数学における Academic Writing ー 私の方針 (2)

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各論

私の Academic Writing の基本方針は 「自分で英語の表現を考えない」 である。これを見てふざけているように見える人は、むしろ危険である。英語の勉強の仕方を根本的に誤っているように思われる。これは極めて重大な原則である。

私の英語力は、多くが大学受験の知識に依存している。その上今も大学受験の本を読んでいるのだから、決して Academic Writing 用の英語に特化されていない。これはこれで、英語の学習としては正しいことである。しかしその頭で「考えた」英語は、 Academic Writing としては正しいとは限らない。そもそも英語としても正しいかどうかはわからない。というか、基本的には誤っていると考えるべきである。

自分の言いたいことに近い英語を、自分が絶対正しいと確信している表現だけ使って書く。 そうすれば、間違いの確率は下がるし、誰かに添削してもらう必要もない。この「自分の言いたいことに近い英語」を書くのが最も技術の要るところで、昔ながらの指導だと「例文を覚えてコピペしましょう」となるのだが、現在の入試問題はそれはなかなか対応しきれないようになりつつある。したがって、現在の指導は、私の受験生時代より一層充実している。これは Academic Writing にも有用であろう。その辺の技術論は、英作文の参考書に譲るとして、以下「英語のアマチュア」である私がどうしているかを述べる。

Email を書く方針

とにかく、丁寧に書く必要がある。 相手は、見知らぬ教授である。しかも Email のやり取りをするということは、分野も相当近い。お忙しい時間を削って Email 読んで返信して頂くのだから、失礼があってはならない。 Very polite に書くのが常に正しい。

追記(2018/01/11):「教授」と書いたが、基本的に大学教員の方には同じ対応をするべきだと思う。その理由を追記しておく。大学教員の本分は研究であるし、研究活動に従事することが社会的には期待されている、しかし現実的には、 editor や referee の仕事、あるいは研究費を得るための仕事を引き受けることにより、ご自身の仕事を中断させてまで「業界に」貢献しようとしてくださっている。うまく言葉を選べていないかもしれないが、あの人たちは「偉くなることも仕事」なのである。そういう人たちにとって時間というものは最上のリソースである。また、我々がメールを書くのは、このどれかの件である。ゆえに我々のメールにより、大学教員の時間を奪ってはならない。その協力をすることは、我々の責務である。ゆえに、メールを丁寧に書くことは、日本語でも英語でも大事である。彼らを煽てるためではなく、彼らの時間を無駄にさせないためである。余談だが、このことは事務の方にも自覚を促したい。事務の方はピンキリである。残念ながらうちの研究科にはこのことにあまりにも無頓着な方もいる。中には教授には媚びるが、若い助教・准教授あるいは博士課程学生には無礼な態度で接する者もいる。この日記は基本的に実名を挙げて記載する方針であるため、他の教務係の人間との混同を避けるために実名を挙げてもよい。しかし教務係の実名を挙げるのは、いくら東京大学という公的な機関に属するものとしても微妙なラインだとも思うので、今回は遠慮しておく。該当する人間には、よく考えなさいと言いたい。

余談だが、数理科学研究科の学生や助教は大人しいいい子ちゃんばかり(しかしその分後輩をいびってそのストレスを発散する)だから、私は数理科学研究科の教授陣から見れば、失礼な学生に見えるかもしれないが、私だって意図的に無礼を働くつもりもないのだよ。その辺は誤解なきよう。

本論に戻る。 Email に使えるほどの丁寧な表現は、大学受験の参考書では出てきにくい。 英文法の本に例文として載っている程度である。前述の Academic Writing の本には Email でそのまま使える表現が載っている。さらに、 journal とのやりとりに使う Email については、インターネット上に例文があるので、適当に検索すれば出てくる。英語学習者としては、これらを ほとんどそのまま使う ことを考えるべきである。例文として出ているのだから、ほとんどそのまま使っても著作権侵害などと主張されるわけがない。それより失礼がない丁寧なメールをこの世に誕生させることが重要である。

もちろん細かい部分は自分で英作文するしかないのだが、そこは大学受験の英語力で乗り切る。やはり普段から勉強する。

論文を書く方針

基本的には、以下のものを重視する。

  • 定評のある、日本の大学受験の参考書に書かれている英語表現
  • 前述の Academic Writing の本に書いてある英語表現

これらを駆使して、英作文していく。幸いないことに、数学の場合、諸科学の分野と比べて、英作文の難易度は劇的に低いと思われる。重要なことは、ほとんど数式で表現されるからである。決まり切った表現だけでほぼ事足りる。

一方で、次のものは危ないかもしれないので、参考程度にとどめておくべきである。

  • 他の論文で使われている表現
  • 会話表現用の英語(学習参考書も含む)

例えば数学論文では “For self-containedness, …” という表現はよく出てくるが、スペルチェッカは containedness には必ず下線を引いてスペルミスじゃないのですかと言ってくる。もちろん十分使われている表現だから使っても良いという流儀もあるだろうが、似たような様式で、なおかつ、絶対正しい英語として “For the reader’s convenience, …” というのもあるのだから、こちらを書くべきである。もちろん意味は異なってくるが、趣旨は同じである。英語的に正しいことの方が重要である。

あと、日本の学習参考書は非常に良いのだが、会話用の表現が結構ある。これは、論文では避けた方が無難である。例えば英作文の本では「分詞構文は使わない方がいい」と書かれることが多い。カタイから、意味が不透明だから、などという理由である。しかし『実践ロイヤル英文法』にも書かれている通り、文書、特に論文、ではそこそこの頻度で使う。簡潔に書けるからである。これらの「指導の是非」を、的確に見分けるのは難しいのだが、普段から勉強の際は意識しておくと良いかと思う。

「辞書に載っているかどうかではなく、実際に使われているかどうかが重要だ」と主張する人もいるが、とんでもない話である。そんな事を言っていると、そもそも英語の上達は永遠にないだろう。インターネット上には間違った表現はたくさんある。例えば “It is sure that …” は間違いの表現として有名だが、すでに沢山の用例があるのも確かである。こういう時にどうするか。思うに、 我々は non-native speaker であることを思い出すべきだ砕けた慣用(または誤用)表現を積極的に使うより、絶対正しい英語だけ使う方が、よほど信頼が得られる のではなかろうか。逆の立場で、日本に留学しにきた学生が、変に砕けた日本語を使っていたらどう思うだろうか。例えば私に、黄さんという素晴らしく日本語のできる中国からの留学生と知り合いであるが、日本語は確かに「完璧で完全」ではない。しかし、十分丁寧に話してくださるので、意思疎通には全く困らない。 彼のように日本語が上手である事を、私の最終的な英語力の目標としたい と思っている。

「辞書に正しいことは書いてあるとは限らない」は、確かにそうかもしれないが、少なくとも私の頭より参考になる。私は、前述の河合塾本郷校の先生から「辞書は、高橋君の頭よりは参考になるでしょう」と言われたが、全くその通りだと思い、今に至る。私の目標は、英語のプロになることではなく、あくまでアマチュアとして強豪であることである。

「辞書に載っているかどうかではなく、実際に使われているかどうかが重要だ」「辞書に正しいことは書いてあるとは限らない」と主張するのは楽な上にクールでカッコよいが、私は、どんなにバカにされようとも、愚直に勉強することで英語力を高めていきたい。