阪大の出題ミスについて、個人的に思うこと (4)

更新日時:

人生は「ストレート」なものだけではない

今回の阪大の行動で一番ありえないと思ったのは、外部から 3 回も指摘があってようやく出題ミスを認識したことである。よりにもよって 2 回も、なぜスルーできたのであろうか。もし出題ミスなら、繰り上げ合格者は確実に出て、若い 1 年を不当に過ごしている学生も出ていることは誰でも容易に想像がつく。ことの重大性が、脳みそで、わからないわけがない。

それでもあえてスルーしたというならば、 研究とは関係ない duty であるところの入試業務を軽視する気持ち がその中にあったのは推し量れるところである。

今回の直接の原因ではないかもしれないが、9 年間の大学生活で(特に 5 年間の院生生活で)「入試で合否を判定する」ことがどれくらい重いことなのか、共有できていない教員がいるのは否めないと考えるようになった。

その理由は、結局のところ、 「人生の目標」を設定し、「ストレート」な人生で、「エリート」街道をまっしぐら に生きているからではないかと思う。つまり入試業務が duty であるだけでなく、入試とは人生の目標とは関係ない、軽く突破するべきもの、という認識が当事者にはあるのではないかということだ。

この例をあげる際に一番最初に思い出すのは、ある先生の話である。オープンキャンパスに来ていた受験生に以下のように「指導」していた。

受験というものは、受かってしまえば全て同じ。受かったら意味がなくなるもののために勉強をするのは勿体無い。別のことに興味を見つけて、受験と関係ないことも……

一見正論に見えるが、私は違和感を感じる。受験が終わった人にこういう言葉を投げかけて「大学の学び」に誘導するというのはわかる。しかし相手は夏の受験生である。現行の入試制度では 1 点でも足りないと落ちる。私と同じ予備校では、合格間違いなしと言われながら 0.1 点足りなくて東大に落ちた人もいた。彼は自殺するなどと言っていた(彼はその後東大入学、物理学科に進学してその後成績優秀で順調にやっているようだが)。そういうシビアなものを目の前で見て来ている、感じて来ているので、この先生のこの行動が褒められたものではないと理解している。英語力や国語力も高い方が得をするし、受験勉強も無駄にはならない。人生の 1 年くらい点取りマシーンになる勉強をしても良いのではないだろうか。

この発言も「人生の目標」に関係のないことをいかに最小限の労力で切り抜けるか、そして「ストレート」で「エリート」であればあるほど人生に価値があるという思想が根底にあるように思う。もしも目の前の受験勉強が意味がないというならば、受験以外の勉強に意味があるのは何故なのか。同等の理由づけが必要なのではないだろうか。

次の話をする。私は東大理一に落ちた。その 1 年後東大理三を受けて合格した。このことを知る教員の一部は

点数を稼ぐのが上手いだけ
問題を解くのが上手いだけ

などという。愚かな、真の受験エリートで点数稼ぐのが上手い人だったら、一発で東大理一に受かるのではないか。「できるだけ入試のための勉強せず、できるだけ低い点数で、最小限度の努力で一発で合格する」のが真の受験エリート、点数稼ぐのが上手い人である。ついでに言うと、「最小限の勉強で、良い分野を見つけて(紹介してもらって)、論文を量産できる人」が、現在の数学業界の優秀な若手と言うことになっている。どうして私のような落ちこぼれ、それも、目の前の勉強や研究を真面目にやった人をそういう嫌みたらしく見ることしかできないのか。不当なものだと思っている。

東大理三を受けた理由も、親しい人には話したことがあるけれども、この日記にはまだ書けないと思っている。よく勘違いされるように、自分の実力を誇示したいとか、そんな理由ではない。実のところは、 本当に悲しい理由 である。そのような行動を 19 歳の少年であった私が取ったこと自体、入試の重みを実感する。今は時期ではないが、いつか書きたいと思う。

人の痛みを知らないから、「人生で失敗はした方がいい」などと、しばしば豪語されるのではないか。自分はこれ以上なく linear な人生を歩んでいるというのに、無責任だと思う。私自身は、誰もが成長に必要な苦労するべき事柄と、必要のない苦労は分けて考えている。私自身が TA をやるときはその 2 つを峻別して、前者は本人に必ず経験させ、後者はできるだけ取り除くようにしている。両者を一緒くたに発言をする人はその峻別が付いていない。発言した本人は linear な人生を歩めばいいけれども、誤った指導を受ける被害者が研究室単位で量産されるのは見ていられない。念のため書いておくが、この段落に書いたことは私の研究室の話ではない。

人の痛みをずっと知らないままでいると、入試関連業務の duty は、研究にとって邪魔だから効率よく片付けてやろうという発想になり、いかに熱量を割かないか、となるのではないか。

もちろん研究の時間は大事である。だから、バランス感覚が重要だと思う。

予備校に通って合格を勝ち取った学生は、決して「受験エリート」なのではない。もしかしたら、高校生の頃、周りに思いっきり勉強できる環境がなくて悲しい思いをしてきた人なのかもしれない。予備校生ですら多様な人がいたのだから、当然東大生はもっと多様であった。人生は多様で、複雑で、個人個人が大切にしている要素で他人を一緒くたに斬ることはできないのだろうと思う。だからこそ、寛容さが重要なのではないか。自分の大切にしてることは自分が大切にする。他人は違うものを大切にしていて、その基準で動いている。それが大事だと思っている。

コメントする