アニメを見ること、人の気持ちを考えること

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スクールカウンセラーさんに指摘されたことを、どこかに書き留めておいたほうがいいと思った。どうやら私の身近な人は、この日記を読んでいることが多い。ありがたいことである。そういう人たちと、私の傾向を共有しておくのは、多分お互いの利益になると思う。だから、支障のないことはここに書き留めておく。

理詰めの思考を、止めることができない

スクールカウンセラーに詳しく聞き取り調査をしてもらっているが、早速指摘されたことがある。どうやら私は、 思考をずっとし続け、止めることができない タイプの人らしい。ぼーっとしている時間がないという。

例えば数学だと、紙とペンを離れた後も、頭の中でずっと考えてしまう。起きているときはずっと頭の片隅にある。

顕著な例:私は、河東教授のセミナーのルールをきちんと守るようにしている1。これを続けていった結果、ある時から、セミナーの前日には一睡もできなくなってしまった。おそらく B4 の冬からである。実解析・偏微分方程式は非常に数式が複雑なので、それらをしっかり覚えると、頭の中で式変形がずっと鳴りやまなくなる。この状態で日中のセミナーに挑むので、終わった後はぐったり、フラフラとなる。

いうまでもないけど、こうなったのは河東教授の流儀のせいではない。普通の人は、河東流でしっかりと数学の力がつき、私のような症状が出たりはしない。私もこの方法でたくさんの知力が付いていると確信している。方法自体はとても良い方法である。その辺誤解なきよう。

さて、私のこの特性には、長所と短所がある。

長所

まず長所であるが、短い時間で人より多くの進捗が上がるようだ。他人と厳密に比べたわけではないけれども、色々な人の話を聞く限り、どうやらそのようだ。起きている間ずっと考えていて、場合によっては寝ることもできないのだから、表面的な勉強時間に対しての処理量は増加する。

短所

短所は、大きく 2 つに分けられる。

  1. 却って短い時間しか、進捗をあげることができなくなる。例えば数学はおおよそ 4 時間/日を超えると、計算ミスや本質的なミスが多発し、後日訂正する必要があることがわかっている( M1 の時に時間を計って複数回試した)。つまり 4 時間を超えて作業をしたところで、却って後ろの時間を奪うことになりかねない。だから数学をやる時間には、毎日上限がかかっている。数学以外の大半のことも、同様である。
  2. 悪いアイデアが突発的に思い浮かぶようになる。「あいつのあの時の行動は絶対に許さない」のような感情が、何もしていないのに浮かぶようになる。これには本当に苦しんでいる。

このうち、 1. は仕方のないことである。数学であれば 4 時間/日なのだから、この時間をいかに進捗上げるのに使えるかの質を高めるしかない。 2. は対策が急務である。そのための方法は、毎日きちんと、思考を止めることである。

アニメを見ることの有用性

スクールカウンセラーの先生の話を繋げると、こういう理系的な思考を止める方法は、 物語を解釈すること らしい。 登場人物の気持ちを想像 して理解する。そういう時間が必要なようだ。

つまり、 私の思考を良い意味で止めているたった一つの方法が、アニメ視聴だった ということになる。アニメ視聴は単なる気晴らしで、言ってしまえば時間の無駄だと思っていたのだが、とんでもなかった。その逆で、アニメ視聴は私の命綱だったのだ。私には、ほぼ毎日、必要なことだった。

アニメはどのメディアよりも好きなのだが、その理由の 1 つは、「描いてあることが全て」だからだ。客観的な状況、声、セリフ、演出を元に、気持ちの変化がはっきりと描かれる。だから登場人物の気持ちが決定できる。このことは理詰めで考えているわけではなく、もはや慣れた道なので、直感的にわかる。ここは、人間同士のコミニケーションと違うところだろう。

そこで最近、アニメを見る際に、登場人物の感情を意識するようにしてみた。すると、自分の見ているアニメ、つまり、現在放送されているほとんどのアニメは本当にいい作品だなと改めて思えるようになっている。そうして、その間は、理詰めの思考が止まっているように感じる。これはきっといいことだから、今後も続けていきたいと思う。

アニメという趣味も、ずっと続けていきたい。私の友達には私より 12 歳上の人もいる。そういう方もアニメを楽しんでいて、私と気があう。そういう方たちと現役のアニメファンをやっている限りは、私も続けられるといいなと思っている。

相手の気持ちを考える

私は事実を伝えるために書き言葉を書いている。東大にいるような頭のいい人には、このほうが効率的なのだが、この姿勢は、反省しなくてはならないと思った。話し言葉での発言はそもそも苦手であるが、せめて書き言葉では「これを読んだ人はどういう気持ちになるか」を、読み返して考えるようにしたいと思った。特に、読む人が限定されるものについては。

私の友達は、「こいつはこういう性格のやつだ」というのをどこかで知っている。だからこれでも縁は切れてこなかったのだろう。だが、親しい人だけでないのだから、事実を伝える場面でも、読んだ人の気持ちを想像して書いていきたいと思う。この文章も少し気をつけてみたが、どうだろうか。

  1. 人名や文献名は間違えたり取り違えたり覚えられないことが多いので、そこだけは例外にして紙を参照している。河東先生すみません。 

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