修了後の数学との付き合い方がわからない

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私は、修了後の数学との付き合い方がわからない。どうすべきかがわからない。必ず今後も付き合っていかないといけない対象なのだが、どうやって実力を維持していくべきかがわからない。わからない理由を書いておく。

博士論文が書けた理由

私は博士課程の 4 年間で、運良く博士論文を書くことができた。前も書いたかもしれないけれども、私が努力するのは当たり前で、例えば、先行研究追ったり、論文を読んだり、教科書を読んだり、セミナーの準備をしたり。とにかく、数学の実力を高めるのは当たり前だった。時々休んだりする必要はあったけれども、その上で何が自分の琴線に触れて、何が研究成果になるかは、巡り合わせというか、運が必要だと思う。

私のやっていた楕円型方程式、しかも変分法は、その点確かにリスキーで、投稿論文を書くのが非常に難しいクラスに入っていると思う。論文を量産する必要がある、真剣にアカデミアに残りたい人たちにはオススメはできないだろう。その中で私が論文を書き、それが博士論文として認められたのは、幸運だったと思う。もちろん私は努力したけれども、そこは当たり前のことであって、重要ではない。誤解を恐れずに言えば、一番重要なことは、運だと思う。

そして、実はここから話題が変わるが、私のやった成果は、確かに一定の貢献をしていると思う。それは間違いなさそうである。しかし、楕円型方程式の変分法の最先端というものは、それとは全然違う仕組みで作られている。

最先端について

今変分法の最先端は、能力のある人たちによって作られている。しかしただ能力が高いだけではなく、能力ある人が協力しあっている。書くのが難しいのだが、普通の実験系のラボのようなものだと思ってもらえるとよさそうだ。つまり、ボスがいて、大きな目標に向かっていて、分業体制があり、その分業の成果として、大きな成果が出ている。

例えばここに変分法の天才がいたとして、その人がどんなに天才であっても、その人 1 人では最先端を追いかけ続けることは絶対できないだろう。そういう時代にすでに突入している。時にこのことは「悪い文脈」で語られることもあるが、その方法で確かに最先端の論文は書かれ、数学は進歩していっている。「数学も」その方法で進歩していっている、という言い方のほうが正しいだろう。少なくとも、微分方程式の最先端は、みんなそういう感じだろう。それは事実としてはあるし、私が読める論文を読む限り、そのような方法で生産された論文は質も高いから、全くおかしくない。

ゆえに、最先端を追いかけるためには、分業体制を組んでやるしかない。変分法の最先端にいるためには、どこかの勢力に所属して、あるいは新たな勢力を自分で作って、学者と学生が協力体制を敷き、大きな目標に向かって努力していく必要がある。そういう時代である。

だから、私は数学の最先端を目指すべきではない。というか、できない。私は、良いか悪いかは別として、自分の問題に興味を持つし、自分の興味ある問題しか興味がない。だから今後やっていっても「最先端の論文の 1 ページ」を書く可能性は絶対ないと断言できる。それは非常に合理的な帰結である。

数学に向いていた理由

しかし、私は、数学に向いていた。その理由は、数学なら、自分で勝手にやって勝手に出したという成果であっても、成果さえ良ければ、地球上のどこかには読んでくれる人がいて、高く評価してくれるからである。つまり、各勢力が最先端を追いかけていて、銃弾のように論文が飛び交っている中であっても、 1 人でポツンと興味ある問題をやっていれば、時々価値があることができて、しかもそれを認めてくれる人もいるからである。数学ならではの特徴だと思う。

だから私は今後もしぶとくやっていけば、今後も道は拓けると思う。数学は長期投資の分野であるから、数年という単位では計測を誤る。 20 年後、 30 年後にどういう数学ができているかで、その人の数学者としての価値が決まる。長いスパンで測れば、数学の実力に論文の業績が比例する。決してその逆ではない。

私がアカデミアを辞める理由

しかし、数学の業界は、現実としては、もうカネがない。少ないカネをみんなで奪い合うという現実がある。カネがない中でどれだけモチベーションを保って自分の数学、つまり数学のために数学をやれるのかは、本当に難しいと思う。全体的にカネがないので、たとえカネがもらえたとしても、すごい負担が待っている。たとえどこかの大学の助教にいきなり採用されたとしても、決して研究に専念できるというわけではない。数学のために数学をやりに来たはずなのに、いつの間にか争いで生き残ることが目標になってしまっていた。

私がやりたかったことは、自分の興味のある問題を見つけ、そしてそれに解答を与えることである。数学のために数学をやるというのは、そういう意味である。だからそれを広義に解釈すると、自分の興味のある問題なら数学以外に見つけてよく、そしてそれに妥当な解答を与えることに集中できるなら、今後の人生も有意義にやっていけるのではないだろうか。ありがたいことに私は計算機の一分野にもある程度適性もあった。数学出身の人しか解けないような問題もたくさんあるようだ。また、システム相談員や計算数学 TA を通して、割と実務的なことも好きであることもわかった。

もちろん私には義務もある。博士課程に行った人間は、高度な教育を国費を使って受けている。ゆえにその能力を行使し、還元する必要がある。その義務を全うするためにも、餓死する可能性の高い数学のアカデミアで餓死してはいけないのである。

では修了後どうするべきか?

数学専攻の院生でなくなる以上、数学の研究はもうするべきではないと思う。

もちろん自分の好きな問題は考えて良いと思うし、考えるのを辞めることはできないだろう。時々問題が解けて、投稿論文になるかもしれない。しかしそれは、前述の通り、決して最先端ではありえないのである。最先端への貢献ではなく、自分の好きなことをたまたま評価してくれる人が地球上にいるというだけである。それにどれだけ意味があるのかと考えると、決して入れ込んではいけない領域だと思う。それよりだったら、例えば C++ の例の本を読んだり、実務に関係ある経理や法律を学んだりした方が、よほど必要だし、合理的な時間の使い方である。

一方で、完全に数学をやめて良いわけではない。

数学は過去に腕前があったというだけでは全く意味がない。ヒトは必ず衰えていくし、若手に追い越されるのを避けることはできない。羽生善治さんほどのヒトですら、 48 歳でタイトルを全て失った。私はカネを生み出すために、これからも数学を使い続ける、しかもかなり高度なレベルで。ゆえに、数学の腕前を錆びさせてはいけないのである。少なくとも、衰えるまでは。

しかし何をするべきなのかというのは、自分でもよくわからない。

今の私は、博士課程に行っただけあって、解析学をはじめ、基本的かつ重要な内容なら代数や幾何もわかる。しかし日常的に数学を勉強して研究するわけではなくなる以上、必ず今の腕前からは落ちていく。それは仕方がないのだが、どこで能力を保ち続けるか、具体的に何をするべきか、どういう興味の持ち方をすればいいのかは、わからないのである。

例えば、私はフーリエ変換の計算は割と主要な結果は覚えている。そのくらいに積分が好きである。もちろんそのレベルを今後も保つ必要はない(というは普通の人は全然しなくていい)と思うが、ではどこまで精度を落として良いのかはわからない。例えばプランシュレルの定理を忘れるレベルになっていいのだろうか。今の私は絶対に No というけれども、そうも言ってられないくらい忙しくなり、永遠にフーリエ変換や関数空間を取り扱うこともないかもしれない。ゆえに、もしかしたら Yes なのかもしれない。ガロアの基本定理や、ド・ラームコホモロジーはどうだろうか。私はあと 40 年働く必要がある。将来どのような数学が必要になるのかわからない以上、ディフェンシブでないといけない。

悩む理由

どうしてこういうことを悩んでいるのかというと、数学という学問は、ある一定のレベル以上の事項になると、勉強の必要のある時に勉強することのできる学問ではないからである。必要になった時には、たとえそれが新しい数学であったとしても、最低限の骨格部分はすでに勉強していないといけない。つまり、忘れてはいけないのである。

このことは、数学を真剣にやったことある人には必ずわかってもらえる感覚だが、他の専攻の人には共有されているとは言い難い感覚である。

「数学を分かっている数学専攻の人」を雇う最大のメリットは、その人は向こう 40 年くらいに人類がカネを生み出すために必要な数学の骨子部分を既に知っていることである。だから必要な数学が時代の潮流とともに変わった時に、せいぜいその人が十分な時間勉強すれば必ず理解に到達できる。どんなに難しくなっても、である。

逆に、基礎的なトレーニング(学部 3 年 - 修士 1 年程度まで)を受けていない人が新しい数学を勉強しようとしても、例えば高校までのように効率よくは、絶対にできない。現代数学における「基礎的なトレーニング」には、相応の時間と厳しい訓練が必要であり、それは天才の才能ではカバーできない。過去の天才たちが届かなかった領域にまで、数学専攻は基礎事項を要求してくるのであり、その事実がある以上、才能なんて意味がない。最初の方の勉強を効率よくスキップできるだけである。

もちろんこういうことは、どの学問でも共通してあると思う。情報科学専攻となると、自分でプロセッサ・コンパイラを作るところから、片やネットワークまで勉強する。そのトレーニングが厳しくないわけがない。だから私が計算機で理解できる領域は、そういう人たちから見ればごく限られた領域になるだろう。物理学も、化学も、生命科学も、天文学も、きっとそうである。

数学専攻出身者について

カネを産み出すために必要となる数学のレベルは近年加速度的に上がってきている。私たちの目から見れば「基礎的なトレーニング」であっても、その習得のためにはそれなりの時間と労力をかけている。であるから、それについていくための道は 2 つある。

1 つは自分も「基礎的なトレーニング」をすることである。例えば最近は測度論が機械学習に必要か否かという議論があるようだが、測度論を勉強するためには「集合と位相」と「ルベーグ積分」と、せいぜい「確率論」の初歩を勉強すれば必ずお釣りがくる。数学科でいうと 7 - 9 単位程度である。このくらいの努力を各々するかのが 1 つの方法である。

もう 1 つは分業することである。きちんと数学を理解している数学専攻の人を雇っておいて、その一方でエンジニアリングに適性のある人を雇っておいて、互いに歩み寄り、その 2 つが協同作業することである。これは人を追加で雇うだけでいい反面、人件費がかかる。

どちらが正しいのかは、それぞれの状況次第だと思う。会社の規模にも依存するだろうし、事業内容にも依存するだろう。

ここで普通の人だと「数学専攻の人を雇っておいて、その人がフルスタックエンジニアになれば便利だよね」と思うかもしれないが、この世界は、それほど甘くはないのである。数学専攻の人であっても、きちんと時間を与えないと、数学は正確に理解することすら困難である。事実、いい雑誌であっても、投稿論文は結構間違っているものである。プロがプロに宛てて書く論文ですら、そういう間違いが結構出る。ゆえに、時間をかけてやらないと正確な議論はできない。

私は、雇う側ではなく、雇われる側である。だから数学をきちんとできれば絶対に食いっぱぐれない一方で、どこまで精度を落とさないでいられるのかが勝負を分けるだろう。

しかし私だって、数学を必要に迫られて勉強するのは好きでない。精度を落とさないためだけに勉強するのは、絶対に嫌になると思う。どうすればいいのだろう。せめてその方針はわかった上で、修了の時を迎えたい。まだ修了するまで時間があるし、プロたちにも意見を聞いて回れるだろう。