河合塾本郷校に行けて本当に良かった

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今日は少しのどの調子が良くない。昨晩寒かったせいだろう。外出は控え、ポエムでも読むことにする。ポエムを読むというのは競技プログラミング業界で誰かが言い出した俗語で、過去を振り返ることを指す。今回は私が幸運にも河合塾本郷校を選べた理由と、そこで高沢先生に指導してもらえて本当に良かったということを書こうと思う。

もう 10 年前の話ですから、受験生の方の参考にはならないと思うし、むしろしないで欲しい。私が書きたいことは、当時の自分についてである。 10 年前自分を指導してくださった東大英語チーフの高沢節子先生に感謝を伝えたいから書いている。

長くなったけど、分割しないで 1 つの記事にしておく。

私が河合塾本郷校を選んだ理由

私が河合塾本郷校に行けたのは、 2008 年度である。この年度は河合塾本郷校が開校した年である。当時の東大コースは、 文系は河合塾、理系は駿台 というのが定評のある解だった。だから私は定評のある駿台お茶ノ水にいくのが正解ということになったであろう(当時の私は理科一類を再受験するつもりだったから市ヶ谷ではない)。なのに私は、とてもリスクが高いことに、 全く実績がはっきりしない開校 1 年目の河合塾本郷校 に行くことに決めたのだった。

その理由は、さらに 1 年前に遡り、駿台の英語の講義を高校 3 年生で受けたことにある。当時駿台はど田舎の学生むけに「 1 週間の合宿があります。講師は駿台の東大コースの講師陣。現役東大生がたくさん来ます」と宣伝し、高いカネを徴収して商売していた。私の母親は典型的な教育ママで、その実地方短大卒の無能だから、予備校の東大コースの機微なんてわかるわけもないのだが「これがいいと思った。駿台の教育を受けて来なさい」ということで、申し込んだ。私は嫌だから行かせないでくれと言ったのだが、結局参加させられることになった。

結論から言うと、この合宿は 私が経験した合宿の中でぶっちぎりで最低なものだった 。まず。東大生がいわゆる「ウェイ系」だけだった。東大に入ってからよくわかったのだが、東大は全くゴールではない。幸か不幸か東大に入ると、空気を吸って吐くように日々実力を磨いていく必要がある。それを苦痛と感じるなら、 4 年間不幸になるだけだから、東大には入らなほうがいい。平たく言えばウェイなんてやっている暇がない。勉強するのが当たり前である(ただし出世はエライ教授にどれだけアピールできる材料が揃うかで決まるのだが)。だからあの合宿に参加していた東大生は、残念ながら落ちこぼれてしまった人たちが中心であった。下品になるから具体的には書かないけど、下ネタも多かった。それを見た私は、こいつらどうしようもないなと思ったのは言うまでもない。

それはともかく、最低だと思ったのは、講義である。さすが駿台だけあって、数学はとても良かった。雲幸一郎先生が来ていたのだが、専門は全然違うけど、要するに今の私の先輩である。専門家が情熱を持って受験指導すればそれは比類なきものになる。立派な講義をしてくださった。ところが英語の講義がまじでゴミだった。そのうち特に 1 人は最低だと思った。そもそもテキストを進めない。なんのために予習したんだと思わせてくれた。その上講義では、雑談と精神論をひたすら繰り返していた。底辺の教育を広げたくないので、詳細は書かないけど、断片を切り出すと、例えば「東大の第 1 問目は、みんなの英語を温めるためのものだ」とか、「さっき雲先生と話したんだけど、英語の勉強ってこうやっていたんだって」とか、……そもそも全く英語の講義でなかった。

そして、 1 年後ついに私に、晴れて両親の元を離れて、高校にいく必要も無くなって、大学受験をするためのチャンスが訪れた。予備校を選べるという段取りになって、私は上の合宿のことを思い出した。 「定評のあるからといって駿台に行くと、あの講師に東大英語を教わることになる。それでいいのか? そんな講義を受けるのは、本当に苦痛ではないのか?」 そう思った私は、とてもリスクがあるのは承知の上で、開講 1 年目の河合塾本郷校に行くことに決めたのであった。

補足

駿台の名誉のために言っておくが、私は別に駿台英語科全体が腐っているとは全く思わない。私が今も心から愛用して反復している『システム英単語』は(関西の)駿台英語科の先生方が作ったものである。きっと、大半の先生はまともでいらして、ただ一部の講師が老害で腐っているだけだろう。

また、上で挙げた駿台の老害ゴミ講師にも恨みはない。何より私が河合塾本郷校を選択する決定的な理由を与えてくれた張本人だからである。そんなすごい「業績」を挙げてくれた人に恨みなんて全くない。感謝してもおかしくないが、嫌味ったらしいから感謝はしない。

そして、おそらくこの頃から 私は「精神論を言う先生」がものすごく嫌い なのだと思う。数理科学研究科でもそういう教員を観測するのは残念極まりないことである。本能的なレベルで刷り込まれている。精神論を言われると信頼関係が一撃で壊れてしまうほどである。例えば、河東先生は精神論を言わず、勉強法、セミナーの仕方、講演の仕方について厳しく有益なアドバイスをお書きになってくださるので、分野は全然違うけど、参考にしている。河東先生のような言動を、先生方には参考にして欲しい。

高沢先生について

そしてまた結論をかくと、私は賭けに勝った。 私は河合塾本郷校に通えて本当に良かった。 数学や物理や国語の先生もとても良かったけれども、今回は英語について書く。ここで高沢先生に出会えたので、東大入試で英語で点数を稼げ、しかも英語の勉強の仕方がわかり、今の私がある。

受けた指導

高沢先生は、当時、私のコース(東大理類プレミアム)の東大英語の講義の担当だった。

今はどうかは知らないけれども、当時高沢先生はそんなに人気のない先生だった。講義がとても淡々としていて、プリント配ってさっと始まって、終わったらさっさと帰る先生だった。その証拠に、私のコースでは英文解釈の講師の方に人気が集中していた。東大の入試には絶対出ないレベルの難しい英文を毎回和訳する講義で、非常にカッコイイ講義をなさる講師だった。その講師には質問に長い列ができていた。一方で高沢先生は講師室でポツンといらした(表現がよくなくてすみません)。文系のクラスの英文法・語法も持っていらしたようで、そちらの質問対応の方が多かったように感じる。

高沢先生と私が最初どういう会話をしたのかはよく覚えていない。確か普通に初回から質問しに行ったと思う。そして「予習してきた答案見せて」と言われて、見せた。要約の問題だったと思う。見せたら、悪い点を指摘してくださった。そして「来週またこれを直して持ってきてね」と言われた。

そして私は、その次の週に直して持っていった。すると先生から「うーんまだこれではダメね」ということで 再度ダメ出し をもらった。さらにまた来週持ってくるように言われた。そうしてそういうやりとりが 3 回か 4 回か続いた後、ようやく「これでいいよ」と言われたと思う。それが最初だったと思う。

このような指導が自然と延々続いた。もちろん私は一応バカではないから、学ぶわけである。だんだんダメ出しの回数は減っていった。あと高沢先生から、東大の過去問 25 ヶ年もやれ、私が答案見るからと言われて、高沢先生にも、よく要約・和訳・英作文を見ていただいた。先ほど「人気のない先生だった」と書いたけれども、そのおかげで指導をたっぷり受けることができた。今から考えると超幸運以外の何ものでもなかった。

高沢先生はなぜ良い先生だったか

高沢先生は、答案に本当に厳しい先生だった。 ここの表現が非常に難しいのだが、例えばよくある「厳しい先生」である怒ったり落胆したり見捨てたりする先生ではなかった。不適切な発言も全くなかった。もちろん、講義中も質問対応でも、精神論を言わなかった。そして、重要なことだが、「先生の言う通りにしないとバツ」みたいな先生でもなかった。その証拠に 「この答案は私の模範解答よりいい答案ね!」 と言われたこともある。要するに非常に客観的に答案を採点してくださる先生だった。

高沢先生は、私と相性が良かったと思う。私はというと、まず 河合塾に行けて初めて、東大の入試問題を正確に解ける先生に出会えた 。それだけでも嬉しかったのを覚えている。都会の進学校にいる人には何いっているのかわからないかもしれないけれども、「受験参考書を書くような先生って、本当にいるんだ」と思った。そして、答えそのものも受験指導だからもちろん教えてくださるけれども、基本的には私たちが努力することを促してくださった。普通の先生だったら「私の答案を写せばいいのよ」となりそうなところではないだろうか。どうして 3 度も 4 度もダメ出しして、見てくださるのだろうか。それは 私たちが完全な解答を自分で書き切ることが、なによりも重要だ と考えていたからではないか。

そのおかげで、はっきり書かないほうがいいと思うけど、私の二次試験の英語の点数は四捨五入すると 110 点だった。 100 点ではなかったのだよ。このくらいの点数を取るには、英語力そのものだけでは足りず、日本語力も磨き、徹底的に減点されない答案を作る必要がある。東大の英語にいわば「過剰適応」する必要がある。それが良いかどうかはともかく、そのくらいの点数が取れた。後から知ったのだが、東大の採点は最終的に点数調整がかかるらしい。だから 120 点満点ではないらしい(よく知らないけど)。多分それもあってそのくらいの点数だったのだと思う。

高沢先生が強かった理由

高沢先生がどうして予備校の先生になったのかを聞いた。 10 年前の記憶だから間違っていたらすみません。

まずご自身は東京大学に進学され、大学院で英文学(アメリカかイギリスか忘れた)を専攻なさった。そして当時は(今も似たようなものだが)文系で博士号なんて出ないから、満期退学なさったとおっしゃっていた。大学院では嫌な権力闘争があったらしくて、私も大学院の博士課程にいるからよくわかるんだけど、やっぱり先生に媚びたり、同級生を蹴落としたりみたいなこともあって、嫌だったとおっしゃっていた。

そして私立大学の講師をなさったらしい。そこでは「エスカレーター式で英語の勉強を全くしないで大学に進学した学生」と「大学受験を経験し徹底的に英語の勉強をした学生」を同時に教える必要があったそうだ。そんなの無理でしょと。そしてそれが MARCH みたいなレベルで起きていることに思いを馳せる時、予備校の講師として出戻りすることを決意したそうである。大学はそんなもんだけど、 予備校は生徒が一生懸命勉強してくれるから、そこが良い とおっしゃっていた。そして河合塾で東大英語のチーフをおやりになっている。

つまり 高沢先生が超強い理由はとても単純で、先生自身が過去、博士課程を出るまで実力を磨き、大学の先生になっていたからである 。そこまで登りつめるまで、英語の実力を磨いていたからからである。私も今博士課程を終わりそうなのであるが、ぶっちゃけ学士と修士と博士だと、かなり差がある。特に修士から博士になるには、(この日記にも時々登場しているけど)谷村君のようなレベルの数学力が「普通は」必要である(ただし先生にウケることを狙えばずっと低い実力で修了できる上に先生に推してもらえるという特典もつくのだが)。私は谷村君ほど努力していないことは認めるが、専門に関しては、まぁ多分修了にふさわしいとは認められるのではないか(?)。

話が逸れそうだから元に戻すけど、大事なのは、大学院博士課程で実力を磨くことである。高沢先生自身は「 1 週間で 200 ページ課題を読まされた」「先生からは『君たちはこれから先生になる。そこで生徒から質問を受けることはあっても、誰にも質問することはできない。だから私からの質問に答えられないということは許されない』と言われたから、必死に調べて準備した」とか、我々に負けず劣らないくらい厳しい指導を受けたようである(我々が受けた指導はいつか書く)。

実力を磨くから、結果として高度な指導ができるようになる。そこを、テクニックで、ごまかすことはできない。実際、高沢先生の講義は、全然派手さもない、普通の講義であった。ただし、東大英語については比類なきレベルで正解を示してくださるし、私たちの答案も厳しく見てくださる。そこを私は直感的に見抜いていた。高沢先生が上記の経歴をたどったのを聞いたのは講師室で 11 月くらいだった気がする。でも私は 4 月から指導を受けていたわけである。

私自身の博士課程が終わりそうな今から考えると、高沢先生が強かった理由は、まぁ当たり前だよなと思う。実際教養学部前期課程で英語の専門家から講義を受けたけど、高沢先生みたいな実力の先生が何人も教えていらして、専門家というものはそういうものなんだなと、そう思った。

補足:その後の影響

まず高沢先生の徹底的なリテイクのおかげで、日本語能力が磨かれた 。適切に読解し、妥当な表現ができるようになった。これは河合塾国語科の先生方の指導のおかげでもある。「日本ではわかりやすい文を書く訓練は、高校までの国語ではやってくれない」という言説がある。それはそうで、そもそもそのレベルの指導は、適当に大学や大学院にいっていい子ちゃんしただけですよという程度の国語の教諭には務まらない。高沢先生や、私を指導してくださった国語科の先生(実名をあげると、晴山先生、太田先生、三森先生)のようなレベルで実力磨いた先生でないとできないことである。私の場合、その訓練は、河合塾本郷校において英語と国語で徹底的に行われたのである。この訓練を受けたのは人生の岐路だったと思う。

さらにいうと、 英語の勉強の仕方がよくわかった 。語学の才能のある人ならともかく、私のような非才な人間は、英語の勉強は 18 歳で終わるわけがない。ただ海外に行って数年過ごしましたでも、英語を正確に運用するためには足りない。勉強し続けるしかない。今も私は英語の勉強を続けているが、その勉強のフォームは河合塾で固まった。私は高沢先生のようなプロになることを目標としているわけではないので、受験英語の「延長」をしている。昨日、受験生時代に解いた東大の昔の過去問を思い出して解いたけれども(2000 年度の 5 番)、受験生の頃と違って難儀せず、スラスラ読み切り、あっさり全部解けた。英語力はあの時より伸びていることを実感した。 私のように才能のない人が英語の勉強が楽しいと感じるまで頑張って押し上げるのも、受験指導の重要な側面 ではなかろうか。

まとめると、高沢先生の指導は、単に「東大英語で高い点数を取りました」ではなかったのである。

結びの言葉

10 代という時間は、適正・才能・環境を含めて、リセマラできないソシャゲをやっているようなものだ と今では振り返ることができる。そこで成功するのは、ガチャで高レアを引くということである。その意味で本当に自分は幸運だったと思う。さっきも書いたが、私が努力して腕前磨くのは当然のことである。確かに私は中学高校時代から、どうしようもない家庭・学校環境の中で、地道に勉強を続けたかもしれないけど、それは当たり前のことであって、誤解を恐れずに言えばそこは(少なくとも 10 代では)重要ではないのである。その上で 10 代は、運の良さというか、巡り合わせというか、そういうものが効いてくる。その賭けに最後に私は勝つことができた。 1 回だけだけれども、その 1 回で十分だった。

生まれがどうしようもない私が、今こうやって高等教育を受けられたのは、まず東大の教員が手弁当で高品質な筆記試験を毎年やってくれているからであり、ゆえに河合塾本郷校のような商売が成立するからであり、そこで高沢先生のような方がいらして指導してくださるからであり、たまたまそこに私が行けたからである。私は高沢先生本人に本当に感謝しているし、私が高沢先生に指導してもらえたその幸運に、何よりも感謝している。