職業の貴賎、才能について

更新日時:

Twitter でなんか変なツイートがバズっているので思うことを書く。

私は電子ゲームを時間の無駄だと思ったことは、少なくとも中学校以来一度もない。人によっては人生をかけているような、競技であると理解している。

職業に貴賎はない。同じ職業同士に貴賎があるだけだ。どうしても、子供に観劇に興味を持って欲しいというならば、その専門性を活かし、子供が興味を惹くようなとびきりの舞台を見繕って連れていくしかないだろう。それでもうまくいかないかもしれないが。それができず、怒りを子供にぶつけている時点で、親としてどうかはあえて述べないが、少なくとも教育者としては無能を晒している。

ゲームは時間の無駄だと思うなら、そもそもやるべきではない。誰もお願いしてゲームをやってもらうわけではない。やりたいと思う人がやるものである。最近は Twitch や YouTube の発展によりゲームがうまくて芸能人のような能力がある人はそれで生計が立てられるようになった。しかし大半の人はできない(私も含めて)ので、別の方法で生計を立てるしかないというだけのことだ。

関係ないけど同じようなことを。数学は勉強したい人だけ勉強すればいい。現代数学の勉強をしようと思うと、人生の数年を捧げることになる。線形代数、微分積分、それらの続論以降も、集合と位相、複素解析およびその続論、群と環、加群、体とガロア理論、多様体論、微分形式、基本群とホモロジー群、測度と積分、フーリエ解析、関数解析、微分方程式論、などを普通に勉強してから各自の専門に入り、そこで 2 年くらい費やしてようやく最先端の論文に到達する。これらの一連のプロセスが一部でも時間の無駄と感じるなら、私見の域を抜けないが、やはり数学の勉強はするべきではないと思う。

数学の勉強をしなくても、「ここはこういうものだ」とペンディングしながら道具として使うことはできるだろうし、趣味で数学を楽しみたい場合や、仕事で数学の結果を使う場合は、大抵それで十分だと思う1。どうしても数学そのものに変更を加えたい、理解を深めたいなら、上記の訓練を受けた数学の人を雇用して、その人に解読させればだいたいよいのではないか。

ゲームの特徴は、才能がないとできないということだと考えている。私は絵を描いたり将棋を指したりするからよくわかるけれども、才能がないことは結局は独学できない。特に将棋に関しては絶対にある程度の高さには到達しないと確信している。しかし、明らかに才能のない英語の読み書きはそこそこ不自由なくできる。これは予備校や大学で素晴らしい先生方に英語を教われたからだ。数学の場合も、素晴らしい先生に気に入られてものを教わることができれば、上手く共同研究することで生計を立てていける(いくら私が放言を吐く人だといえども、全員がそうだというつもりはないです)。しかし、ゲームはそうはいかない。ゲームを指導してくれる人はいない。あるのは無数の Tips 、無数の動画、無数の実践だけである。独学するしかない。しかも新しいものがどんどん発売されていくのだから、自発的に努力することを継続していくしかない。ルールの変わる競技を延々とやり続ける厳しい世界である。ゲームをやり始めて 10 年以上経っても、ゲームがやりたくてやりたくて仕方ないという人は、非常に才能のある人なので、その才能を大切にして欲しいと思う。

  1. それを数学の業界ですらやってしまう人がいるのは困ったものである。しかし数学の場合は、論文の途中の議論を全部自分で確かめれば自分には影響はないはずである。 

コメントする