時々バズるおかしな「教育」について

更新日時:

Twitter に書いて消したことです。また書きたくなるかもしれないから、ここに加筆・転載しておきます。

高校までのおかしな「教育」(なんとか計算に始まり、情緒・思想教育と化した国語教育まで)を、学者や東大の学生とかが論評しているのを見ると、やっぱりピントがずれているなって思うんですよね。

あの人たちは、算数や数学、人文科学・社会科学といった学問のための教育をしているわけじゃないんです。あの人たちが相手にしているのは、例えば傷害事件を起こしたり、物を盗んだりするような、犯罪をしているような、そういう底辺の生徒です。下の方に合わせて教育をしている。だから数学、国語、英語、その他諸々の「教育」っていうのは、動物に対する躾と同じレベルなのです。その証拠に「先生の言う通りにしないとバツ」とかやるし、学問的見地から見ればおかしいですと何度指摘しても耳を貸さないのです。あくまで躾であって、教科指導はそのための材料にすぎないから。

少し脱線します。そういう「教育」は、もちろん将来東大に行くような生徒にとっては害悪そのものです。私はその被害者の 1 人です。私は東大に入って学生見たけど、私の行っていた高校の生徒の素質から考えると、少なくとも 30 人は毎年合格してないとおかしいです。実際、人口の比率から算出すると、そのくらいが妥当な値です。しかし実際はこれよりずっと小さな人数しか合格できません。これは上記のような「教育」で 3 年間生徒を徹底的に潰しているからです。ゆえに、仮にこのエントリを読んだ私の高校の教諭が、自分たちの「教育」の「素晴らしさ」や「正当性」をせいぜい主張したいなら、まずは自らの教育の「成果」として 最低でも 5 年連続で 30 人以上生徒を東京大学に合格させるべき です。河合塾本郷校の私の出身コースからは、本郷校開講から 10 年経ちますが、たった 11 ヶ月程度の教育で在籍生徒の 6 割が東京大学に合格します。それと比べればはるかに難易度の低いことでしょう。話はそれからです。

話を戻します。東大に行くような人たちは、幸運なことに、こういう人間を動物として扱う躾としての「教育」をそもそも受けてないことが非常に多いようです。校内で日常的に犯罪行為を行う生徒たちは、別の学校に隔離されているのだろうと思います。

以上のことを総合すると、東大に行くようなすごい人たちは、その幸運に感謝して、 こういう低レベルを対象とした「教育」について論評するのをやめるべき だと思います。そもそもピントがずれているし、いくら言っても、あの人たちの「教育」は止めることはできないし、躾としての教育を必要としている犯罪者の人間も実際いるわけです。そのために算数や数学、国語といった教科指導が道具とされているのはもちろん許されないことですが、やっぱりそれも、声を上げたところで変わるわけではないです。むしろこういう「教育」でメシを食っている連中に知名度を与えることになり、良い結果には繋がらないでしょう。一種の炎上商法です。

高校までの教育について詳しい方や、それそのものを研究対象としている方は例外です。そして、このような方が声をあげ続けるべきであり、私たちはせいぜいその方たちの支援をする程度にとどめておくべきです。一般論ですが、自分のよく知らないことは、論評しないべきだと思います。私が 3 次元のお笑い芸人や、クラシック音楽についてなんらかの論評をしても、知識不足で虚しいだけでしょう。今回の場合は「自分が知らない」という幸運にむしろ感謝するべきです。

もう少し例え話をいうと、私はヤクザの世界、暴力団の世界ってのを全く知らない。『龍が如く』シリーズで少し見た程度です。「なんとか計算」とか「かけ算の順序」とか「思想教育としての国語」は、少しオーバーにいうと、そういう暴力団の世界での慣習と同じ次元の話です。極論すれば、兄弟盃とか、指詰めとか、内臓の売買とか、麻薬・拳銃取引とか、そういうものと同様のレベルだと思っていいと思う。そういうものにわざわざ論評を加えたいと思わないでしょう、普通の人なら。それと同じ「論評しない」ことをするべきです。

頭のいい人の仕事は別にあるはずです。時間や頭は有意義に使いましょう。

コメントする