NIKKEI コンテストの対談で考えたこと

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Twitter だと長くなりすぎたので、全部削除してこっちで書きます。

1 つは、秋葉さんの発言が私の心に刺さったこと。もう 1 つは chokudai さんは挫折をしたらしいけど私も同じような挫折を 2 回もしたけど、今から考えれば幸運だったと思っているということです。

対談で印象的だった部分

競技プログラミングの「次のステップ」とは

chokudai さんが「若い子は競プロやり続ければいいと思う。心配せずともポテンシャルが評価される」という趣旨のことを仰ったあと、秋葉さんが「自分は半分賛成で半分異なる。競プロで高い成績を修めた後、次の目標になるものがあるとなお良い」という趣旨のことを仰っていた。西川さんも含めて、お 3 方とも一致していたのは、競プロ力が高い人は入社後活躍するポテンシャルが高い、ということだった。あの対談は記録が取られているでしょうから、各自、後で出てくる記録を確かめてください。

それで、私は考えた。私にとっての「次の目標」って何かなって。

スポーツ、ゲーム

chokudai さんは NIKKEI さんに載ることを想定して「競プロはスポーツ」と仰っていたけど、多分本当は「e-sports」か、または「ゲーム」と言いたかったのではないかな。私もフォーマルな場所ではこの「言い換え」を覚えておきたいと思う。

私の認識では、競技プログラミングは、究極的に要素還元していくとオンラインゲーム、それも MMO と本質は変わらない残酷なゲームだと思っていて、その意味では chokudai さんに近い認識です。

ただ私には秋葉さんの言葉も刺さっていて、私にとって計算機とは何なのかなとも思い直し始めた。

私は次のステップを 30 代で探す

私は計算機で、人が驚くようなことをしたり、何かを自動化するのが好きです。だから @sunaemonRT_univ@kawahigashinews も作ったし、出席管理システムも AtCoder 自動提出機能も作った。これらは全て、それらの類似品の最高レベルにあると思う。これらは私の「業績」の一部にすぎません。そういうものの、究極の先って、何なのかなと思います。

数学専攻で優秀な成績・研究成果を修めた後、民間企業に行き、途方もない成功をした人も私は観測している。私は何かを「当てる」可能性はあると思うけど、それが何なのかは「当たる」までわからない。秋葉さんは優秀だから、その「答え」を 20 代で見つけられ、だからあの発言をしたのだろうと思います。私は 30 代で、それを見つけていかないといけない。今までの人生は色々あったけど、 30 代はとうとう実力がものをいう時間になると予測している。

挫折について

あと chokudai さんは挫折したこととして大学受験失敗を挙げていた。浪人中も競技プログラミングをやり続けていたらしい。「それでも社長になれたからいいんですよ!」と仰っていた。

そういえばこんなツイートもしていらっしゃいましたね。

以下は全部私の話です。

現役不合格は超幸運だった

私も理科一類に不合格になってよかったと思っています、その後の人生を振り返すと。

1 つは河合塾に行けたことでかなり正確な要旨要約と日本語の訓練を積めたことです。この件は昔書いた。これがどれほど貴重なことかはこの前書いた。今から考えればあそこしか、英語や国語の専門家(博士課程行って大学講師といったレベルの人)から勉強できる時間がなかった。

もう 1 つは、私が M1 の頃に今の指導教員である宮本准教授が本学に赴任してきたことです。もし私が理解一類に現役合格していたら、楕円型方程式だと、 M1 までは俣野教授しか選択肢は事実上なかったことになる。彼の指導者としての酷さはよく知られていて、彼の名誉のために詳述はしないが、事実だけ書くと、晩年、内部進学者は出なかった。私も中村教授に B4 のセミナー代わってもらったくらいだった。その中で幸運にも M1 で宮本准教授が赴任してくださったおかげで、指導教員変更を経て、私は変分法、特に臨界 Sobolev 指数を持つ半線型楕円型方程式を専門とすることができた。これを深めて、運良く、博士論文も書けた(まだ修了は正式には確定していない。だから「書けた」である)。

もちろん不合格のために一生懸命工作した人間たちは絶対に、永遠に、許さないです。しかし私の中では、もうわだかまりはありません。私の人生は、ある程度の不幸や犠牲は避けられず、現役合格理科一類進学は、不合格河合塾進学よりも、「その後」に不幸なことが起きたでしょう。

留年も幸運な出来事だった

あと睡眠障害の療養のため本数が足りず、留年して D4 に上がれたのも、間違いなく幸運だった。 FMSP は副業禁止・インターンは申告制という厳しい制約があるので、 D3 で修了すると、 tenure を目標に duty に奔走し、最終的に研究者としての緩慢な自殺を目標とするしかなかった。

D4 になって YouTube で収益化できたし、また、それが決定打となり本格的なインターンを積むことができた。この辺は後で書く。これによって私の人生は継続することが可能になった。

実はまだ決定事項はないのだが、決定し公開が可能になった時点で私の 4 月からの所属は公表する。