東大の学部入試の英語について

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この記事では、私が 10 年前に受けた東大の学部入試に向けた英語の指導についてメモをする。以前河合塾本郷校で受けた英語の指導について触れた。その続きだと思ってほしい。

この記事を書く目的は、主に次の点を明らかにすることである。これらについて、途中で回答が述べられる。

  • 東大の学部入試の英語で高得点を挙げるためには、画一的な指導では足りず、語学の才能がない私のような人間の場合は、河合塾本郷校で受けたような高度な指導を受ける必要がある。
  • 10 年前の私は東大の学部入試に向けて過剰適応するように勉強していたが、その成果は今の私に役に立っている。
  • 東大の学部入試の英語の過去問は、今の私の読解用の教材にちょうど良い。
  • 例えば数理科学研究科の構成員は優秀な人が多い or 数学以外の科目に興味がない人が多いから、予備校がどんなところかあらぬ誤解をされていることがしばしばある。その誤解を少しでも解く。

私は数学を専門とする人であって、英語は専門ではない。身近の英語の専門家が別のことを言っていたらそっちの方が正しいと思ってほしいと思う。

東大の英語は「簡単」ではない

まず最初に言っておきたいのは、東大の英語は猛烈に難しいということである。

東大の英語は、出典がある場合、難しい語彙は易しい語彙に積極的にリライトされている。さらに教養学部の先生方の意向もあり、私が受験生の頃から基本的な英語力を重視する傾向になっている。その結果、東大の英語で 80 点くらいは英語力だけで簡単に取れる時代となっている。これは私が受験生の頃より少し前なら十分合格水準だったと思うし、今も他の教科の点数が十分なら、これで合格するだろう。

しかし、だからと言って、簡単ではない。入試は、他の人とどれだけ差をつけることができるかで合否が決まることを忘れてはならない。東大を受験する人間は皆優秀である。いくら東大入試が簡単なように見えても、実際はみんなが 80 点を取っているならば、 80 点で不合格になってもおかしくない。 90 点代でも、英語が得意と胸を張って言えるレベルではない。今の時代で英語が得意な受験生が目指すべき点数は 100 点以上であるのは論を俟たない。私自身 100 点は超えていたし、結果だけ見れば 80 点でも合格していたようだが、しかし英語の目標点数は 100 点以上であった。それを本番で取れて初めて、東大の英語は簡単だと言い切るべきである。

さて東大の英語で 100 点以上を取るためには、推測ではあるが、客観式の問題を仮に全問正解したところでは足りず、日本語か英語で書く部分でかなりの点数を取る必要がある。実際のところは、どれほど英語が得意でも、実際の試験では厳しい時間制約もあり、客観式の部分でも 10 点くらいは点数を失うだろうから、日本語か英語で書く部分で最大でも 10 点程度の減点しか許されない事になる。

ここまで書けば、東大の英語は相当難しいことがわかるだろう。私は河合塾で高沢先生から指導を受けることができたが、 1A, 1B は満点、 2A, 2B, 4A, 4B もほぼ満点を取りに行けと言わんばかりの指導を受けた。現行の水準は、私が受けた頃の水準とほぼ同じである。おそらくこの辺の事情も変わっていないだろう。

要するに、要約で満点、和訳・英作文でほぼ満点を取る必要がある。これができて、ようやく 100 点を超えることができる。

東大の英語の対策は難しい

ではどのようにして「要約で満点、和訳・英作文でほぼ満点」ということができるようになるのであろうか。

英語が読めるのは当たり前

まず英語力は前提である。東大の英語の問題は、向こうからかなり譲歩してきていることが知られる。例えば、出典に難しい英語の語彙が含まれるのであれば、易しい語彙にリライトされている。したがって、受験生なら、全部読めないと、おかしいのである。

これは決して受験生を愚弄した処置ではない。私は CNN English Express なども読むのだが、簡単な方の教材でも、実際の英語の記事には受験レベルを超越した単語がどんどん出てくる。はっきり言って、注釈や辞書なしでは 100 語以下のニュースも読めない。どうしてか? よく言われることだが、 non-native speaker が究極の目標とするべき語彙数は最低でも 20000 語程度で、受験生は 4000-10000 語くらいしかないのが普通である。英語の専門家でもない限り、この差が埋まらないからである。この事情は例えば以下の本に触れられている。

このため、私にとっては東大の入試問題は、英語力を鍛えるのには本当にありがたい。語彙力に無理のない制限がかかっているから、純粋に英語の読解力を鍛えることができる。これは東大だけでなく、多くの大学入試問題がそうである。特に受験参考書に収録される問題は、予備校の先生が選んだ問題であるから、前述の語彙の問題が生じていないことがほとんどである。これからも受験生用の教材をやっていきたいと思う。

画一的な指導では満点に至らない

要約・和訳・英作文、そして客観式ではあるが、 1B の問題の解法と対策について以下述べる。大部分の話がかぶるので、主に要約について述べる。

結論から言うと、 1A の要約で満点を取ることは可能である。 1 点も減点されない答案は、妥当な指導を頼りに訓練することで、本番でも書ける。しかしその画一的な方法論はないと言える。

具体的に言おう。 2004 年の 1A を題材とする。以下の答案で満点がつくと思われる。

  1. 専門家が専門領域で驚異的な記憶力をみせるのは、
  2. 個別の要素毎に記憶するのではなく、
  3. 全体像を過去の経験に結びつけて自然と記憶するからである。

東大の問題は大抵、採点ポイントがはっきりしており、さらにポイントを拾う難易度が異なっているため、綺麗に点数がばらけるであろうと思われる。この問題についていえば、 1. は英語が読めていればまず絶対に書くはずである。 2. は画一的な指導でも対処が可能である。 2 つの段落の共通部分を拾えば出てくるからである。しかし 3. はどうだろうか。第 1 段落の布石を第 2 段落で回収する構図になっており、第 2 段落でも直接の表現が出てこない。第 2 段落で言われていることを一般論として再構成し、第 1 段落の具体例を説明する妥当な解釈を考えねばならない。その結果 3. が出てくる。

指導する側に立って考えてみよう。例えばこの問題が 12 点満点ならば、 1. が 2 点、 2. が 4 点、 3. が 6 点くらいだろうと思うが、 1. と 2. は画一的な指導でも拾えると思う。しかし 3. を拾えるようになるために、受験生に何を指導すればいいのだろうか。私には全くわからない。さっきも書いた通り「第 1 段落の布石を第 2 段落で回収する構図」になっており、一般的な原則として「何かルール」をおさえることによってクリアできる代物ではない。

よくある要約の指導では、ディスコースマーカーを拾いなさいとか、重要な表現が出てくるサインはここだとか言われるが、高沢先生はそういうものを否定していた。正しく言うと、ディスコースマーカーとか、 What I want to point out is … のような表現で重要な部分が出てくるのは英語として当たり前であり、そんなものはクリアしていないとおかしい。そういうところでは太刀打ちできない。だから指導としては意味がないのだ、と。

実際、このことは他の問題を見ていても明らかである。 1B は段落整序や不要分削除や論旨の問題が出てくるのであるが、東大の入試問題は「ディスコースマーカーを拾いなさい」や「重要な語句を拾いなさい」で受験生が引っかかるように間違った選択肢を徹底的に仕込んでいる。もちろんきちんと英語が読めていれば、絶対ありえないような半分笑ってしまうような選択肢なので、受験生を引っ掛ける目的でそういう選択肢をいれているわけではない。英語が読めていないのに、ディスコースマーカーやら重要表現やらで正解に至ることを否定しているのである。

実際の指導の現場

私が受けた指導

高沢先生が言っていた要約問題の「解き方」は、とても簡単である。あまりにもシンプルすぎて、以下に書いても「営業妨害だ!」と言われることはないと思うので以下公開する。

  • 段落毎にメモを取る。メモを取らないと、読んでいるうちに忘れてしまうかもしれないからである。
  • メモは必ず日本語で取る。東大の要約の問題は字数制限が非常に厳しいため、何文字かかるかをメモの段階から把握しておく必要があるからである。
  • それを見て、字数に合うように圧縮して解答を書く。

そして、メモの取り方の画一的な方法論はないのである。

正直言って、高沢先生は文法事項や構文の重要な事項は、英文を読みながらその都度指導してくれたんだけれども、東大の英語の問題の解き方は、画一的な指導は一切してくれなかった。だからなのか、高沢先生は決して人気がなかった。

私の受けた指導は前の記事に書いたが、高沢先生による徹底的なダメ出しとリテイクであった。ポイントを全部押さえた満点の答案ができるまで、毎週見てくださった。これをたくさん繰り返して、上記のような満点答案が自分で書けるようになった。結局は受験生自ら学ぶしかない。指導者にできることは、妥当な解答を示し、受験生の解答にダメ出しをすることだけである。画一的な指導が不可能である以上、そうするしかあるまい。

日本語力も鍛える必要がある

そして、ここからもまた重要なことを書くのであるが、東大の英語で 100 点以上を取るためには、英語力だけでは足りない。日本語の表現力も鍛える必要がある。

先ほどの 2004 年の 1A についてまた考えよう。仮に 1., 2. だけ盛り込んだ答案を書こうとすると、 60-70 字という制限字数では十分余裕がある。しかし 3. を盛り込もうとすると、 60-70 字で書こうとすると猛烈に難しい。上ではさらっと解答を示したが、実はあれは相当圧縮した書き方になっている。「個別の要素毎に記憶するのではなく」は rather than attempting word-by-word memorization, actors analyze scripts … という部分からヒントを得て書いている「訳語」であるが、一般化した上にここまで圧縮した日本語を思いつくのは難しい。「全体像を」「過去の経験に結びつけて」「自然と記憶」に至っては、そもそも直接対応する箇所はない。第 2 段落の事象から第 1 段落の説明にもなる一般化を自分で考える必要がある。その上字数制限を充たす必要にして十分な日本語を思いつく必要がある。

正直に言って 2004 年 1A は決して英語の読解として見たとき、難解な箇所はない。全くないと言っていい。しかし解答に至る道は平坦ではない。特に字数制限の中で 3. を充たすのが難しい。ただしこれでも決して難問ではない。例年東大が出す、標準的な難易度の問題である。

時間と文字数の制限

ついでにいうと、余計なことも書かないことも極めて重要である。余計なことを書いている字数の余裕がないゆえに、重要ポイントが抜け落ち間違いなく減点となる。書いた場合どのように取り扱われるかも不明である。余計なことを書いたがゆえに、減点される可能性もある。

そして何といっても、この作業を、読解を含めて 10 分たらずで行わなければならないのである。昨日の私は 7 分で解けたのだが、受験生の頃は 10 分程度でできるようになるのは本当に大変だったと記憶している。ただし入試本番ではできた記憶がある。びっくりするくらいうまくいっていたので、 3 のリスニング放送開始までに 1A, 1B, 2A, 2B は解けていて、放送が始まるまで 3 の予習に回すことができた。これは高沢先生からそうしろと言われていたけれども、模擬試験では 1 度もそういうことができなかった。

時間の制限と、文字数の厳しい制限に追われながら、読解を正確に行い、解答内容を自分で考えつつ、なおかつ妥当な日本語を出す必要がある。これが難しくないわけがないじゃないか。訓練に時間がかからないわけがないじゃないか。英文がリライトされていて読みやすくなっているからといって、東大の英語は簡単ではない。

東大の英語が簡単だと言う人の英語力を、私は一切信用していない。簡単だと言い切るのであれば、まず一度東大受験をして 100 点以上を取ってほしいと思う。

指導する側に訓練が求められる

これらの作業がどれほど難しいかは、巷の「模範解答」を見てもらえばわかる。 3. どころか 2. すら書かれていない答案もある。ついでに第 2 段落の表現に引きずられすぎて余計なことも書いてある答案も多い。私の答案を超える答案は、巷では極めて少ない。

つまり指導する側にも相当の訓練が求められるのである。前の記事にも書いたが、高沢先生は東大の博士課程を満期退学して、大学で英語の講師をやった方である。そのレベルまで訓練しているから、正解を示し、私の答案を徹底的に直すことができたのであろう。これが仮に、上の模範解答を書けない人から教わったり、そういう本で勉強したりしたら、どうなるであろうか。満点に至らない答案を書く人から満点に至るように指導されることは不可能である、その生徒が語学の才能を持っていない限り。つまり私には 100 点越えは絶対に不可能だったことになる。

あまり書かないほうがいいのかもしれないけれども……以下の件については私にも守秘義務はないし、ここまで読んでいる人はほとんどいないだろうから書いてしまう:東大の二次試験の地歴の一部の教科の採点は数理科学研究科棟の教室で行われている。立ち入りが厳密に制限されており、その様子を見ることはできないが、深夜や早朝の時間帯には、教室の黒板が見えてしまうことがある。ある年、ある問題について、その黒板に書かれていた採点基準を使って、インターネット上の予備校の解答速報を「採点」したことがある。私は地歴の知識はほとんどないが、採点基準が明快で、私でも採点できるほど具体的であった。その結果、河合塾と駿台の模範解答は満点、またはほぼ満点がつく状態であった。一方で、その他の予備校の答案は満点とは程遠い状態であった。

以上のことから考えると、東大の入試問題の解答でそもそも満点の答案を書ける指導者というものは極めて貴重で、そもそも少ないと言える。年がら年中入試問題の解答解説をしている予備校ですらそのようなピンキリの状態なのだ。たかが大学の学部の入試と言えども、指導者の側に相当の訓練が必要なのである。特に英語と国語はそうであろう。

国語の指導も重要

私の場合、日本語の徹底的な指導は、英語の指導だけではなく、国語の指導でも行われた。詳細は機会を改めるが、河合塾国語科は非常に妥当な指導をしてくださった。私は現代文は晴山先生、古文は太田先生、漢文は三森先生だった。晴山先生は妥当な解釈、妥当な表現を指導してくださった。古文・漢文は、お 2 人から添削指導が毎週あった。特に三森先生は妥当な指導をしてくださった。講師室に行くと、先週の答案を渡して目の前で表現の至らない点をご指摘下さった。国語は「読めるかどうか」ではないのである。読めることは前提である。その上であの狭い解答欄に、妥当な解釈を妥当な表現でどれだけ圧縮して書けるかを競っているのである。この先生方も、博士課程、大学講師といった経歴は当然のように積んでいる人たちであったことは付言しておきたい。

河合塾本郷校では、英語の指導だけではなく、国語の指導も受けることができた。それもただの「指導」ではなく、自らも大学院で厳しい訓練を積んだ方達による妥当な指導だったから、得点に結びついた。

指導を経て私が得たもの

予備校はピンキリであるが、少なくとも 2008 年度の河合塾本郷校の東大理類プレミアムコースはまともだったと断言できる。当たり前である。講師の先生方は、大学の先生方と同じ訓練を積んできた方々なのだから。その人たちがいい加減なことを指導するわけがない。もちろん東大コースの最終目標は東大合格なのだから、入試問題に過剰適応する必要がある。しかし東大の入試はありがたいことに、手間を惜しまず良問が出題される傾向にあるから、そこに過剰適応しても、あまり害はなかった。むしろ得られるものの方が大きかったと思う。

私が失ったものはせいぜい嫉妬されないことくらいである。数理科学研究科の構成員はプライドが高いから、私が予備校に行ってたくさん得点を取るための訓練を受けましたと言えば「点を取るのが上手いだけ」とか「ペーパー試験を重視しすぎている」などとすぐに言われる。嫉妬をされないのは人生を円滑に進める上で大事である。そう言われないだけの劣った能力のまま人生をまっすぐと進むことができなかった点は、確かに失ったことであろう。

もちろん、私が東京大学に合格して、しぶとく生きているのは、河合塾の先生方の指導のおかげである。その指導を受けられて、とても幸運であった。何よりも、英語と国語の指導は役に立っている。

英語はまず英語力そのものが役に立っている。そりゃ大学にいるのだから当たり前である。しかし最大のポイントは、日本語の妥当な読解力と妥当な表現力を手に入れていることである。今の時代、要旨要約をいかに的確にできるかは、生死に直結しかねない。アカデミックなアウトプットは、想像以上に、要旨要約の連続なのである。学問をやる上でも、人間が生きていく上でも、重要である。

そしてその能力は、独学で得るのは本当に難しい。先ほどから繰り返している通り、画一的な指導では満点に至らないし、そもそも巷には満点でない「模範解答」が溢れかえっている。この中で妥当な読解力・妥当な表現力を得るためには、自分自身に語学の才能があるか、または、訓練を積んだ指導者から徹底的に指導してもらうしかない。私は語学の際はないから、後者しか道はなかった。

ゆえに、河合塾本郷校に通えたことは、私の 10 代の人生の出来事のうち最も幸運なことであったと思う。このような機会は大学入学後もあったとは言えない。誰にも邪魔されず、ただ東大受験のためだけに静かに勉強を進めることができた、あの 1 年しか、私にはチャンスがなかった、と今から振り返ることができる。