カネが嫌いな人はどう生きていけばいいのか (2)

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今まで cis さんという強烈な個人投資家を例に挙げていたのだが、私の見立てでは「カネが好き」は、ほとんどみんなそうである。以下では、数学の大学教員と、経営者について述べるが、この人たちもみんなカネが好きである点では一致している。ただ cis さんのようなカネを増やす特異な才能はない点だけが違う。そういうことを述べる。

数学の研究に「研究費」は「必要」ではない

まず前提として共有しておきたいのは、 数学という学問は、数理科学研究科のような施設に所属していれば、研究費を改めてもらわなくても完遂できる ということである。結局私は、大学院生活でほとんど科研費による補助を受けることはなかった。研究に必要なもののうち、大学から受けるべきものは、論文をダウンロードできる環境と、それを印刷する設備、情報設備(例えば大学のメールアドレス)、できれば図書館もあればなお良い。それだけあれば論文は書ける。もちろんこれは大学による予算からカネが出ているので、カネは使っているのだが、 いわゆる「研究費」は「必要」ではない ということが述べたいことである。

私は実際、大学からこれだけの支援を受けて論文を書いている。指導教員の指導を受けてもいない(論文を投稿する際に沢山相談に乗ってもらったので、全くお世話にならなかったという意味ではない)。良いか悪いかどうかはともかく、筆記用具も自費だし、計算機も自費である。だから、数学の場合、研究費がなくても、最初から最後まで研究が完遂できると、私の例からはそう言える。博士課程の学生程度の学力ですらそうなのだから、それより階位が高い人間はなおさらそうであろう。

補足:もちろん FMSP で奨励金をもらったりはしていたのだが、それは 生活費であって、研究費ではない と明言されている。これは税制申告をするときに問い合わせ、前プログラムコーディネーターの河野教授からから正式な文面として受け取っている。 私はこの文言を根拠に、国民健康保険料を毎年支払い、確定申告を毎年行なっているので、既に公開されている事項と考え、ここで引用することにする。

高橋 様

リーディング大学院の奨励金には研究費が入っているとは解釈されておりません。奨励金を受給されるにあたっては、扶養家族ではなくなり、国民健康保険に入ることが義務づけられます。

疑問点がありましたら教務係の****係長にお尋ね下さい。

河野俊丈

(2015年5月29日 金曜日 21:52 のメールより引用。途中の係長の名前は引用者が伏せた)

もちろんこのことを以って、私が国民の支援を受けていないというつもりはない。奨励金をもらっているから、国民から支援を受けている。博士課程学生は国民から間接的に支援を受けて高度な教育を受けているのだから、高度な教育を受けたものとしてふさわしい能力があることが期待されており、なんらかの活動でその付託に応える義務があると思う。それはもちろん日本の大学教員にただなった程度では達成されるほど甘くはないし、逆に、能力さえ活かせば民間企業で働いても、国外に出ても、達成されるのは自明であろう。

数学の大学教員はカネが好きでないと務まらない

数学の大学教員についての話であった。結論をいうと、私の身近にいる数学の大学教員は大抵カネが好きである。というか、カネが好きでないと大学教員なんてめんどくさくてやってられないと思う。

先ほども述べたとおり、数学の研究に「研究費」が必要がないことは、私という博士課程の院生がいる以上、事実である。事実である以上、私の存在は研究科にとって都合が悪いのかもしれないが。それでもなお、研究費を求めるのだから、前の記事で述べた意味で「カネが好き」なのは間違いがない。

研究費を求めるのはものすごく面倒である。よく知られていることで、検索すればいくらでも出てくるから概要だけ述べる。科研費の場合、まず申請書を書く。博士課程学生の場合は、学振の申請書である。研究計画を書く。もちろん 3 年後の数学がどうなっているかなどということはわからないし、わかる範囲のことはすでにさっさと計算して論文にしているはずであるのだが、とにかく書く。そして運よく受かったとして、そこから使うのであるが、これも使うたびに面倒な書類を大量に記入しなくてはならない。研究成果もまとめて、報告しなくてはならない。本当に大変だと思う。

細かいことは省略したが、大事なことは、 これらの書類を書くことは、数学の研究とは全く関係ない手続きである ということである。普通の大学教員は、教授会のような政治、国の重要な会議なども、疎ましく思っているものである。研究と教育が大学教員の務めである。にも関わらず、カネの書類は、もちろん文句はいうけれども、行動としては、一生懸命書いて、カネを求める。

もちろん研究費があることによって、様々なことが可能となる。図書館にお願いしなくても、本を買える。計算機も研究費から買える。旅費もそこから出せる。有名な研究者を招待して講演させることもできる。 しかし 私は少なくとも他人が取ってくれた研究費による「利益」をほとんど享受していない 。私は楕円型方程式の変分法が専門であるが、その専門家を数理科学研究科は何回呼んでくれたことがあるのか。私は何回、その専門の研究集会に派遣されたことがあるのか。本当にごくわずかしかない。全ては研究成果報告書に書かれている通りである。

では、数学の場合「実際」のところ何に使われているのかというと、主に次の 2 つに使われている。

  • 研究集会を開催して、自分の好きな講演者を呼ぶ。特に推したい学生やポスドクを講演者にして、実績にさせる。
  • 研究集会へ趣き、発表する。自分の実績にする。

私が何がいいたいかというと、 数学の研究が本当に純粋に好きだったら、煩雑な手続きを踏んでまで自らカネを求めるはずがなく、煩雑な手続きにかかる時間を惜しんで研究をするなり、自分の好きなことをやって休憩するなりする ということである。実際私はこの 4 年間、そうやっている。

だから、少なくとも数学の場合、研究費を求めるのは、究極的には、カネが好きだからである。カネが「強さ」であるからである。そこに最終的に帰着する。 私に、今の日本で助教以上の大学教員になる気はない。煩雑なことが増えるだけで、研究時間は増えないからである。たとえ研究を続けるにしても、学生を続けるか、ポスドクを永遠に続ける。

そして困ったことに、ある立派な大学教員は、自分はカネは好きじゃないんだ、カネのためにやっているわけじゃないんだと、自分の行動に対し嘘をついている。これに関しては、救いようがない。数学者としてはそこそこ業績もあげているし、立派なネットワーキングもお持ちなのでしょうけれども、そんな人よりは cis さんのように正直に本が書ける人の方が立派である。

本当に研究が好きだったら、めんどくさいから教授なんてやめるはずである。カネが好きじゃないなら、大学院生になればいいのである。カネの代わりに大量の研究時間が手に入り、同じ研究施設が使える。それがプライドが許さないというなら(プライドが高いならそもそもこの研究なんてできないと思うものの)、研究がより柔軟にできる環境を求め、海外に移籍しているはずである。にも関わらず、教授を続け カネが嫌いなふり をすることは、真摯さに欠けている。ここははっきり非難しておきたいと思う。

勘違いして欲しくないのは、以上のことを自覚、認識した上で研究費を取って来てくださる教授は立派であるということである。研究費を取ること自体は賞賛する。決して非難はしない。

教授として研究費をとり、適切に使用することで、若手研究者やポスドクや学生に利益があがるならば、彼らの手間を省いていることになるので、非常に立派な仕事をしていると思う。実際私は、数理科学研究科の教授陣が FMSP を作ってそれに博士課程で採用されたおかげで、奨励金を得ることができており、そのことには感謝している。もちろん副業禁止とかひどい制約はあったので、全部が全部ではないけれども、教授陣が悪意を持ってそうしたわけではないから、やはり教授陣は立派であると思う。

その意味で「カネが好き」ということにはなんら否定的なニュアンスはないということは強調しておきたいと思う。否定的なニュアンスがあると思って読んでいて怒った数学の大学教員がいたら、そもそも読解力がないし、同じ轍を踏んでいる可能性が高いので、カネについてもう少し自覚的になられた方が良いかもしれない。

私が経営者を目指さない理由

次に、私が経営者を目指さない理由を書く。時々「起業しないのですか」と言われるのだが、私にはその気はない。その理由を述べる。ただし、具体的な例を出すのは憚られるので、一般論に止める。

すごく頭のいい人が創業した IT 企業の話はよく出てくるが、その手法は悉くグロース投資である。色々経営理念を述べているし、実際レベルの高いエンジニアが集まっていそうな企業も多いのだが、最終的には、手法はグロース投資の手法に分類されることが多い。

つまり長くても数年の単位で計画を立て、資金を集める。そこで急成長し、最高値をつけ、売り抜き、億万長者となることを目指している。この観点から考えると、ソシャゲの会社となんら変わらない。やっていることは違って意義深いのかもしれないけれども。

そして、私はバリュー投資しかできない人間である。起業するということは、私の場合ほぼ間違いなく IT だろうから、多くの場合グロース投資をするということである。つまり相容れないのである。

そして、頭のいい人でも、最終的にものすごいリスクをとって、グロース投資をするのである。何百年後まで織り込んでいるのだろうと思うような時価総額をつけることを目標にする。

それが私にはどうしても相容れなく思う。仮に私が事業を興すとしたら、それは自分のやりたいことだからだろう。そのやりたいことをやることが目的であるはずなのに、途中から最高値をつけて売り抜くことが目的に擦り変わる。すり替わらざるを得ない。

先ほど述べた数学の大学教員も、数学の研究をしているのだから、疑いようもなく頭は良い。にも関わらず、最終的にはカネが好きである。つまり、頭の良さとは関係がなく 人類は本能的にカネが好きなのではないか と思う。

カルロス・ゴーンが逮捕された時に真っ先に思ったのは、「どうしてこんなに給料をもらっていて、それでも不正をしてカネを欲しがるのか」ということである。この人は不正をせず税務署に正直に申告し、特別背任に当たる不当な利益は受けずにいれば、以降の人生はなんら不自由なく暮らせていただろう。私ならガチガチに警備を固めた家で、好きなだけ数学、計算機、英語、ゲーム、アニメに時間を使って余生を過ごすだろう。

本能を「克服」するためには、相当訓練する必要があるのではないか。バリュー投資で儲けるということは、 cis さんは明確に否定しているものの、逆張りをし、含み損を持ち続けることと不可分である。経営者が仮にバリュー投資するというのであれば、他の会社が急成長しているのに、自分の会社は我が道を行くぞと言っていることになる。これは相当大変だと思う。証券会社で長年働いたりすることにより、普通とは違う金額を扱うようになり、数々の企業分析することを経て、そういう境地になる可能性はある。