私の修士課程院試の記録 (筆記試験編)

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この記事では、私が 2013 年度の東京大学大学院数理科学研究科の修士課程の院試を受けた 翌日に書いた記録をそのまま公開する

面接の発言者の教員の名前はすべて実名で表記するが、一つも不適切な発言がなく、ただ私が数学的に恥をかくだけで、教員の態度は、立派だった。あらゆる「模範」となる面接だと思う。このような優れた面接の内容が少しでも知られてほしいと思い、修了前の私が公開することにする。実は「公開してはいけません」と言われたことはない。だったらなおさら公開する。

修士の口頭試問は非常に厳しい。しかし今から考えると、修士課程の院試の口頭試問は、私が人生で受けた中で最も優れている面接だったと断言できる。今新卒採用人生 4 回目である私がいうから、間違いない。

以下、文章は多少整形するが、 記述は当時のまま である。試験直後でナーバスになっている部分はあるけども、そのまま公開する。今から見直すともう少しどうにかならんのかと思うことばかりだけど、もう終わったことだ。読者は私の不優秀さ加減をせいぜい笑ってもらえると供養になる。

この記事は筆記試験であり、次の試験が口頭試問である。必要なら口頭試問の方に飛んでほしい。

本文

正直に言って、私は院試のことを振り返りたくない。まさに悪夢のような院試だった。悪夢としか言葉の選びようがない、恐ろしさに満ちあふれた 4 日間だった。しかし、受けてから日が浅いうちに、自分の受けた体験を書き留めて置かなければ、後に美化された言動ばかりすることになるだろう。それは欺瞞だ。欺瞞という忌避すべき言葉を避けるべく、ここにあるがままを記す。 (注釈:この文章は、実は、私の友人にメールで書いたものです)

1 日目

そもそも緊張して 5 時間くらいしか睡眠出来なかった。

まず午前の英語の試験からことごとくヤマが外れた。英文和訳では、ガウスの手紙(の英訳)を和訳する問題と、普通の数学の文章を訳させる問題が出た。後者は簡単だった。前者は時間が余る人が多いのでその対策としてつけてみたのだろう。前者はほとんどなんにも出来なかった。和文英訳は、予想していた線形代数とは似ても似つかない群論の和訳だった。正規部分群で割って商群を定義する話で、話自体は数学科で知らない奴は絶対いない。幸いなことにこれは大丈夫だった。

しかし午後の専門科目 A は、信じられないくらいできなかった。いつものように、線形代数、微積分、複素解析、位相空間論を選択した。私は位相空間論から始めた。今年は距離空間 (それも $\mathbb{R}^n$ の話) だった。この問題は取れると思っていた。しかし全く出来なかった。

その後線形代数をはじめた。 (1) は頑張って計算した。しかし (2) で方針を誤ってしまった。今から考えてもどうしてこんな方針を取ったのか私にはわからなかった。計算をはじめて 40 分くらいたってから方向転換することを思いついたのだが、ひとまず先に進むことにした。

そして微積分。微積分のはずが、微分も積分も全く出てこない問題だった。実数論の問題とも言える。ここで (1) で、なぜこんな事でこんなにも悩むのだろうと思うくらい馬鹿みたいに悩んでいた。すごく単純な方針で、すごく単純に答えをだそうとすれば大丈夫だった。それなのに、あの試験場、しかも、私達がいつも通っている教室で、ことごとく出来なかった。幸いにしてこれは最終的に答えにたどり着いた。 (2) は方針が思いつかなかったので、 (1) だけだと部分点が殆ど来ないなと思いつつ、最後の複素解析に飛ぶことにした。あとから考えれば、この方針は思いついて当然だった。 (1) は丁寧な誘導になっていたのだ。そのヒントを生かしきれなかった私は愚かのうちのさらに愚かだった。そして、複素解析は、特殊な問題の更に特殊な問題というべき問題だった。全く歯が立たず、逃げるようにこの問題をパスした。

お気づきだと思うが、ここまで私は 1 問も完答していない。私はもう落ちると思っていた。これもアホで、あくまで冷酷に、無心に、自分の計算をし続けるべきだったのだ。それが試験というものだ。

しかし、私は最期まで諦めなかった。その結果残り時間 5 分の段階で、線形代数の (2) の問題が解けたのである。ものすごい勢いで答えを書いた。字が汚かったのと、テンパりすぎていて、数学科のくせに「 $120$ 度」と度数法で答えた。これは恥ずかしかった(しかしもちろん正解と判断されたはず)。試験が終わった。

開始 60 分は動揺していなかったのだが、残りの 120 分はテンパッてテンパッていた。もちろん最後の問題も計算ミスを乱発していたが、数学的な直感がすぐに気づかせてくれた。

しかし正解数が 1 問という非常に困ったことになってしまった。私の計画では 3 問取る予定だったからだ。私からは明らかに笑顔が消えた。

その夜も眠れなかった。暑かったのもあるが、寝られなかった。専門科目 B では 1 問ではきっと足りないことだろう。 2 問、いや 3 問を取らなければならないのではないか? …しかしそんなことは例年の難易度から考えるとありえないことだった。今までの過去問で一度も成し遂げたことをしなければ、合格できない……それはつまり、不合格なのではないか。不合格するために受験しに行くのか…と思うと、思わず涙が出そうになった。足切りの日にあわせてゲームを注文しようと思っていた。つまり諦めだ。

しかし苦心した後、最後まで諦めないことを誓った。思えば 3 時間、飲まず食わず、最期まで計算できたのだ。そして最後まで懸命に計算し続けたこと、つまり集中力が 3 時間続いたからこそ、 1 問解けたのである。もしも途中で集中力がぷつんと切れていれば、あの 1 問を取れなかっただろう。それは不合格そのものだ。だからこそ最後まで諦めない。月並みな言葉だが、やっぱり最後まで努力し続ける。それが、 1 問とった今日の私への、明日への私がとってしかるべき態度ではないか。そう思った。専門科目 B が終わってから考えようと思った。

2 日目

やはり 5 時間くらいしか眠れなかった。

自作の「解析学の知識のまとめ」をチェックしつつ、専門科目 B の試験の開始を待った。

試験が始まった。まずはルベーグ積分の問題をやろうとしたが、できなかった。

そこで、微分幾何学 (微分形式の積分) の問題に着手することにした。この問題は、外微分 $d$ と、ストークスの定理さえわかっていれば計算で来てしまう問だったが、向き付けの定義を書かせる問題があるなど、本質的な勉強を積み重ねないと解けないようにできていた。私はこの問題を 40 分で解いた。昨日から院試が始まってからはじめてまともに問題を解いた。

そして、今度は微分方程式の問題を見てみた。これは変分法の問題だということに気づいた。そうしたら方針を思いついた。 (1) は優収束定理を使うだけだった。 (2) は部分積分をする問題だった。 (3) は出てきた微分方程式の解を $1$ つ見出す問題だったのだが、解けなかった。

最後の問題は微分幾何学 (測地線) の問題にした。これは厳密に言えばリーマン幾何学の問題だが、 $\mathbb{R}^3$ の問題だったので、計算は高校レベルだった。 (1) は工夫して解いた。 (2) は計算が最後まで出来なかったが、できなかった箇所はわからないことを書いて提出した。 (3) は (2) の結果を使うとすぐに解けた。

院試は 3 問しか答えられないので、これ以上はとけなかった。ミスがないか確認しつつ最後の 10 分を終えた。この日も 1 度も試験を中断することはなかった。私の成績はだいた 2 問半だった。あとで振り返ってみるとミスがあったのだが、少なくとも 2 問分は確保できたと思う。

振り返ってみると、専門科目 A でも、専門科目 B でも、試験勉強したものは全然得点に結びつかなかった。もちろんこれは、試験勉強自体が悪いわけでも、無駄だったわけでもない。私の読みが外れたこと、つまり例年とは難易度や問題の質が変わっていたことが原因だった。そんな時に役にたってくれたのは、集中力と普段の勉強だった。院試の対策はそれなりにしたが、結局役に立ったのは、普段の勉強で、向き付けについて真剣に悩んで解決した経験があったこと、および、変分法の計算を何回もしていた数学の勉強。最後に頼りになったのはそういうことだった。

ここでセミナーで一緒だった人と話をすることができた。すると彼も専門科目 A は 1 問しか解けなかったという。専門科目 B は、私の解けなかった微分方程式の解を教えてくれた。初期条件に変わったヒントの出し方をしてあって、そこに着眼すれば解けていた。彼に 2 問半くらい解けたというと大きく驚いていた。つまり、現実は、

  • 専門科目 A の 1 問=不合格ラインではなく普通の成績
  • 専門科目 B の 2 問半=普通の成績ではなくよい成績

であったのだ。結構ほっとした。最後まで諦めなくて良かったと思った。

以下、面接編へ続く。