飛び入学や早期修了はかっこいいことだとされていますが、数学においてはなんの意味もありません。その理由は、現代の数学は細分化がかなりの高さまで進んでいるからです。違う分野の人と比べるのは、スポーツに例えると、違う競技の選手同士を比べているようなものです。「大坂なおみさんと、イチローさんは、どちらが強いですか?」と言っているようなものです。テニス選手や野球選手は世界にたくさんいますが、同じ分野をやる数学者は「人類史で数人」というレベルにまで限定されます。

たとえば私の博士論文と関連したことを考えたことがある人間は、私の他に地球上に 3 人しかいませんでした。その他の人はあの計算を一度もしたことがないと思います。他の人も、一定の知識のある人が頑張れば私の論文は読めますけど、中国のような元気な国以外は、誰も時間書けて読もうともしないでしょう。

この日記のよく登場する谷村君の場合、専門は nilpotent Lie algebra ですが、日本では興味を持っているのはせいぜい指導教員の吉野先生くらいで、地球上で谷村君レベルで話が通用するのはチュニジアの教授しかいなかったので、チュニジアに行かざるをえませんでした。

数学の最先端というのは、そういうレベルになってきます。質問者の方の周りに優秀な方はいるのかもしれませんが、どうせその人と違うことをご専門になさいます。それならその人と自分は関係ないのではないでしょうか。自分の 10 年後の数学力がどうなるべきかを考え、そのために自分の行動を決めるべきです。

確かに日本(や、かの大国)には、同じ学年同士を競わせる装置があります。たとえば学振特別研究員です。あれは自分の力で研究計画を書くのは損で、いかに教員の影響を受けるか、および、審査員を予想してそれに合った内容を書くかが重要だと聞いています。教員に影響を受ければ学生同士で争うにしては立派な書類が出来上がるでしょう。博士課程在学中や博士課程在学後数年だと、専門の数学すら満足に修めていないわけで、競争という名の茶番です。私はプログラミングコンテストによく出ますが、ああいう本物の「競争」を見ると、アカデミアの「競争」がいかに茶番なのか身にしみます。

さらに現実をいうと、自分の書いた論文はほとんどの地球人は読みません。もちろん査読者はしっかり読んでくださるはずです。しかし一旦 publish されたあとは、基本的には読者は introduction と abstract の斜め読みです。極論すれば、査読者以外は読まない、いや、読めないと言ってもいいと思います。だからどうしようもない人だと「〜〜に採用されました」とか「〜〜賞を受賞しました」とか「〜〜の雑誌に載りました」とかを頼りにその人の数学を評価しようとします、その人が本当は何をやり、そのうち自分でどれだけやったかは一切わからないのに。逆に言えばそういう構造を地の利とする人が、特に若い頃の数学のアカデミアバトルで勝つことができている、というのが現状です。

しかし、せめて学部生のうちは、そういうレベルの低い事情とは無縁でいて、自分の数学力を高めるのが大事だと思います。東大となると、数学専攻には負けん気の強い人や、エライ人に気に入られるように自分の数学をやる人というのは、少なからずいます。しかしそういう人はどうせ大したことがないです。学振とか、アカデミアポストをめぐるバトルには、そういう特性は有利に働くかもしれません。しかし、先ほど言った通り数学をなすまで 10 年単位でかかります。エライ人はやがて去ります。下から優秀な学生も入ってきます。その時に、いやでも自分で 10 年単位で数学をやらなくてはなりません。そこから先は、数学の力が問われます。そしてその時になって自分に数学の力がないと気がついても、遅いのです。一度 tenured になると確かにクビになることはありませんが、誰かの寄生しながら数学の論文を書くか、書けないままでいるかになります。これは本当に惨めなことです。

では何をするべきか、何を目標に数学者は数学をやるのか、ということですが、その答えの 1 つは先述の Tao の記事を最後まで読めば書いてあります。仮に私の完全な上位互換みたいな人がいたとしても、その人ができる数学には限りがあるので、結局私も必要なのです。

回答になっていないかもしれませんが、以上です。参考になったなら幸いです。