間違いを公開の場で認め、正すことの有用性

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どうして自分が間違ったことを公開したり、時折強調したりするのだろかと、時々聞かれる。私の答えは「未来に向けて有用だから」である。

例えば AtCoder だと、間違いのソースコードも全員に公開される。例えば仮に私のストーカーがいて、私の提出を全て読まれれば、私がどのような間違いをしたのかははっきりとわかってしまう。だから間違いを隠すことには意味がない。

ではそれをなぜ公開して強調しておくのかというと、まず第一に、今後同じミスをしないようにするためである。もちろん人間のやることであるから、また同じようなミスが生じる。ミス自体は防げないかもしれない。しかし、同じミスをした際に、ミスを訂正した過去の記事を読めば、早い段階でミスを訂正することができる。これが第二の理由である。

数学でもそうである。私の修士論文には実は結論の手前の議論で間違いがあった。結論自体は正しかったのだが、タイプミスではない、本質的なミスがあった。修士論文は査読もあるし、この内容を RIMS の研究集会で発表したことがある。だけれども、自分で間違いに気づくまで、誰も指摘してくれなかった。自分の結果には自分で責任を持つしかない。

しかしそういう時も、誰かが気づくまで放置したりせず、自分から間違いを認めて、訂正することにした。 RIMS の考究録 を書かせていただけることになったので、そこで間違いを認めて訂正した(p.9 の下の方に訂正したと書いた)。提出した修士論文を訂正することはできないが、 公開されている分 については訂正した。

この間違いを認識することにより、後の論文で「あれが使える」と思って、書けたこともある。だから利益が出ているとも言える。

ただし、このことは、私がやっているものが数学や計算機だから許されることだと思う。例えば人命に関わることや、金線に関わること、詳細を詳らかにされることにより被害者が出るようなことは、この限りでもないと思う。

また、いうまでもないが、自ら悪意を持った剽窃や不正をした場合は、これとは全く違う問題であり、許されないことである。

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