忘れることについて

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いつも通りのことであるが、私が研究や勉強について書く場合は、数学を意図している。他の分野では事情が異なるかもしれない。また私の個人的意見であり、一切の記述は無保証である。

本文

数学において、忘れることの重要性を書きたい。

ヒトが忘れられないとどうなるか

以下の本には、記憶の仕方が書かれている。

そこでは、忘れることは非常に重要であると書かれている。特に、忘却機能に障害をもつ人の話が書かれている。詳細は本文に譲るが、日常生活に大きく支障が出るという。

だからヒトが忘れることは、不可欠な機能である。これを議論の前提としたい。

頭の整理をする

思うに、数学の学習や研究では、内容を忘れることも重要なプロセスである。感覚的な言い方になって恐縮だが、数学の議論をしている際は、全体を総点検する。そのうち枝葉の部分を切り落とし、何が重要であるのか浮かび上がらせるために、一旦内容を忘れようとする作業が必要であると考える。さらなる研究の深化のためにである。

昔坪井教授が数学講究 XB で、ご自身の研究分野について先端的な内容を概説してくださった。全世界の数学者の間で「バイアスがかかっていた」と仰っていたのを覚えている。つまり言われてみるとそうですねという内容が、案外重要であることもある。見方を変えると言っても良いかもしれない。

これは私の経験とも一致している。私の研究分野を研究している人は、先端的な数学の諸分野の中では、そんなに高度な道具を駆使しているわけではない。ただし、その見方が重要である。中学生・高校生や大学 1 年生でもわかるような数学の工夫が、新たな定理をもたらすこともある。

論文を校正する段階

この場合、 意図的に内容を忘却する必要がある 。数学の論文は書かれている内容が正しいかどうかが全てである。自分の頭の中で正しい計算が行われていたとしても、論文で間違いな書かれていたら、それは間違いである。もちろん、気付き次第正しい表記に直せば良いのだが、論文の校正はそれを人工的に行うプロセスだと考えることができる。ゆえに、頭の中に書いてある計算を意図的に忘却し、紙の上に書かれている内容のみで正しいか否かを判定するのが大事である。

忘れるためには、単純にその内容からしばらく離れるのが良いかと思う。今の時代 Netflix のようなサービスで山ほど面白い動画を自由に視聴できるのだから、私はこれらを見て数日放置するようにしている。これは論文を書くために使った体力回復という意味も含まれている。毎日毎日校正しても、きっといい結果には繋がらないと思う。

忘れてはいけない内容

一方で絶対に忘れてはいけない内容というのもある。例えば行列の掛け算の定義を忘れる人を私は信用ていない。こういうのは忘れないように心がける必要がある。普段から勉強していれば、忘れないと思う。ただし、年齢を重ねるとどうなるのかは気になるところである。今の私はこれで良いが、例えば 70 歳になったらどうなるだろうか。この辺は情報が必要である。