やらないこと

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時間を作るために、やらないこと

結局、数学、計算機、コンピューターゲーム以上の時間の使い方はこの世に存在しないと思う。この 3 つを軸にして回すことにする。

このうち、コンピューターゲームは全部やっていると時間がいくらあっても足りないので、現在全国 or 世界レベルの腕前を持っている 2 つだけをやることにする。それ以外はひとまず置いておく。これは誠に遺憾であるが、仕方がない。

他のことについては、時間を減らすか全くなくすことにした。

アニメは、現在放送中の新作を毎週見るのはやめた。今の時代はネット配信サービスを 3 つか 4 つくらい契約していれば自由にアニメを見られる。そこで、完結した作品のみを縦に見ることに決めた。こうすることで理解度が深まり、さらに視聴スピードが上がる。

将棋については、私は 5 手詰めも一瞬で解くことができない棋力である。定跡も古びた定跡をいくつかしか把握していない。この状態で実戦をやるのは無駄だし、プロの将棋を見るのも得るものが少ない。詰将棋だけ寝る前にやる。

料理も好きだったが、これもやめることにした。英語や歴史の勉強や読書も好きだったが、相当時間をかけないと実力が上がらないから泣く泣くやめることにした。

そして、無駄な時間をさらに減らすことにした。人事のことを把握するのは完全に時間の無駄なので、やめることにした。周りの人事は、私の人生に影響しない。昔から思っていたが、これが一番時間の使い方として馬鹿馬鹿しい。わかったところで劣等感か優越感を得るかのどちらかだからどうでもいい。今年はそれをはるかに高い水準で徹底している。例えば、今年はどんな先生が赴任したかすら把握していないし、誰が進学したのかも興味もない。

これと同じ理屈で、ニュースも、資産形成に影響すること以外は目にしないことにする。特にゴシップや、大学関連のニュースは見ないことにする。 Twitter などの SNS は論外である。あれは身の周りの情報だけが入ってきてわちゃわちゃやるだけであり、完全に時間の無駄である。

あらゆる業務も、できるだけ短時間でこなせるように仕組みを練るようにした。また、私には調子の良し悪しがある。調子が悪い日にはできるだけ頭を使わなくていい仕事(部屋の掃除など)をし、調子の良い日に備えることにした。そこで「調子のいい日にしかできない業務」を「調子の悪い日にもできる業務」にするように簡略化したり分割したりするようにした。ここはまだ徹底の余地が残っている。

こういう記事を書く時間も無駄だと思うので、よほど必要がなければ書かないことにしたいと思う。

さらに工夫して削れる時間があるなら、削りたいと思う。

時間を作る必要性

そこまでしてなぜ時間を作る必要があるのか。答えは簡単なことである。私の場合、普通の人より、人生何周も遅れているからである。「何周も」というのは、文字通り 10 年単位での話である。

例えば、私は中学時代に以下のことを全て経験している。

  • 知らない間に教科書等を盗まれる
  • 知らない間に文房具等を破壊される
  • 複数人から顔面を何度も殴られる

これに加えてこれ以上に酷い親からの虐待があった。私の親は警察官であったが、私が犯罪行為をされるたびにむしろ喜んでいた。私の父親もその父親から暴力を振るわれながら育てられた経緯がある。「自分がこいつを育てたのだ」という誇りと「俺のような不幸に遭わないのはおかしい」という嫉妬を持っていた。前者があったから、親の意思に背いて東大に進学した際も私に学費を出してくれたのだと思う。しかし、当時は「こいつが不幸な目に遭うと嬉しい」という汚い感情を抱えながら私に接していたと、今では親の気持ちを理解できている。もちろん理解するだけであり、それを真似したいとは決して思わない。

このころの私は、犯罪行為をなすような底辺の人たちと同じ学校に入り、犯罪行為をされるのは全員が通る道なのだと思いこんでいた。このような行動をする人たちから逃げるために、大学進学というのがあるのだと思っていた。それまでは仕方がないのだと諦めていた。実際、諦めて被害を受け続けるしか方法がなかった。それでも頑張って無様に勉強してきたのである。

しかし、大多数の人間はそうではないのだと、大学に入り初めて気づいた。

大抵の人は、中学や高校時代から打ち込んできたことがあり、それを刑法上の犯罪で邪魔されることはない。正しい形で社会性を身につけ、自分の能力を伸ばしていく。学校の先生も、勉強を懸命にする生徒には好意的である。そうやって正しい時間の過ごし方をし、時計のネジを巻く。そうして努力家で早熟な人だと 20 代前半や後半で人間の能力の全盛期を迎える。

私は、その期間、時計のネジを巻けなかったのである。このことは結構大きい。私はこの 1 年間専門家の治療を受け続けてきたが、相当ハンデキャップを背負っていると、客観的に理解できるようになってきた。つまりゼロではなくマイナスからのスタートである。さらに、たかが 6 年、 12 年程度のことであろうとも、それを後から埋めるのは非常に大変である。例えば私が今 TA をやっているルベーグ積分の演習問題や AtCoder Regular Contest の問題であれば、高校入学前やその少し後で理解できていていてもおかしくない。その程度の抽象度である。特に後者は、中学生や高校生で私よりもずっとうまくできる人もたくさんいることは何よりの証明である。

以上の推論から、まず導かれること:私は努力を続けて能力を磨き続けても、その全盛期は 20 代ではこないと思う。人より 10 年や 20 年程度遅れたタイミングでやってくると思う。つまり私の全盛期はどんなに早くても 30 代後半であり、遅ければ 50 代かもしれない。普通の人間だとこの頃には管理職になっていて、若い人を使うことで自分の実績をあげるようになる。しかし、私の場合は、この時期まで努力してようやく一人前になるのだと思う。それまでは辛抱して今のように努力し続けなければならない。

ここで、 20 代で才能を開花させた人たちと同じことをやってはいけない。年齢が高い人がすべき方法で学び続けなければならない。特に勉強の適切なスピード・質についてはかなり差がある。時間はかかっても確実にやっていく必要がある。

さらにいうと、年齢が上がるにしたがって自分のために時間を割くこともできなくなる。この国の制度は至る所でそのような設計がなされている。私は今後、出世もできるだけ断って、一番下の階級で止まろうと思う。私のいる業界は偉くなればなるほど自分に時間が使えない業界である。自分のために時間を使えるなら給与も名誉もいらない。

私と同じ年齢で、プログラミングコンテストに現役で出場している人はかなり少ない。その理由は、飽きたからではないようだ。忙しいからである。普通の人ですらそうなのだ。年齢が上がるに従って、時間を意図的に作って自分のために使う必要がある。私は時間を増やす方法を知らない。有意義に時間を使うために、無意味なことに時間を使うのをやめることだけが、私のできることだ。

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