最先端について

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私は「最先端が作られる瞬間」というのを、何度か目撃している人だと思う。特にビデオゲームはプレイヤーとして色々やってきた。一応数学も最先端を覗いたことはある。その過程で見てきて私が思うことで、かつ、多くの人から同意が得られていなそうなことを、この記事では書きたい。

最先端の作られ方

この記事で言いたいことは、 一部の分野を除いて、最先端は人間同士の同意によって作られているのではないか 、ということである。

将棋の例

もう古い例で恐縮であるが、プロの将棋を見て見るとわかる。 2010 年前半頃まで、トッププロはみんな相矢倉をやっていた。同じ手順を 50 手くらい進めて、最先端の形だ、と言っていた。

しかし今はあんな風には進行しない。一定の知識以上の人間はもう相矢倉にはしない。 2017 年くらいなら、雁木なり、左美濃なりにする(ごく最近の将棋がどうなっているのかはわかりません)。

この変革が起きたのは、いうまでもなく将棋ソフトの進化が強く影響している。今は、プロは将棋ソフトなしでは研究できない時代だろう。将棋というのは残酷で、勝ち続けなければプロにもなれないし、プロになった後も引退がかかってくる。だから奨励会の人とプロは嫌でも強くなるのである。その結果全員嫌でも最先端を研究するようになる。

つまり 現在の将棋というものは、最先端が、人間の手でないものによって可視化された対象 なのである。これはすごく珍しい例だと思う。私は将棋をうまく指せないが、この例をよく見ておくのが大事だと思っている。

逆にいえば、 将棋ソフトが台頭する前の時代の「最先端」は、人間の同意で作られていた ことに他ならない。先手と後手の同意がなくては、同じ手順を数十手進めるなんてことはありえない。そして重要なことだが、将棋というゲームはルールが全くアップデートされていない。先手後手の決め方や持ち時間や千日手のルールの機微はあるものの、全く同じルールで進行している。したがって、仮に今のプロ棋士の誰かが 10 年前にタイムスリップしたとして、今の将棋の知識をもって指すとすると、少なくとも一時的には優位に立てるだろう。つまり 10 年前の「最先端」とは、ただ単に、人類がそう思っていただけだったのである。

ビデオゲームの場合

こういうことはあらゆる分野で起こっている。私は数学ではなくてビデオゲームがむしろ専門だから言わせていただくと、今のゲームの多くは、対戦型だと、アプデが入って、修正が入る前まで強い戦術をいち早く見つけ出し、それに順応することでトッププレイヤーは優位を保つ。もちろんシューターならエイム、格闘なら基本的なコンボといった基礎技術はもちろん大事だが、それは将棋でいうと詰将棋みたいなもので、最先端はアプデに順応することで作られている。

そして大体、この場合も、最先端は人間の同意によって作られている。わかりやすいよう例を変える。個人向けゲームに多いが、ある技がいきなり発見されて、 Twitter や動画で広がり、常識になる。 RTA の人はそれに日々ついていく。または今はゲームの攻略 Wiki を業者が作る時代なので、アプデがかかるとすぐに攻略情報が載る。そこに書かれた内容がプレイヤーの常識、つまり最先端となることも時々ある。

数学の場合

数学の場合は、私の理解では、今までの例よりももっと顕著で、 人工的に「最先端」を人間の同意によって作っている状態 と言って良いと思う。数学の場合、ある程度適性のある人間同士(教員・学生)がチームを組んで、そのチームで問題を分業して取り組み、新しい結果を出す。その過程で得られたものが最先端である。

今はもう数学の才能なんて、何の意味もない。今までの幾人もの天才たちを全て超えたところに人類は立っている。したがって、これからどんな天才が現れても、過去の成果を学ぶことなしでは、最先端に至れない。天才は、その途中過程をうまくスキップすることはできるだろうが、現実には、天才でも、過去の論文を丁寧に読むことを抜きには最先端に至れないだろう。

つまり、この定義上、最先端に至る方法は、すなわちどこかのチームに所属することである。言葉が汚いので言いたくはないが「軍隊」と言ってもいいかもしれない。しばしばこの状態を指してそういう言葉を使う人も実際いる。

大事なこと

将棋のような特異な分野はともかく、多くのモノに対しては、最先端は人間の同意によって作られているということを書いてきた。このことから次のことが言える。

まず、今の最先端は、数日後には最先端でなくなる。人間の同意によって作られている以上、最終結論は出ない。問題が肯定的・否定的に解決されたら次の研究対象に興味が移り、そこが最先端になる。

そして、最先端そのものには深い意味がない。将棋の場合は勝つことが至上命題であるので、昨日まで最先端だった手でも完璧な対策が現れればその手はもう指されない。勝つためには無意味であるからである。このことはこの後重要になってくる。

このことをよりはっきりいえば、最先端は「王道」ではない。最先端が王道だと勘違いしていると、かなり辛い、悲しいことになる。例えば私の専門は変分法だが、変分法の王道はやはりミニマックス値に関する解析である。 50 年以上も歴史がある。そこから離れたところに最先端があることは時々あるが、王道は揺るがない。また、微分方程式の王道の 1 つが変分法であることも、今後も揺るがないだろう。

最後に、最先端を追いかけ始めたら、それをやり続ける限り、一生ついていかなければならない。一度最先端に到達し、その上で、最先端を追いかけるのをやめるということは、もうその世界をやめるということになるだろう。

補足

現在の将棋の場合は、人間の手でないものによって最先端が作られた特異な世界だと書いた。そこで、コンピュータによって変な手が出尽くしたので、もう変な手は出ないだろうと予測している人もいる。これは私は状況を注視したい。

ソフトが出してきた戦法というのは、確かに僕ら棋士の常識を変えましたけど、もう変え終わったというか。これ以上僕らが驚くような手は出ないでしょって。個人的にはプロの出す手も行き詰まってきていると思いますけどね。人によってはまだまだあるって言う人もいるでしょうけど。 ーー言葉はすべて単純明快。自分を飾らず何事も楽しむ。棋士・渡辺明 34歳。

私が最先端を追いかける、または、追いかけない理由

そこで、私はどういうスタンスで最先端と関わっていたいかということを述べる。

最先端を追いかけるもの

まずゲームでは、最先端を追いかけているものもある。全部ではもちろんないけれども、特定のゲームについては完璧にアプデについていって、広範囲の知識を得ているものもある。最先端についていくのは大変で、少なくない時間を割いて情報を収集し、自分でも実践をしていかないといけない。

どうして最先端についていきたいのか、というと、私がそのゲームをプレイするのが好きだからである。人生の 26 年をビデオゲームと過ごしてきて、私の得意なゲームがどんなものなのか、最近になってようやくわかってきた。だから夢中になれる得意なゲームをやっていきたいと思っている。私は人生をかけてビデオゲームをプレイする。

最先端を追いかけないもの

その他の対象は、ほとんどの場合、最先端を追いかけないことにしている。

これは別に数学に対して不真面目だということではない。最先端を追いかけることを諦めている訳でもない。ただ、最先端についていかなくても研究はできる。事実、どこのチームにも所属していない私が、こうやって存在している。

最先端そのものに深い意味はないと先ほど書いた。そのため、誤解を恐れずにいえば、金融商品と同じく、数学の研究成果にもミスプライスがつくことがよく起こっている。そのミスプライスに乗じて稼いだ人が高い業績をあげたことになっている。一瞬だけヒットした研究テーマというのは結構ある。そういうのを見て「選ばれていく」人を見ていると、必ずしも数学の実力や勤勉さとは関係ないのかなとも思う。

こんなところを読んでいる人は少ないだろうから余計な一言も書いておくと、今の日本の数学業界のまずいところは、修士課程の早い段階から競争が始まっており、ミスプライスに乗じて研究成果をいきなり出した人しか「残せ」ない、それしか「枠」がないことである。大学院は本来勉強するべき期間があるべきだが、本格的にアカデミアに残りたいなら、もうその余裕すらない。現在の状況を金融商品に例えると、急激に上昇した銘柄に集中投資するようなものである。その中には大数学者となる人もいるだろうけれども、ミスプライスがかなり入っていると私には見える。というか実際そうなっている。これは非常に危険な投資法である。もう少し広く持っておかないとまずい。ミスプライスがついた人たちに教育を受ける人たちはかわいそうである。

私の数学へのスタンスは、客観的に見てどうなのかはわからない。しかし、少なくとも私には合っている。どこのチームにも所属しないので、誰からも指図されない。自分の興味のあることを突き詰めていって、研究成果が出れば、別にその過程は最先端の手法を使っていなくてもいい。大学 1 年生でもわかる工夫もあるし、高校生でもわかる工夫もある。そして、もしかしたら私のやったことを最先端のチームのどこかが取り入れてくれるかもしれない。そうなったら喜ばしい。

本当に私がやりたいこと

私がやりたいことは、新しいことである。 私の究極の目標は、なんでもいい、新しいことをやり続けることだ と思っている。それが、国費を使って高度な教育を最後まで受けた人間の義務だと思っている。そのためには、 自分のやっていることが最先端かどうかということは、全く関係ない と思う。むしろ、外れているくらいでちょうど良いと考えている。

ここまで話をしてこなかったことがある。 人間の同意で最先端が作られているということは、人間同士でバイアスがかかっているということでもある

例えば業者がやっているような攻略 Wiki は、よく間違いがある。単純に事実の間違いもある。それ以上に?困ったこととして、このキャラは弱い、この武器は弱い、などというバイアスがよくかかることがある。

ところで、よくできているビデオゲームの制作者というものは、きちんとバランスを取ろうとするものである。一見弱いように見えても、巧妙な使い方をすると強かったりもする。そういう場合「わかりやすく強い」要素よりも「わかりにくいけど強い」要素の方を「より強く」設定する傾向にある。

私はこういう要素をいち早く見抜くことに適性が高いらしい。「わかりにくいけど強い」要素を浮き彫りにして、業者の攻略 Wiki に反駁するようなことを過去たくさんやってきてきた。正しい常識というものを示してきた。それが私の貢献である。

手前味噌になるが、この前まで AtCoder 人類最難問と呼ばれた E - e だって、私が解いた後は決して「難しい問題」ではなくなってしまった。しかし解かれる前までは、なんだこりゃとなっていたわけで。

だから人類で最初に新しいことをやるというのは、単にそのことをやることよりも、難しい。最先端という名の人類のバイアスに反対しながら、あえて別の道をいかないといけない。

読者の方には、どうやって最先端というものに向き合うのか、考慮していきたい。「最先端」をうまく処理し、ミスプライスをものにすれば、自分の人生を豊かにできるかもしれない。逆に、「最先端」に踊らされるのは、虚しい人生になってしまうかもしれない。

前も書いたが、カネのためには、ヒトは何にだってなれる。数学の場合は、コネと最先端もその中に入ってきてしまう。一般論だが、最先端を追いかけることそのものが目標になるのは避けた方がいいし、今の自分がそうなっていないか注視しておくべきだろう。自戒もこめて書いておく。