結婚を考えない理由

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自閉症スペクトラムについて

私が説明すると面倒なので、下の本を読んでください。

以下は、この本の知識があることを前提に書きます。

私の場合は、わかりやすく言えば、アスペルガー症候群のことです。物事のあらゆることを演繹的に考えて、人の気持ちを考えることができず、具体的でない指示に塩梅よく理解できず、こちらが全く悪意がないのに人が勝手に怒り出す。一方で特異に論理的な動作が得意で、例えば解析学の計算を正確にチェックできたり、後に述べるように一部事項を正確に記憶し続けている。

以前はアスペルガー症候群と自閉症は違う症状だと理解されていたらしいが、遺伝子を解析した結果、結局、自閉症の「軽い症状」がアスペルガー症候群だとわかった。この連続的な一連の症状を指してスペクトラムというらしい。

余談であるが関数解析で使う「スペクトル」は本来「スペクトラム」と呼ぶのが正しい。以前片岡先生がそうおっしゃっていた。

私が自閉症スペクトラムになった理由

これは超簡単で、自分の父親から遺伝したからです。

自閉症スペクトラムは遺伝する。 これが私が自閉症スペクトラムになった最も確実な原因です。

父親はただ人に迷惑をかけるだけだった。毎晩仕事のストレスで嫁と息子に怒鳴り散らし、沸騰するように怒り、息子を東大に行かせたくないと自分のエゴで卑劣な妨害までしてきた人間である。ただの自閉症スペクトラムで、自己中心的で、自分以外の周りが見えず、頭が悪いだけの人間である。

そして、彼の父親(つまり私の祖父)も、非常に暴力をふるいながら私の父親を育てたのである。つまり、私の自閉症スペクトラムは、少なくとも 3 代に渡って遺伝している。

私と違い、彼が今もうまくいっていない理由はとても簡単で、自分が自閉症スペクトラムだと認識するのを拒んでいるからである。実は私は大学 1 年生の頃に、保健センターの精神科の先生にかかったことがある。すると父親は 私に「絶対に精神科に行くな!!」と強い口調で非難してきた 。あれのせいで、私が物事を正しく認識するのが 8 年近く遅れた計算になる。

教育との関係

はっきりしていて、全く関係ないそうです。 自閉症スペクトラムは、教育によって改善することもないし、改悪することもない。 というか、現在のところ自閉症スペクトラムには対症療法以外に方法がない。

私の父親は、私が最終的に東大に入ったことを「自分の教育方針が正しかった証拠だ」と自慢しているらしいが、全く間違いである。私は生まれた瞬間から自閉症スペクトラムで、父親はただ人に迷惑をかけるだけだった。

私は、父親とは全く違う形で自閉症スペクトラムが出ている。河合塾本郷校で高沢先生や三森先生や木村先生や苑田先生といった東大の学部入試に対応できるだけの立派な講師陣から良質な教育をたっぷり受けたせいで東大に合格した。ただそれだけのことである。河合塾本郷校が私の母校です。

父親について

本来、私の父親がいうべき正しいセリフは、

俺は自閉症スペクトラムだが頭は良くない。しかし嫁と結婚して子をなしたとき、遺伝子がうまくいって、息子は特異な脳を持ってしまった。 18 歳まで地元にいたとき、いい教育なんて受けさせられず、ただただ俺の自閉症スペクトラムのせいで息子と嫁に迷惑をかけて本当に申し訳ない。自分は子供を設けることと、カネを出すこと以外は、ただ害をなすことしかできなかった。

である。彼は多分、これを認識することなく死んでいくことだろう。

私は自分の父親には哀れみを感じる。「自閉症スペクトラム、かつ、絶対に自分が自閉症スペクトラムだと認められない」だと、もう自分が助かる道がない。 まず自分が事実を認識し、自分を理解することができなければ、誰からも理解されない。そこを絶対に拒むのであれば、もうその先はない。しかし、全員から理解されなくても、誰かから理解されればそこから人生を切り開いて行くことは可能である。

彼は周りから一度も理解されず、嫁と息子からも愛されず、職場の人間からも軽蔑され、友人も作ることが今まで同様できず、寂しい老後を過ごすことになるだろう。

私は彼に、カネを出してくれたことには感謝している。あの人の遺伝子と母親の遺伝子のおかげで私は「自閉症スペクトラム、かつ、頭がそこそこ」の状態になった。自閉症スペクトラム自体は本当に厄介で、現代社会では生きて行きづらい。しかし私の場合、頭がそこそこのレベルにはあるから、理性や薬物により、対処はある程度可能である。

ちなみに私の母親は非常にかわいそうなことに、私の父親に諦めて順応してしまった人である。財布を全て握られていることもあって、何があっても結局父親の味方をして、最後には私を切り捨てた。まるで中毒者のような状況だと言える。この人の相手をするのも避けたい。

自閉症スペクトラムでよかったこと

悪かったことは山ほどあるので、書かない。よかったことを書きたいと思う。

自閉症スペクトラムは記憶の仕方が非常に特殊らしい。私の場合、 重要な事項はビデオが再生されるように思い出す 。私は「記憶している事項」を見た時、例えばそれが 11 年くらい受けた河合塾のどの講義で議論されたのか思い出す。 8 年前の数学科の講義でも同じだ。だからノートを見返せば「あれのことだ」とわかる。院試の口頭試問も、昨日のように動画で覚えている。

それ以降は、教科書・論文で勉強するのであるが、今必要な知識がどの教科書のどのページに書かれていたか、いつ勉強したか、どのような状況だったか、も大抵覚えている。教科書は例えば Evans なら 900 ページある。これと同じくらいの質量がある教科書は少なくとも 10 冊は読んでいる。講義は、専門科目だけで 8 年分受けている。論文は「きちんと読んだ」ものは 600 ページはあると思う。博士課程行ったのにこんなに少なくてすみません。しかし数学の場合は、きちんと読むのには時間がかかる。それらにある程度 index がついていて、丸暗記はしていないけれども、関連事項が出てきたらどこに計算結果が書いてあったか思い出す。

あとビデオゲームプレイについても異常に適性があるのは、多分これが関係している。膨大な情報を動画として覚えていて、それらに index がついている。今の時代は YouTube があるので、必要なら確認もできる。

これは普通の記憶の仕方だと 29 歳のこのときまで思っていた。しかし全く違うらしい。普通の人は動画が再生されるように記憶はしないらしい。

自閉症スペクトラムの場合、 人によってはカメラのように記憶するらしい。私はそれはできない。 羨ましい。英単語は 12 回くらいやってようやく記憶する程度である。

河東先生の「セミナーの準備のしかたについて」は、私は最初はできなかったけど、数回やってみるとできるようになった。できるようになってから、論文や教科書を読むときも同じ気持ちで読むようにしているが、先生の文書に挙げられているほど多くの時間はかからない。

自閉症スペクトラムは障害だが障害ではない

自閉症スペクトラムは単に脳がそうなっているだけというだけのことである。障害ではない。ごく近代になるまで、ずっと刀を打ち続ける職業や、それこそアカデミアの本来の中枢にいるような人たちは、むしろこういう脳が必要とされた。

しかし現代社会は、 communication 能力を最重視している。仕事を成すために、一つのことに時間をかけてやるはずのアカデミアですら、自己アピールの時代である。

自閉症スペクトラムは「障害」ではない。 現代社会が、自閉症スペクトラムを「障害者」にした というのが正しい。

別に構わない。この点は私はどうにもできない。世界がそうなっているなら、もう仕方がない。私は、良くも悪くも、この私の脳を使ってものを考え行動することしかできない。現代社会が障害だと認識したこの頭脳で生きていくしかないのである。

なぜ結婚を考えないか

これは簡単で、結婚相手に私の父親と母親と、血縁関係を背負わせてしまうからである。

私の結婚相手は、きっと私が愛情を抱くような方だろう。しかし、私が愛情をかけたいその方が、私の父親と血縁関係を持ち、父親がその方にたくさんの犯罪行為をするのを、どうやって私が受け入れろというのか。

自閉症スペクトラムの人が結婚をし、配偶者とうまく過ごすことは可能である。いくつかの知見も揃っていて、陥りがちな罠にははまらないからである。また子供を設けた際、自閉症スペクトラムが仮に大きく遺伝したとしても、知見が揃っているから対処可能である。ゆえに、これも可能である。

ただし、血縁関係だけは、もうどうしようもない。絶縁しようとしても、現在の民法では相続と扶養は残ってしまう。私の父親が寿命を全うするまであと 20 年から 30 年くらいかかるだろう。この間は私は婚姻関係を持つことは事実上不可能である。

一つの方法は、海外に行くということである。「鬼たち」が絶対に追ってこれないような場所へ脱獄し、そこで結婚して暮らす。まるで『約束のネバーランド』のようだが、これしかない気がする。

結婚するために海外から日本へ戻ってくる人もいるようだが、私の場合逆で、海外に行くと結婚できる可能性が出てくる。別にそこまでして結婚したいとも思っていないのだが。

とにかく 配偶者の方を悲しませたくない。配偶者が不幸せになるのであれば、結婚した意味がない。 「鬼たち」の犠牲になるのは、私で最後でいい。

子供について

私の人生は、配偶者もいなく、仮にいるとしても子供を儲けることはできずに終わるだろう。

しかし、それでもいい。私は博士課程を出た人間である。それも、容易ではない訓練を積んだのである。アカデミアにいてもいなくても、将来の若い人を教育する立場につくのである。

自分の子供はいなくても、 他人の子供に正しい道を示し、幸せにする 。子供といっても、大学卒業以上だから、大人である。人間として完成した存在である大人に対し、さらに高度な教育を課し、人間社会を充実させるのは、限られた人間にしかできない義務でもある。すなわち、私たちの 1 つの責務だ。これができれば、私は世界から許されると思っている。