検査の結果

更新日時:

書くかどうか迷ったけれども、書くことにした。

時間のかかる精密な検査を受けた。色々な都合もあって 3 ヶ月もかかった。その最終結果が出た。

ほとんどの能力は平均より上回っていた。例えば国語能力はどれも満点に近かったし、算数は満点だった。先生曰く、これは先天的な能力も高く、さらに受験勉強なので鍛えられた結果だそうだ。普通のペーパー試験とは違うけれども、東大に入る人なら大抵そうだろうと思う。

しかし、ある 1 つの能力が同年代平均より劣っていた。ある 1 つの能力も、私の平均レベルから予想されるレベルよりも劣っていた。それらの能力は書かないことにするけれども、そのせいでいくつか欠点が出ているらしい。

さらに、別の検査の結果も出た。その検査では点数が高ければ高いほどよくないらしいが、同年代平均はもちろん、ある疾患を抱えている患者群の平均よりも全て高い点数を取っていた。これには驚いたし、ショックを隠せなかった。

前者の検査では、主に先天的な能力を測るものらしい。原因があるとすれば、脳の物質に偏りが生じて発達が衰えたというような、自分ではどうしようもないものらしい。だから「トレーニングで欠点を克服していきましょう」ということはできないし、するべきでもない。劣っている能力がハンデにならないような環境に身を置くことが大事だという。このことは後者の検査の結果を見ても明らかだと思われる。

余談だが、劣っている能力も、見方を変えれば長所である。例えば数学(特に解析学)に「異常に」向いているのは、その短所であり長所である能力のおかげである。他の人の論文を読んで「どうしてこんなにいい加減な論文を書くのか」と私は思っていた。しかし、どうも事情が違うらしい。普通の人は経験を積むことで論理的に危険な場所がわかり、そこが安全であることを確かめることで、大丈夫だろうという確信を得る。しかし私は、道中の全ての点で水漏れがないことを顕微鏡で全て確かめるから大丈夫であるという確信を得る。しかし基本的にはこの能力は決定的に短所であり、数学以外に「応用」の道はないであろう。

その後詳しい説明を受けた。その過程は秘匿するが、状況証拠から見て次の 2 点は間違いないと確信した。

  • 修士の時に内定が出た民間企業の内定を無理にでも断らなければ、間違いなく今破滅していただろう
  • 博士課程在学中に、指導教員のいうことを聞いて、計算機を捨てて数学に全てを捧げていたら、どんなに良い結果をあげていたとしても、間違いなく今破滅していただろう

私の人生がかろうじて続いているのは、計算機を動かしてきたからである。なぜ計算機の方に未来があると確信したかのような行動をずっと取れていたのかは、重要なシグナルがあったのだが、それは今かけない。然るべき時期に書く。

今回の検査の結果は、自分としては予想していたことだった。 18 年間「異常」としか言いようがない家庭と学校で過ごしていて、曲がっていたことに気づかなかった。突然普通の環境に置かれ、徐々に「こういうところはおかしいのではないか」と 10 年かけて予想していて、ようやく他人により証明されたという状況である。しかし、それ以上に大事なこともわかった。

今まで何かがあったときに、自分が悪いんだ、自分の選択が悪いんだと思っていた。周りの人からも、ずっとそう言われてきた。あなたのことは、あなたが悪い。人生は選択であり、自己責任だと、陳腐な言葉をたくさんの節目で浴びせられてきた。しかし先生は、そうではないと言っていた。 「あなたが悪いわけではない」 ということを繰り返し強調していた。脳の物質が偏るのは、自己責任ではないのだから。これだけ、私が今まで正確に認識できなかったことである。

そして「解決策」も、私の予想と同じものだった。「環境」を整えることだと。私がいて問題なく、能力を発揮できる環境を整える。やりたいことや得意なこと、向いていることよりも、環境の方を優先して今後の身の振り方を決めるべきだという。例えば内定が出ても、その環境がない場合は断ることをお勧めすると言われた。

まず、大学には残らず、去るしかないと思う。日本の数学界に私と同世代で残り続けることは、知的な意味では自殺しているのとなんら変わらない。もちろん今後のことはわからないし、 V 字回復していく奇跡の可能性は否定はしないけれども、私が見る限り、優秀な人ほど愛想つかして外に出ていっている状態だし、そういう人たちが抜けた集団が、未来、上にのさばるようになるのだから、将来現状より環境は悪化すると予想するのが妥当だろう。自分の生産性を信じるなら、別の場所で能力を発揮するべきである。

コメントする