阪大の出題ミスについて、個人的に思うこと (5)

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最後に、自分のことを。

先日、今の指導教員から、 私の人生に目標がない ことを叱責された。以前の指導教員にも同じことを言われた。

そのことにはどうしても違和感があった。この違和感をどのように言葉にするべきなのか、ずっと考えていた。元々は阪大の話だったが、最後は自分のことを述べて終わりにしたい。

私の人生には今も目標はない。その代わり 目の前にあることを真剣にやってきた ということになるのだと思う。

数学科を目指して東大に落ちた人は、しっかりした人生の目標があれば、そこで私立大学に行って数学の勉強をしたはずである。しかし私は、浪人して東大をまた目指す決断をしたのだった。多分、目の前の仕事を未完成で終わるのが嫌だったのだと思う。

大学入学後、元々人体に興味がなかった私が医学部に行くことは考えられなかった。大学に行かない時期があったが、秋には数学や物理の計算を生協食堂の 2 階でずっとしてきた。色々あったが、ランダウ=リフシッツの小教程で、数学の抽象性を用いて物理学が美しく定式化されていくのが尊いもののように思った。だから数学科に進学した。そのうちかっこいい積分が好きになって、実解析が偏微分方程式に進もうと思った。

計算機については、教養学部で元々「プログラム構成論」まで取っていた。振り返れば、この頃から向いていることのようだった。院生になってから、計算数学の TA をはじめて、その仕事にも熱中した。システム相談員もやってきて、優秀な人と協力して大きな仕事もできた。数学の研究の世界に横たわる嫌なものにがっかりとし、修士課程で就職しようと思った。そのとき、自分にはハードルが高いと思っていたプログラミングコンテストの授業を記念で受けた。そこで、実は計算機プログラミングが自分にとても向いていることがわかった。そして博士課程進学後、一風変わったルールのコンテストで優勝や入賞もできたし、計算機の分野で論文も共著で書いて小さな賞ももらった。だけれどもそれが「目標」だったわけではない。目の前の仕事をやってきた結果、そういう道筋をたどった。

私は大学に落ちた時点で linear な人生を諦めることにしたのだった。今年は、その原点に立ち返って、数学も、人がやらないマイナーな分野をやろうと思うことにした。

私の専門は広い意味では非線形解析に分類されるが、私自身の人生も nonlinear なのだと思う。親から虐待を受け続け、勉強をさせてくれない中学高校に苦しんだ日々から、そうやって生きていくことを宿命づけられた。

あえて阪大の話を続けて結論を述べるならば、人の人生には、エリートでストレートで目標を決めたものに価値を見出す linear なものもあれば、そうでない nonlinear なものもあるのだから、その幅を無意味に狭めないためにも、大学教員には重みを感じて入試に向き合ってほしい、ということになる。もちろんこのことは、他人の人生に寛容でリベラル(政治用語ではなく、文字通りの意味で)であることが前提であるが。

振り返ると、私には linear な人生はそもそも望めなかったのだ。そう考えると、人生で成し遂げたいことはないことを許せるようになった。だからこそ、目の前の仕事に誠実に取り組む。

私の歩んだ場所が、道になる。

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