新卒採用・既卒採用・アカデミアの採用

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今の私はおそらく人生で一番、新卒採用・既卒採用・アカデミアの採用を公平に比べられる立場にあると思う。いずれの採用の可能性もあり、その採用活動も経験もしており、なおかつ現在も就職活動中である。少なくとも、いずれかの立場にしか経験がない人がテキトウなことをいうよりかは、まともに比べられると思う。これから私は新卒採用・既卒採用・アカデミアの採用のいずれかの方法を経て就職をすると思うのだが、その進路が確定する前に、この時点で思っていることを書き留めておきたい。今のうちに書かないといずれかに肩入れすることになり、美化することになりかねないからである。

毎度言っている通り、この記事に限らず、この日記はいずれの記事も私の自己満足である。無保証である。また読者の誰かにアドバイスをしようというものでもない。この日記は公開で書かれている以上、いずれの読者も拒むものでもないが、誰かが何らかの感情を持ったところで責任を取れるものではない。無保証であり、無責任である。私としては、こんな文章を読む暇があるのだったら英単語を 1 単語でも覚えたほうが人生マシだと思うのだが、それでも以下を読むというのであれば止める権利はない。

定義

以下では、新卒採用・既卒採用・アカデミアの採用という言葉を使う。この 3 つを便宜上定義する。

新卒作用

新卒作用とは、企業の新卒採用の募集要項に従い、履歴書やエントリーシートを作って出し、 Web テストやグループディスカッションや面接を経て採用するというものである。特に誰かの推薦を必要とするものではない。

既卒採用

既卒採用とは、誰かの推薦を得るか、リクルーターを使うかなどして、エントリーシートを出し、面接を経て採用するというものである。明示的、または、暗示的に、誰かの推薦が必要である。転職のオファーがある場合もこれに含む。

アカデミアの採用

アカデミアの採用とは、アカデミアの採用のことである。改めて定義するとなるとかなり難しい。あえていうなら、他人や自分の力で論文を書き、投稿し accept をもらい、受賞などで実績を作り、推薦状を作ってもらい、その実績をもって(形だけの)公募に応募し、採用に至るというものである。これは応募に推薦が必要である。

それぞれの長所と短所

以下は私の主観が混じっている。

新卒作用

新卒採用の長所は、採用される側にとっては、実は非常に少ない。ないと言ってもいいと思う。あえていうなら、エントリーシートや Web テストや面接に過剰適応すれば、本人の能力とは一切関係なしに採用されるというところであろう。あえていうなら自己アピール能力の高さは重要かもしれない。

企業側から見れば、効率的に選考が進むというメリットがある。大企業になると応募書類も大変な量になる訳で、 Web テストやグループディスカッションなどで何でもいいから効率的に篩にかけなければそもそも捌き切れないだろう。また、若い人材を安い人件費で雇って働かせられるというのもメリットであろう。

短所は、いずれも茶番であるというところであろう。私から見ると、大学や大学院に入るのにあれだけ高度で立派な試験を突破している私(注意:私自身は高度で立派とは言っていない)に Web テストや悪趣味な harassment を含む面接を課して 1 ヶ月以上を無駄にするのは、あまりにもアホすぎて、国民の負担で教育を受けてきた以上、国民にあまりにも申し訳がない。当然能力の高い人が採用できるとも限らない。

思うに、 1 時間程度の面接でその人の能力や 10 年後の将来を見極められる人がいたとすれば千里眼である。未来から来た人なのだろうか。以下の本には、いかに面接というものがテキトウなものであるかがデータとともに詳細に述べられている。 Google が現在の採用方式に至るまでの失敗の過程が克明に色々書かれているので、こんな記事を読むほど暇な方は実際に読んでもらいたい。「普通の面接をすると最初の数分で打ち切っても最後まで面接しても結果は同じ」「適当に質問をするとバイアスがかかるから質問はあらかじめ決めておく必要がある」「 Google 内で採用を的確に決められるのはたった 1 人しかいなかった。ので、集合知に頼っている」などということが書かれている。

既卒採用

既卒採用のメリットは、一部の人がいいと言えば入社できることである。完全に全員が納得していないくても、現場の人と人事権を持つ人が複数推してくだされば、それで入社に至れるということである。もちろんそれまでの経歴や実績、本人の実力も加味されるだろうし、性格も重要かもしれない。しかし茶番である Web テストやグループディスカッション、他力で作られ推された「実績」に比べれば、一部の人の同意だけで決まるのはある意味、最も妥当で安全な気もする。

また、柔軟さがあるという点も好ましい。例えば私は持病を抱えているけれども、それも織り込み済みで採用してもらえる可能性がある。またこの世界は横のつながりが非常に大きくて、ある会社でダメでも、社員さんから別の会社さんを紹介してもらえる可能性がある。新卒では応募できない職種でも、いい人・いいポジションがあるとなれば、採用になる可能性がある。

既卒採用のメリットは、同時にデメリットでもある。まずどれほど現場の社員さんが推してくれたとしても、社長や COO など、人事権を持っている人が反対すれば必ず不採用になる。先ほども書いた通り、面接では何にもわからない。例えば私の学歴に嫉妬すればそれだけでいくらでも不合格にできる(浪人して留年もしたこの私に嫉妬するなんてすごく器が小さいなと思うのだが)。その基準は極めて主観的になりやすい。他の 2 つの採用方式に比べてこの点は大きく劣っている。

また複数人の同意で決まっているので、本当に実力があるか、入社後に活躍するかどうかは未知数である。他の方法でも同じ問題点はあるが、既卒採用だからといってこの問題点が解決するわけではない。

アカデミアの採用

アカデミアの長所は、まず「成果が圧倒的なら他には必要ない」ことである。研究成果を出し続けていれば、どこかに採用の道はある。業績一覧は作っておくべきだが、変なエントリーシートも必要なければ、自己アピールもない。研究に集中できる。公募であろうとなかろうと、事実上内諾済みで採用が決まっている長所が生きている。

また、人事権が分散していることが長所であるといわれることもある。例えば東大の教授だからと言って自分の研究科の人事を左右できるほど絶大な権力をもっている訳ではないと聞く。さらに言えば、他の大学に口を挟めるほど甘くはない。特に negative campaign はできない。「誰かを採用するな」ということは絶対にできない。上記で書いた既卒採用のちょうど裏返しみたいになっている。

アカデミア方式の採用の短所は、能力の高い人をうまく採用できないということに尽きると思う。この採用方式は、一見すると非常に公平に思われるかもしれない。しかし実際は、エライ人の政治がある。論文は自分の力で書かなくてもいいし、自分の力で書いたとしてもそれをエライ先生の力でねじ込めばいくらでも実績を高く盛り付けることができる。学振、受賞といった類は、少なくとも学生〜ポスドク時代は、上でこしらえた推薦状でなんとでもなる。この状態で上記の「アカデミアの採用」を行うと何が起こるのか。ご想像の通りである。本人の実力は関係がない。

よく Americanized された人、それに憧れた人が「成果が圧倒的なら他には必要ない」というけれども、何をもって「成果が圧倒的」なのか、定義してみせろと思う。「載った雑誌のランクが高い」「受賞歴がある」「学振などに採用されている」「学者の間で話題になっている」という心細い定義しか返ってこないだろう。上記の経緯がある以上、大変心細い。もちろんそれが悪いとまではいわないが、私から見れば「ペーパー試験でいい点数が取れる」ことよりもはるかに ambiguous な定義だと思う。もちろんこういう私が「ペーパー試験重視しすぎ」といわれるかもしれないけども、そういうのだったら「それ以上の指標を定義してみせろ」と言い返したい。

参考:このエントリを読んでいる人は数学詳しい人もいるだろうから、底辺がどのくらいレベルが低いか書いていこうと思う。以下は全て数理科学研究科の学生の話であり、全て別の人の話である。博士課程に進んだ人もいるし、たくさん先生にかわいがられてアカデミアに就職した人もいる。

  • 行列の積の定義が書けない。
  • 回転行列が書けない。思い出せない。
  • 位数 $12$ の二面体群は可換であると言い張る。
  • 位相空間がコンパクトであることの定義が書けない。

今の日本の若手はこういうレベルの人もいて、こういう人たちが大学教員になっていくのである。こういう人に教育されるこれからの世代が本当にかわいそうで仕方がない。もちろんそうでない人もたくさんいるのだけれども、それが誰で、どの大学に行けばトンデモさんを避けられるかは外野からは見分けがつかないと思う。今後大学で教育を受ける人たちは本当に大変だと思う。

日本のアカデミアの補足

日本の名誉のために書いておくが、このような状態になっているのは日本だけではない。アメリカは競争の激しい国だと折に触れて聞くが、東大より優秀とされる大学の大学院の物理の博士課程の学生で、中学受験に出てくるような浮力の説明がめちゃくちゃで思わず隣から正しい説明を加えてやったという話も聞いたことがある。向こうは院試で学力検査を課さないから当然日本より破茶滅茶ことも起こり得る。

昔の日本の、少なくとも数学のアカデミアがうまくいっていたのは、修士課程が終わった後、先生がこの人は能力高いと判断すれば、せいぜい先生の推薦だけで勝手に就職が決まっていたからである。そこから好きなだけ時間をかけて博士論文を書けばいい。これがどれほど日本の数学業界に良い影響を及ぼしたかはわからない。よく「人が伸びるには任期付きの競争が必要だ」という人が観測されるが、その人はこの事象をどのように説明するのだろうか。

あと、弁護しておくと、長期的に見れば、日本のアカデミアの方式でも、能力の高い人が正しい地位にありつくことができると思う。どれほどエライ先生が推薦して、どれほど共著に持ち込めたとしても、いずれエライ先生は引退し、終わる。 30 代のある時期を境に、論文がパッタリと途絶えたり、ごく若い頃の業績が一番良かったりする人もいるだろうけれども、やはりそういう人は悲しい晩年を過ごすことになるだろうと思う。私は指導教員だった宮本先生から「これでも日本のアカデミアの就職は公平なのです」と言われたけれども、確かに長期的に見れば他の世界より公平かもしれない。ただし、以下で述べる「カネ」の問題が致命的であるから、できれば私はアカデミアは避けたいと思っている。

どこにも「ベスト」はない、あるとすれば「ベスト」とは

私が思うに、理想の採用とは、能力ある人が正しい基準で採用され、ふさわしい業務を課せられ、それが国民の税金で教育を受けた者全員の義務だと思う。

しかしそんな方法はどこにもない。能力のある人、入社後活躍する人を採用する方法なんてどこにもないのである。

あえていうなら、私が経験した採用のうち、「能力のある人」を確実に採用することに世界的に見ても唯一成功している方法がある。それは日本の大学入試・大学院入試である。ペーパー試験の点数だけで決まる。私のように生まれの粗末さも過去の経歴も関係がない。ただそれであっても「入社後活躍する人」つまり大学入学後に力をつけて伸びられるを採用できているとは限らないのがネックだが。

だったら入社試験も全部ペーパー試験でいいじゃないかと思うかもしれない。しかしそれは実現不可能であり、なおかつ、うまくいかないだろう。

これがなぜ入社試験で実現不可能かというと、労力がかかりすぎるからである。東大や数理科学研究科の場合だと作問・試験監督・採点にものすごい工数を割いている。あまりにも大変で一企業では絶対にできない。その証拠と言ってはなんだが、東大にはセンター試験で足切りがあるし、私立の場合は儲ける為に高い受験料と一時金を支払う必要がある。テキトウな試験である SPI がどれほど適当で茶番であるのか受けた人は全員知っているだろう。あの逆をやるのは大変なのである。

また、うまくいかない理由は試験に対する過剰適応である。東大や数理科学研究科の場合、試験の問題を解くために各教科の勉強をしっかりするのは決して悪いことではない。高い英語力・数学力・理科の知識や運用能力は入学後に役に立つのは言うまでもないし、妥当な表現力・的確な要旨要約作成の力は、受験生が想像しているより重要である。しかし一企業に入社する試験でこのような過剰適応があって得をする場面はないだろう。端的な例だとプログラミングの能力を見たいなら AtCoder の成績を使えばいい。もちろんそれは重要な potential であるし、そのことを高評価するのは悪いことではないが、 AtCoder に過剰適応することが業務に直結するわけがない。例えばそういうことである。

カネの違い

以上は選考の方法について議論してきた。この他にも、加味しなくてはならない事項がある。それはカネがどこにどれくらいあるのかということである。これが、どこが一番柔軟に対応できるかということにも繋がっているような気がする。

この意味で一番ダメなのはアカデミアである。アカデミアのカネはまず、益々傾斜配分の様相を呈している。いかにそれを勝ち取るかに熾烈な(無意味な)競争があるのはもう色々語られているから繰り返さない。

アカデミアのカネまわりの最大のダメなところは、カネの使途があまりにも厳しく制限されすぎているところである。柔軟性が一番ない。

例えば 2019 年度の「計算数学 I」では、今の所 TA が定員より 3 人足りていない。足りなすぎて現場はベテラン TA が 6 班を見て回っている状況である。つまり、あと 3 人なら雇うカネはあるのである。なら私を雇えばいいじゃないかと思うのだが、一井先生によると「カネがないって言っているだろ!!」と一喝されてしまった。私が東大の研究員として採用されたとしてもダメだそうだ。あくまで大学院生でなくてはならないと。しかし TA は足りないんだから私を同じ待遇で雇えない原理的な理由はないだろう。 TA がたりないので実習作業自体はだめぽ先生とまのひと君の能力で 6 班くらいまわって解決しているがそれは正しい解決方ではないことと、このままでは実習用教材の改定・作成が追いつかないことと、私がアサインする以上に簡単な解決策がないことあたり、明らかなことはないじゃない。それを利用できない理由は単純に制度がおかしいからだ。民間企業の人たちがこの話を聞いたらおもわずふきだしてしまうんじゃないのか。「大学院生じゃないとダメ、研究員はダメ、でもあと 3 人雇えるカネはあります、人で足りていません、高橋さんは経験も能力も申し分ない、しっかし雇えません」だとまともな人たちに鼻で笑われるわ、大学なんてせいぜいその程度だと。こんなことを世間に胸を張って誇れるだろうか。

もちろん民間企業だからといってカネが潤沢にあるわけではない。昨日も書いたが、今の所一時的なバブルで AI/機械学習/データサイエンスは高値をつけている。そこでカネが発生しているが、それももうすぐ止むだろう。カネがあるところは、カネがあるうちは柔軟で、カネがないところは、ないときは苦労するだろう。アカデミアだけの問題ではない。しかし私たちは未来を性格に予知することができない以上、どれかに assign するしかない。私の場合は疾患もあるので、できれば柔軟に対処してくれるところが望ましい。

私はどれが向いていそうか

以上のような観点から、全部見てきて思うのは、以下の通りである。

  • 新卒採用は絶対にありえない。不向きで、幸せにならない。一切応募しない。
    • 逆に言えば、自己アピール力がある人は、この方法が一番幸せになれる。実力は入社後ゆっくり身につければいい。
  • 既卒採用が一番マシ。一部の人だけの consensus だけで雇われることができる。
    • 書類だけで落とされることもあるが、きちんと選考 flow に乗る時は乗る。
    • 一番柔軟である。ある会社でダメでも、別の会社を紹介してもらえる可能性もある。
  • アカデミアは、ポスドク研究員までならいいと思う。助教以上の常勤職は向いていない。
    • カネが決定的に足りなくて、一番柔軟さが足りない。競争が異常に激しく、自分の実力を伸ばすより、同期のライバルを貶す方が簡単である。

確かに今の私は、いずれの採用もされていない。しかしそれで諦めてはいけない。よく考えると、私は既卒採用の枠組みで採用活動を始めてからまだ 2 ヶ月も経っていないのである。にも関わらず面接や最終面接までたどり着けた会社が $(M + L)$ 社もある。ならばむしろ有望なのではないか。

最後の内定・採用に至るまでなんども try していくのが大事ではないかと思う。それまで $N$ 社に書類選考で不合格になり、 $M$ 社で面接で不合格になり、 $L$ 社で最終面接で落とされても、最後の $1$ 社で採用になればいいのである。それまで私のことを神様の視点から嗤っている人もいるだろうけど、そんな悪趣味な人は必ずそれ相応の報いが来るだろう。私は最後の $1$ 社まではやり続ける。

オファーや推薦、お待ちしています。