数学論文の英語の表現が似ることについて

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Twitter に書いた文句を再構成して公開しておきます。

本文

昨今論文の剽窃が問題視される中でこういうことを言うのは誤解されるかもしれないですが、優れた論文と表現が似るのはむしろ推奨してもらえませんかね? 数学で興味あるのは数学の中身の新規性です。それを伝える英語は、決まりきっている方が、むしろ誤解がなくてよいのでは?

論文は、機械にかけて一致率見るらしいです。特に学位審査は、例の事件以来、大学が高いカネを払って機械で一致率チェックしているらしいです。

そんなアホなことしなくても、専門家が MathSciNet で調べれば新規性があるかどうかはわかるでしょうに。少なからず国民の支援を受けている専門家を、国自らがとてもバカにしているように思います。

更に、東大数理の場合は、博士論文は、通例では、わざわざ外部から日本で一番または世界で一番の専門家に外部からおいでいただいて審査するのに、なんだそりゃって思います。

私がなぜこんな文句言っているかというと、私が過去書いた論文と「表現が似ないように」してほしいと言われているからです。もちろんこうおっしゃる教員個人に罪はないのです。大学院生の頃からペテンしかやっていなかった人間を国の研究機関で教授待遇までいかせたツケを、関係ない人が払っている。関係ある人の中からは、自殺者まで出たのです。そういう世の中になってしまったことに、問題があるのです。

新規性のある議論をするにしても、途中で既存の論文と同じことを「実演してみせる」必要は常にあります。ましてや、同じ著者が、同じ手法使って、同様の議論をするなら、表現似るのは避けられないです。数学の論文は、間違っても英語の語彙力試験ではないのです。優れた英語で、内容が伝わることが、最も大事なのです。

むしろ 「大事なのは数学の内容が伝わることなのだから、英語については優れた論文と同じ表現をどんどん使いなさい」という世の中になって欲しい 。これは本気でそう思います。

追記 (12/26)

この記事を読んだと思われる教員からメールがきていたので、事実の補足という意味で引用します。

(2) 過去の論文(EJDE)と似ていると,論文掲載の可否の決定権を握るエディターの警戒心が高くなるので,似せないようにするのは,少しでも採択の確率を挙げるための措置です.

という訳で、まず、上記の内容は、私の理解であって、教員の理解とは異なるということは、補足しておかなければならないと思いました。ここに明記しておきます。

私からは、別になんら反論はありません。論文の精度が高まるという目的と両立する限りは、善処します。

ただ、思うこととしては、仮に文言が似ているという理由で新規性のある論文が reject になる or なりやすいのだったら、その雑誌かまたは業界は「終わっている」のではないかと思います。仮に、心象に影響するのだ、 editor は大学教員だから忙しいんだ、という場合であっても、譲ってはいけない一線というのがあると思います。

そもそも私にとっては accept/reject は出口ではない のです。あくまで結果、それも、自分の力とは関係ない力学で決まる結果です。私ができることは、 数学に最善を尽くして結果を出す か、または 紙の上に書かれた論文の精度を高める ことだけです。それ以外には、興味がありません。

どの雑誌に、何が、どのスピードで載るのかは、ないがしろにするわけではないけれども、重要なことに集中するために、私はあえてそういう思惑からは距離を取りたいと思っています。私が適切にそれらと距離を取るために、指導教員が協力してくださるというのが、良い関係なのではないかと思います。今回のご指摘もその一環と思っております。

accept/reject に生活がかかっている人は、不思議なことや理不尽なことにも業界のルールなら過剰適応するしかないです。過剰適応というのは、つまるところ、歪みを自分の利に変えるということです。人間がそうなっていく場面を、いくつも目にしてきました。

私は一人の researcher や engineer である前に、一人の player や fighter でありたいと思っています。