東大入試が終わったら自殺しようとしていた理由

更新日時:

まずはじめに。この記事は胸糞悪くなること間違いなしなので、読むならそれなりの 覚悟 を持って読むように。読むことを決してオススメはしない。

正直、この話を読みたいと思う人がいるとは思わなかった。間違いなく 0 票だと思っていた。しかし私にとっては、今の私の生き方を規定する重要な理由である。満場一致なら、書かない理由もない。

2009 年の私は、理科三類を受験をした。医師になるためではなく、東京大学に不合格になり、絶望して確実に自殺するためである。その理由を以下では説明したい。

前提:なぜ私は理解一類に不合格になったか

遡って、私が東大に落ちた理由から書かないといけないと思っている。

私の 18 歳までの人生は、東大生としては考えうるレベルで最低の環境であった。ただし、親はカネだけは出してくれた。

私の高校の実態は以前書いたので繰り返さない。 高校は考えうる中でも底辺中の底辺だったから、絶対に退学するべきだった。 また、自分の家庭環境については改めて書かないといけないと思っているものの、非常に劣悪だった。ただし世間体があるから、カネだけは出してくれた。

私の父親について

「どうして自分の息子が東京大学に現役で合格するのが嫌なのか」と疑問に思うかもしれないから、この記事でまずそこだけ回答する。

自分の父親・高橋典久は、自分の祖父から非常に暴力を振るわれながら育てられた。あまりにもひどいので高校時代は寮生活を経験したそうだ。典久は加害者でもあるが、被害者でもある。そして、重要なことに、彼は大学受験で、東京理科大に受かっていながらもいけなかった。国立大学ではなかったからである。そこで、新潟大に進学した。彼は古文や漢文をやるのがすごく苦手で、そのことをやるのが死ぬほど嫌だったそうだ。だから新潟大が彼の精一杯だったという。その後はブルーバックスを片手に、専門家に対してバカな言動を繰り返す近年よく Twitter で観測される者へとなり下がっていった。

自分の父親である典久はブルーバックスにかぶれていて「数学は物理をやるための道具」「物理こそが最高の学問」という考えの持ち主である。さらに言えば、典久は理想の人生として、商社に入ることを望んでいた。「早稲田大学に入ると、同門意識があるから、タテとヨコのつながりで将来は安泰。東大は実力が見られるから、それがない」という考えの持ち主である。

また、典久と祖父は、共に警察の人間である。警察官という者は、よく知られている通り、東大が最も偉い社会だそうだ。県の本部長に東大卒の人間が来る。完全なキャリア社会である。仮に私が東大に受かると、仕事上の立場が逆転してしまう。若ければ若いほどキャリアとなる。

この 2 つの気持ちを考えたときに、典久の中で悪魔が囁いたのだろう。 息子の東大現役合格だけは絶対阻止しなくてはならない と。地方大か、私大か、浪人して東大のどれかしかないと。今私は色々な人(カウンセラーや医師)と詳しく話をしているので、この気持ちはわかってしまう。

補足

私は東京理科大と新潟大について比較するつもりは全くない。 私の同級生の森君は理科大出身でうちで 2018 年に博士を取ったが、放物型も楕円型も非常に詳しく勉強しているので、立派な大学教育を受けたのだろう。新潟大については詳しくわからないが、少なくとも現在の数学界では「東京大学の教員が圧倒的な研究業績を持っており、地方大はその属国」のような関係では全然なくなっている。例えば、私の分野だと、愛媛大の内藤先生はコンスタントに重要な結果を挙げている。中堅どころについての論評は恐れ多いので避けるが、私の指導教員の宮本先生に負けず劣らない研究業績を、地方大の先生や私大の先生も挙げている。もちろん、東京大学を含めて、そうでない人もいる。結局ピンキリであり、職業に貴賎はないが、同じ職業には貴賎がある。

具体的な事案

彼の目標は、具体的には、 私を東京大学不合格にさせ、早稲田大学に入れさせること であった。

その実態はあまりにもひどかった。まず 家では文系科目の勉強はさせてもらえなかった 。東京大学に受かるためには地歴公民と国語、そして英語の詳しい勉強は必須だが、やっていると激しく怒られた。

必要なら暴力も振るわれた 。私のお腹のあたりにアザが残っているが、広辞苑を思いっきり投げつけられた痕である。

当時小島よしおがクイズ番組正解するたびに「ワセダ〜ワセダ〜」と歌っていた。自分の行っていた学校は新潟大学なのに。

そしてきわめつけは、 センター試験前日に深夜 2 時頃にいきなり起こされた 。「おい、大丈夫か!?」と言われて。私は満足な睡眠すら取れずにセンター試験に臨むこととなった。

その結果、センター試験はあまりうまくいかず、東大の足切り寸前であった。

これを見た典久はニヤニヤしながら夕食を食べており、私と口論になった挙句、ついに本心を漏らした。

「東大落ちろ!!!!」

と、近所中に響き渡る大声で叫ばれた。彼の本心はそこに現れていた。

その後も妨害行為を続けられ、東大受験に集中することができず、東京大学理科一類に不合格となった。

この日の典久の表情は非常に覚えている。掲示板を見て、首を横に振り、ニヤッとしていた。

そうして地元に帰り、

「お前の母さんがガンになったのは、全部お前のせいだよ。お前の学費を稼ぐために働いて、ガンになったんだ」

と言い放ったのが、典久の人生の絶頂期であった。

その後私は、早稲田ではなく、浪人を選んだ。この時の典久の思考過程はよくわからないのだが、一浪で東大いきましたということになれば親の教育のおかげということになる。だから許してくれたのだろう。その 1 年後にまさかあんな形になるとは思ってもいなかっただろう。ちなみに、その時の典久のコメントは

「ゆとり教育の時代でよかったな」

であった。

よく 「高橋君は親から愛されていると思う。だってカネを出してもらえているじゃないか」 と言われるが、 典久に私への愛なんてひとかけらもない。ただ、自分の息子を自分の「作品」と捉えており、自分の人生の「復讐」として、カネを出しているだけだ。 ただしあまりにも成功されると今度は自分の「実績」ではなくなってしまうので、嫉妬も入り混じりながらほどほどに成功してもらうことが彼の本心である。

補足

ご存知の通り、このような親を持っていることは、私にとっては大きな制約を与えている。まず 私は少なくとも自分の両親が死ぬまで、結婚しない と決めている。つまりあと 20 年程度は結婚しないことになるので、おそらく一生独身であろうと思う。自分の父親と血縁関係を持つのは自分だけでよろしい。

また、 私は大きく資産を築き上げることは、絶対にできない 。つまり現在の民法では両親に対して扶養義務が発生するので、大きく財産を築き上げると、必ず困窮を装い、せびられる。私は自分の両親が稼いだカネでここまで生きてきているのも事実であるから、それを返済しろと言われる可能性は十分ある、というかむしろ高いと思う。結婚ならしないだけで済むが、資産をどのように管理するかは今後も課題となっていくだろう。

浪人生活

以上の教育環境にあった私にとって、河合塾本郷校での生活は、天国のようだった。 確かに寮の部屋は狭かったし、毎日 1 時間半程度通学時間に使うのは本当に辛かった。休日も模擬試験が入り、全然休めなかった。テレビもコンピューターもなかったので、時折ある暇な日はゲームセンターで必死に QMA5 で遊んでいた。それでも天国のようだった。

教育内容はこの前書いた。河合塾本郷校では優秀な先生方が東大入試を解けていることに感動した。そして 何より、自分の親と一緒に住んでいないことに感動した 。よく勘違いされるが、予備校は、大学院や高校とは違って、大学に似ている。来るものは拒まず、去る者は追わず、である。好きなだけ勉強してよく、勉強したい人には講師もチューターも支援を惜しまなかった。宿題をやっていないから怒るとか、誰もしなかった。私は主に英語、そして次に国語、その次に数学を勉強していたが、誰からも何も言われなかった。最終的には自己責任であるからである。

浪人時代に「新しく」勉強したことは、ほとんど何もなかった。 ただ静かに勉強し、受験を迎える環境だけがあった。前述の記事の通り、私の学校の生徒は 3 年間の高校教育で粉々に砕かれていたので、 1 年浪人する程度では全く足りず、東大には受からないことが多い。しかし私は、自分のやっていた受験勉強が正しかったので、 1 年後「普通」の環境で再受験すれば合格したというのが顛末である。

自殺を決意するまで

さて、浪人生活を始めてから半年くらい経った後、私はこう考えた。

どうしてこんなに周りの人はよくしてくれるのだろう、何より、どうして自分はあのような家庭に生まれたのだろう。

洗脳がだんだん解け始めたのである。そして次のような考えに至った。

もし私が典久の息子としてではなく、別の人の息子として生まれていれば、きっと東大に現役で入っただろう。今頃数学や物理の勉強をしていて、もっと高度な勉強をしていただろう。なのに自分は東京大学に受からず、河合塾本郷校で、今も受験勉強を続けている。

そして次のように考えた。

私が仮に理科二類を受けて、合格したとする。すると 2 年生の夏に進振りがある。自分は典久の卑劣な妨害により、東京大学に受からなかった事実がある。同じように、進路振り分けの際には絶対に自分の進路に口を挟んでくるだろう。また、自分の入る会社についても堂々と口を挟み、卑劣な妨害をするだろう。つまり、 今東京大学に合格しても、私の人生は結局はまた、典久に狂わされてしまう。自分の人生をあんな低俗な人間に妨害されたままでいいのか。

そして、結論したことは、自殺であった。 典久のような親をもち、進振りと大学院進学、就職の際に、今後も妨害される。それならば、もういっそ、死んだ方がマシだと。そんな底辺の人間に、自分の人生を狂わされる運命であれば、その苦痛をもう二度と味わうことなく死んだほうが絶対にいいと。

自殺するための方法

自殺することを決めた。次に考えたことは、どのように自殺するべきかということである。

すでに私は東京大学に不合格になりながらも、自殺できず、河合塾本郷校で浪人生活をしている。なんて未練がましくみっともないのだろう。つまり単に次の受験に失敗した程度では、自殺することはできない。自殺するためにはパワーが必要である。どうすれば良いのか。

そこで結論したのが、理科三類を受験するということである。

私はこのままいくと、理科二類は確実に合格する。しかし理科三類を受験すれば、おそらく不合格にしてくれるだろう。理科三類はすごいレベルの受験戦争であるからである。

つまり当時の私は、不合格になるためだけに、理科三類を受験したのである。ここで重要なのは、 不合格になった時に思いとどまらずに確実に自殺できるか ということである。もう一年浪人してやろうと思うかもしれない。

だから、受験する際は、全力で受験する。完璧に勉強しきり、ベストな状態で受験をする。落ちるために意図的に手抜きをすることは一切せず、その上で点数が足りなくて不合格にしてもらう。

こう決めた。そこでまず、 理科二類を受けると周りには偽り、実際は理科三類を受けることにした 。こうすればまず典久は大きくは妨害してこないだろうという思惑があり、実際その通りになった。河合塾本郷校の方にも理科二類を受けますといい、偽りの受験番号を全ての人に伝えた。そして当日、誰にも見つからないように気をつけながら、本郷キャンパスではなく弥生キャンパス(その年は理科三類だけが農学部が試験場だった)へと行った。

また、自殺の方法についても詳しく調べた。現在は改修されているが、当時の江古田駅は飛び込み自殺にはぴったりで、そこで飛び込み自殺をすることにした。どうすれば確実に絶命できるかも調べた。

また、 滑り止め系は、徹底的に全て捨てることにした 。浪人時は、私大は慶應理工を受け、後期は東北大学へ出願した。まず東北大学は出願をした後書類を全て破棄した。なおかつ新幹線のチケットもとった上で番号だけ控えて捨てた。慶應理工については、合格発表が東大の直前か直後かよくわからなかったけれども、とりあえず自分の親が何も言ってこないように、合格だけはすることにした。そして、慶應は入学金として一時金を要求してきたのであるが、それは払うと言っておき、実際は払わなかった。現金を意図的に捨てるのは法律に触れるので、隠し持っておくことにした(東大合格直後に母親に返した)。

受験当日まで、睡眠時間に気をつけ、復習をした。センター試験が終わった後も、テストゼミとプレテストを受けつつ、基本的には本試験と同じ時間に同じ教科を勉強することを繰り返した。一切手抜きをせずに、勉強した。その上で私は本試験でも合格に値する答案を作成した、不合格になるために。

そして、幸か不幸か、私は合格してしまった。東京大学理科三類は、私を不合格にはしてくれなかった。

補足

念のために言っておくが、私が理科三類に受かったことによって医師の数は減ったりしていない。当時の理科三類からは、事実上毎年 3 人は医学部医学科に行けなかった。だから私が数学科に進学したことにより、最下位の人が繰り上がりになっただけである。

むしろ、こんなバカげた理由で理科三類を受験し合格しその上で医学部医学科に進学していたら、そちらの方がよほど問題である。医学部医学科では教育に莫大な国費が注ぎ込まれる。その上で医師になりたい人に医師になってもらうのである。医師になるつもりがないのに進学する方がよほど問題である。もちろん最終的には自分の人生とは自分で決めるものであるから、特定の個人を批判したりはしないが。

また、残念ながら私と同じ年度で理科三類に不合格になった方は私のことを恨むかもしれないが、私の点数は合格最低点をはるかに上回っており、むしろ合格最高点に近かった。少なくとも私は特定の人の妨害をしていない。大学受験の仕組みは誠に残酷な側面を否定しきれないが、単に合格になっただけの私を恨むのは、やめてほしい。

「人生をかけて」なんて軽々しく口にするな

私としてはこの機会に、言ってやりたいことがある。

私がこのエントリの結論として述べたいことは 「人生をかけて」とか「命がけで」なんて軽々しく口にするな ということである。「人生をかけて」「命がけで」というなら、そもそも本当に自殺する方法を考えてないとおかしいだろう。この言葉を使う時に、死ぬつもりなんてないんでしょう。「一生懸命頑張る」程度の言葉でこの言葉を並べるのは、みっともないからやめろと言いたい。以上の経験をした私に、あろうことかこのような言葉遣いをすることが、どれほど愚かしいか、少し反省しろと言いたい。

私にとって、大学受験は、結果的には命がけのものとなってしまった。受験に失敗すれば本当に命を絶っていたのである。もちろんその源泉をたどると、結局はゴミのような親と高校に集約されるのであるが、大学受験が命がけであったのは、事実としては間違いない。そしてそれがいかにくだらなくて、愚かしいことか、私にはわかる。

まず 「命がけでやったらうまくいった」というのは、かっこいいかもしれないけど、現実の成功を約束しない。結果は、命をかけたかどうかではなく、偶然で決まる。 私の場合は非常に幸運なことに、開校 1 年目の河合塾本郷校に通うことができ、先生方もやる気があり、私もやる気があったから、たまたま受験のときうまくいったのである。以前から書いていることだが、実力を磨いて努力するのは当たり前のことであり、その上で 10 代は才能や適性や周りの環境によって成功するか否かが決まる。命がけになったかどうかは関係がない。私は断言できる。

次に 「命がけでやったから」と言って、結果が良いものであるとは限らない。得られたものは偶然で決まる。 私の場合、理科三類に行った結果得られたのは、別になんということもない、普通の大学生活である。普通の東大生には、普通に得られるものである。もちろん、進路振り分けの際も、大学院進学の際も、自分の父親は妨害をしてきたけれども、地方と東京では物理的な距離もあるし、世間体もあるから、カネだけもらって無視すればなんとかやってこれている。

さらにいうと 「何かを捨てること」によって人は何かを成功できるわけではない。成功には偶然の要因を無視できない。 私は浪人時に慶應に一時金を払わなかったし、東北大学への切符も捨てている。だからといって東京大学に合格したわけではない。こんなのは当たり前のことである。何かを捨てたということは、可能性を狭めたという意味では愚かなことである。バカなことを誇るなと言いたい。

結論

しかし理科三類に受かってよかったとも思っている。その結果、私は、中学生からの希望通り、数学科に進学することができた。仮に私が理科一類に現役合格していた場合、典久からの妨害は続いていただろうから、数学科ではなく物理学科や工学系に進むように卑劣に妨害されていただろう。これは確信がある。 私が理科三類だったから、世間体もあり、数学科への進学に親としての権力を発揮することもできず、典久も強くは妨害できなくなったのである。 そうすれば今の人生はなかったわけで、結果的に見ればよかった。普通の人は理科一類から数学科に進学するルートを取れるものだが、私は理科三類である必要があった。そこは普通の人とはハードルの高さが異なっていた。

そういうわけで、私の受験に関するエントリはこれで終わりとする。もう こんなアホで愚かな出来事 から 10 年も経過したとは、時間が流れるスピードは早いと思う。少なくとも私は 19 歳以降の人生になんら悔いはない。後悔はないし、基本的には、周りの人たちは優しく、その支援に感謝、有り体に言えば満足している。

こんなどうしようもない生まれの私がこの世で「生きていい」理由があるとすれば、それは河合塾本郷校〜東京大学〜大学院数理科学研究科で受けた高度な教育を、次の世代に還元することだと思っている。それは国民の支援を受けて博士課程を通った者として、応えなければならない負託であり、義務である。これを結論としたい。