天才の再定義、若手数学者の分化

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このエントリでは、数学の天才とは何かということと、若手数学者の二極化について述べておきたいと思う。この事象を理解する鍵となるのは、現代の数学が既に天才を超越しているという事実である。このことから説き起こしておきたい。

牛腸先生から聞いたことが結構含まれる。牛腸先生は過去の面白い話をたくさんしてくださるが、インターネットをほとんど使わないらしく、その話はほとんど表に出てこない。私がここでメモしておこうと思う。

数学の「才能」

現代の数学は、既に過去の天才たちが手の届かない場所にまで到達してしまった。いわゆる世間に思われている才能というものは、せいぜい過去人類がやってきたことを学ぶことが効率よくできるもののことである。

現代の数学をなすために必要なのは適性である。過去人類が到達した数学を根気強く学び、そこから伸ばすことである。適性さえあれば、あとは結果が出るのは時間の問題である。

ただしどれだけ時間がかかるのかは本当にわからない。院生時代はせいぜい数年で結果を 1 つは出さないといけないので、ある程度時間が読めるものに取り組まなければならないのは必須であろう。

新たな天才の定義

才能は決定的要因でない以上、いわゆる天才は意味がないことになる。今の時代に即して天才というものを redefine すると、それは数学にかける時間を極限まで高められる人のことである。

牛腸先生から以前聞いたことを 2 つ書き留めておきたい。

1 つは深谷先生のことである。牛腸先生によると、若い頃の深谷先生は天才だったらしい。若手の頃、深谷先生はカバンの中に印刷した論文がどさっと入っていて、新幹線の移動中などもひたすら読んでいたそうである。つまり本当の意味で起きている時間を全て数学に費やしているのである。牛腸先生が一番印象に残っているエピソードは、深夜遅くまで合宿で数学談義をしていた時のことである。そして「ではいいところなので寝ましょう」と言って、お 2 人は寝たそうだ。すると深谷先生は起きた瞬間に「昨日のことですが…」と言って、その数学を進めたそうなのである。つまり寝ている間に数学が進んだことになる。確かに、人間は寝ている間に記憶を整理するらしいから、全く不可解なことではない。しかしそれが当時の最先端の数学で起こるというのはすごいことである。

2 つ目は中島先生のことである。牛腸先生によると、若い頃の中島先生は努力して天才になった人らしい。記憶違いのことがあったらすみません。以下のようなことを聞いた:中島先生は、決して抜きん出た成績をあげていた人ではなかったらしい。しかし助手の時代に弦理論と数学の境界領域の話を聞いて、感化されたらしい。中島先生のすごかったのは、そこから 2 年くらいかけて勉強をしたという。牛腸先生によるとそのことは膨大な勉強量が要求されるので、面白いと思っても普通はやりたいとは思わなかったそうだ。しかし中島先生は根気強くそれに取り組み、最終的に中島先生は数学を開拓したという。だから努力して天才になった人ということらしい。

私は 1 日最大でも 4 時間しか数学ができないので、明らかに非才である。ただ別にそれを嘆いても意味がない。別に自分が天才でなかっただけのことである。この事実は、自分がストップウォッチを使って時間を計った結果わかったことだ。修士課程 1 年という早い時期にこのことに向き合えたのはよかったことだった。

精神論について

若干脱線する。以上のことを見ると、数学で精神論を述べるのがどれほど虚しいかもわかってもらえると思う。「起きている時間を全て数学に」とか「寝ている間も数学をやる」というのは精神論としてよく言われる。頭の働きが鈍くなってきた世代がこういうことをいっていて、ウブな若者がそれに感化されている。

確かに深谷先生の例を見ると、これらは事実かもしれない。しかし、それはただ天才がやっていたことを結果論として述べていただけである。それを口で改めて言われないとわからない、実行できないというならば、そもそも意味がない。つまり、精神論を述べる人は「自分は天才ではありません、天才になりたいです」と嫉妬をあらわにしているだけである。そんなのに耳を貸す暇があったら数学論文を 1 ページでも読むなり、休んで英気を養うなりした方がいいのではないだろうか。

若手数学者の分化

さて、元の話に戻る。現状の数学が過去の天才たちを超越したところに存在している、かつ、大学院はわずか数年しかない。その結果、今の若手の数学者は、大きく 2 つに分かれると思う。 1 つは「エライ人に最先端に連れていってもらう」、もう 1 つは「最先端ではないにしろ、自分の数学をやる」である。この 2 つは決定的な違いがある。

昔の日本は、上の中島先生の例を見てもわかる通り、後者を推奨していたようだ。修士課程の時期は、とにかく流行りのことに乗って何か論文を書く。そして、助手の時代に時間をかけて、自分の数学をやる。これが王道だったらしい。

しかし、牛腸先生の少し下の世代から、アメリカ式を見習った競争主義が日本にも導入された。指導教員が博士課程でも基本的には指導するようになった。そしてポスドク時代に徐々に指導教員の影響が薄れる中で、自分で数学ができるようになっていくという離陸の仕方を理想的には取るようになった。これが「エライ人に最先端に連れていってもらう」である。一方で、京大や東大のように、指導教員が博士課程で指導しない大学院もいまだにある。この場合は「最先端ではないにしろ、自分の数学をやる」になる。

後者はどうして最先端に到達しないのであろうか。そして人類の進化が大きい。牛腸先生の下の時代から、最先端は軍隊で開拓する時代になった。今や arXiv で論文を斜め読みするのが研究の常識となっている分野もあるらしい。つまりあまりにも最先端が莫大すぎて、本職の数学者ですら自分の力で最先端の数学に到達しそこで何かをやることはできなくなってきている。ましてや若手だとなおさらである。

自分で数学をやるのは損な時代

そしてその結果、「エライ人に最先端に連れていってもらう」に異常に高値がつくようになってしまった。「最先端ではないにしろ、自分の数学をやる」はただ損なだけの道となってしまった。そりゃそうである。出てきた業績が、指導教員の知恵が入っている前者と、数年しか勉強していない後者だと、前者の方が立派であるのは当たり前ではないか。

人間というものは本当に残酷な生き物で、ルールができてしまうとそれに過剰適応してしまう。情けない若手数学者だと「実力があれば業績があるはずだ」だの「業績があれば認められる」だのカッコイイこというのと同時に「研究テーマは指導教員とよく相談しましょう」「メジャーな論文から派生した論文は高く評価されるし、いい雑誌に載る」などとアレっと思うようなことをいう。

私なんかは、研究テーマを指導教員に決められてしまっては博士課程での意味がないと思うし、そこで数年間何かができたとしても、数学者のお手伝いができただけで、自分自身は数学者にはなれていないのだと思う。これは私の指導教員だった宮本先生も同じことをいうと思う。また、いい結果は、数学者がすぐに高く評価してくれるものでもない。しかし、日本みたいに元気のない国ではすぐには評価されないかもしれないが、中国のような国だと派生した論文を書いてくれる。

改めていうまでもないが、数学者の本来の目的は、数学を開拓することではないのか。人類が今思っている最先端で、軍隊の一員として活躍するのは、手段であって、それは目的ではないのではないか。

今後の数学業界の壁

私の予測だが、多分日本の数学業界はどこかで臨界点を迎えると思う。ミスプライスに乗じた人が主に生き残っている。しかし、偉い人は必ず引退するし、下から頭がいい学生が入ってくる。

「エライ人に最先端に連れていってもらう」は、それ自体は悪いことだと非難するつもりはない。これほど数学者としてのポストが減ると、まず業績を揃えて、身を固めて、数学の研究をするというのが一つの手であろう。

しかし、自分に実力が本当にあるというならば、自分の博士課程時代と全く関係ない研究をして、業績を挙げるべきだと思う。それができて初めて、自分は数学者だと言えるのではないだろうか。仮に私があと数年数学をやっていいというのであれば、数年後には博士課程と全く関係ない数学をやるつもりである。そのための準備は今からしているので、うまくいけば 3 年後くらいに結果が出るかもしれない。

そもそも私自身は「最先端ではないにしろ、自分の数学をやる」の側であるから、「エライ人に最先端に連れていってもら」っただけの人から何か誹りを受ける筋合いはないわ。そういう人に対して私から言える言葉は「早く『数学者』になれるように頑張ろうな、できなきゃ税金の無駄だから早く引退しろ」である。