来年度の解析学 IV についての提言

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来年度、平成 31 年度、つまり新元号元年度の解析学 IV (ルベーグ積分論)の講義について、私が提言したいことを述べる。

このエントリは要するに教授や准教授に向かって書いているわけだから、その人の性格が悪いと「なんだこいつは、学生の分際で」と言われるリスクがある。しかし実解析・偏微分方程式は分割統治が基本だから、東大まで登りつめたような先生方は特定の学生を貶めようなことは考えない。作用素環論も、河東教授があんな感じだから、このエントリを問題視することはないだろうと思う。

結論

私が言いたいことをまず結論として述べると以下の通りである。

  • 4 月は $\mathbb{R}^d$ 上のルベーグ積分の絞って講義し、収束定理を証明し、 Fubini-Tonelli の定理の statement だけは述べる。
  • 5 月以降は一般の測度の構成・存在・一意性などを講義し、 Fubini-Tonelli の定理を証明する。余裕があれば $L^p$ 空間や複素測度についても講義して終わる。
  • 演習は対応したもの出題するが、 5 月以降も重要な積分の操作を含まれるものを用意する。

以下、どうしてこうしたほうがいいと思われるか、理由を述べる。

学生は講義を中心に勉強する

まず最初に申し上げておきたいのは、学生はなんだかんだ言って講義をペースメーカーとして勉強を進めるということである。

数学科で、必修事項が身につくかどうかは、結局のところ自己責任である。それは間違いがない。

しかし数学科 3 年生の学生は、普通はまだ専門的なことは何も知らない。知っていたとしても耳学問で、厳しい訓練を受けて基本的な道具を使いこなすレベルにある人は少ない。もちろん私自身もそうであった。

その中で 3 年生は朝から昼過ぎまで必修または選択必修の講義と演習を受けることになる。そしてそのあとは自習時間で、復習をする。つまり講義と演習を中心に生活が回っている。それ以外の勉強ができるとすれば、すでに講義の内容を知っているか、またはついていけなくなるかのどちらかだろう。

このことを考えると、「最終的には自己責任だから」と言って、教員が講義や演習で下手を打つことは許されない。東大の学生は頭がいい。講義・演習は真剣勝負だと思ってやらないと潰される。学生が教員を潰すのである。学生は 10 年後には一線の研究者になっていることを忘れてはならない。

私自身、振り返ると、洪水のような講義・演習を消化して(消化できなかったこともたくさんあったが)、たくさんのことを学べた。現代の数理科学研究科の教員は、気の毒なくらいの雑務に追われている。その中で優れた講義をしてくださるのは、本当にその教員の慮りに甘え、依存している。私の受けた講義にゴミみたいな講義も確かにあったのは残念だが、それ以外の優れた講義をしてくださった大多数の教員に感謝の意を述べたい。

ゴールデンウィークが鍵

さて、精神論めいたことはいいとして、本題に入る。ルベーグ積分論は現代では世界中で講義されている科目であり、教科書もたくさん存在する。その中で、しかし、日本には特異な現象が存在する。それがゴールデンウィークである。

来年度は、現皇太子である徳仁殿下が、新天皇に即位なさる。その中で ゴールデンウィークが 10 日間になる ことが決定された。この間数学科 3 年生の学生は、遊んだりはしないで自習することになるだろう(別にビデオゲームとかで遊んでもいいと思うが、私なら勉強も結構するだろう)。

この間、数学の講義・演習がストップすることは、結構な影響があると思われる。 感覚的に言えば「ストップ」「リセット」されてしまう。例えば私の通っていた河合塾本郷校だと、ゴールデンウィークは「ないもの」として、講義が行われていた。これはもう、せっかくスタートした 4 月からの勉強がノッてきたところをストップさせないという意味である。しかし大学は予備校と違うから、自習に期待してゴールデンウィークは休暇にして良いのは当然であろう。

学習者は測度論に熱中しがち

最近、ベイズ推定や機械学習が流行っている。そこで「測度論」という言葉がしばしば工学や情報科学の界隈から話題に登る。そのくらい測度と積分は市民権を得てきており、また学習しようとする者が観測できる時代に急速になってきている。

ところで、ルベーグ積分論は、 日本の伝統的な講義方法では、序盤で測度を導入するのに相当な時間をかけている 。ルベーグ測度はその一例として導入される。収束定理は講義の中盤で述べられることになる。 Fubini の定理に至っては終盤である。もちろんそれは数学的には正しい、人によっては美しいと感じるのであるが、こと日本のゴールデンウィークの影響を鑑みると、このような方法は、以下のような点で問題があるように思われる。

私が観測した限り、ルベーグ積分の初学者は測度論に熱中しがちである。平たく言えば、 測度の構成に熱中してしまい、積分操作が全くできないまま、学習を終える ことも珍しくはない。

加えて、数学科に進学したての学生の中には、基礎論方面へ関心が高い者も多いことも指摘しておきたい。具体的に言えば「圏論かっこいい」とかである。そういう人に測度の構成を一生懸命講義すると、そこに熱中しがちである。測度の構成に関連する話題では、連続体仮説とか、バナッハ=タルスキーのパラドックスとかのカッコイイトピックはたくさんあるが、しかしそこに時間をかけて収束定理、 Fubini の定理が時間切れになるのは、意味が薄いと言えよう。

ルベーグ積分でまず身につけるべきことは、収束定理がわかり、 Fubini の定理がわかり、なおかつ重要な積分の操作が自分でできることだ と私には思われる。このことは定評ある吉田先生の本にも冒頭で述べられている。測度の構成はそのために通らなければならない道であり、確かに後に確率論を専攻する場合は、詳しく振り返る道ではあるが、多くの学習者にとっては決して重要度は高くない。

日本の伝統的なルベーグ積分の講義の限界

日本ではゴールデンウィークで講義が切られていると先ほど述べた。もし日本の伝統的な流儀でルベーグ積分を講義すると、ゴールデンウィークの前の時間を、測度の構成に費やすことになる。その状態でゴールデンウィークに突入すると、どうなるのだろうか。

私は、 上記の問題が高確率で発生すると見込んでいる 。言葉は過ぎるかもしれないが、それを「誘発」する原因となってもおかしくないと思っている。

実際、昨年度教養学部後期課程のルベーグ積分の講義では、その傾向がはっきりみられた。測度の構成では元気にレポート問題を提出していたのに、積分の重要な操作が含まれる問題になるとみんな力尽きたのか、全然芳しくなかった。その境目がだいたいゴーデンウィークだったように感じられる。

また、 試験の日程についても考慮しなくてはならない 。私が数学科 3 年生の頃は、夏学期の科目の試験は夏休みの後に行われていた。しかし今は、例の 4 ターム制のせいで、講義が終了して間も無く試験を行うことになる。 Fubini の定理が最後に講義される場合、試験までに全然練習する時間が取れないかもしれない。

繰り返し述べるが、学生が重要事項を身につけなかった場合、その責任は学生にある。それは間違いない。しかし 学生が困っていて教員が得をすることなんて何にもない 。ルベーグ積分ができない学生が大量に生産されると、解析学 V, VI, 確率統計学 I の教員が、非常に困るのではないだろうか。それどころか 4 年生の講究で解析学は避けられる傾向となり、ひいては未来の学者が育つ芽をつむことになったりしないだろうか。そのくらいの大いなる責任が特に東大の教員には伴うということは、日々重々ご自覚なさっているとは思うが、指摘しておきたい。

来年度はぜひ実験してほしい

幸いにして、日本の伝統的なルベーグ積分の講義方法とは一線を画する教科書も近年出ている。有名なものは日本語訳もされている。その例として以下が挙げられる。

特に Stein の本は優れていると思う。私の頃の解析学 IV の担当は新井先生だったが、 Stein の本の英語原著は(特に留学生のために)参考書として挙げられた。

この教科書の流儀を参考にして講義を組み立てれば、ゴールデンウィーク前にはルベーグ積分までは講義でき、収束定理も証明でき、さらに、 Fubini の定理の statement までは述べられる(証明は測度の存在と一意性について準備が必要なので無理だろう)。ここまで講義してから、あとは「絶対できてほしいような演習問題」を、 5 月以降も含めてゆっくり解かせれば、上記のような問題点を誘発しなくて済む。ゴールデンウィーク明けの講義では残りの事項について講義すれば、内容が不足することもなかろう。その組み立てをする意味でも、上記の教科書は参考になると思う。

もちろん、このような流儀で導入するとどうなるのかは、結局のところやってみないとわからない。思わぬ弊害もあるかもしれない。しかし、来年度はゴールデンウィークが 10 日間になるし、ベイズ推定や機械学習が流行っている現代においては、上記の流儀の「実験」にちょうど良いと思う。そうして、伝統的な講義方法との差異を収集するのはどうだろうか。

参考ではあるが、杉浦解析入門 I では、序文に、(1 年生に向かって)超準解析やルベーグ積分を講義した場合の顛末が述べられているが、これは「実験」をしたということなのではないだろうか。そんなの無茶苦茶だ、講義された側はたまったものではないと私には思われるが、しかし実験をすること自体は悪いことではないと思う。今回私が提言している「実験」はこのような無茶を含んでいない、素朴に学生を慮ってのことである。

大学を去るから余計な一言を述べておくけれども、思うに日本の大学教員は、自分の受けた講義を反復しすぎであると思う。数学は古びないし、先達の優れた講義は大いに見習えば良いと思うが、それを自分たちの代で深化させていくのもまた重要ではないだろうか。数学科も、時代の潮流や日本の暦とは無縁ではいられないだろう。

東京大学に於いて、良い講義をすることは、良い研究者を育てることに直結する。国立大学なのだから、良い研究をすることは国民の付託に応える意味で重要である。また、私のように計算機にある程度の適正のある人間は、そちらの方面で生計を立てようと思うようになるが、この場合も数学の力は大いに役に立つ。数学科においてその源泉となるのは、優れた教員による優れた講義である。私は数学科の発展を、地球の片隅から祈っている。