阪大の出題ミスについて、個人的に思うこと (3)

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大学教員の意識には、ばらつきがある

その上で指摘しておきたいのは、現役大学教員の「入学試験」への真摯さには相当ばらつきがあるということである。

この項目を始める前に最初に指摘しておきたいのは、忙しさの問題である。このことについて先にコメントする。現在の大学教員は本当に忙しくて、誠に気の毒に思う。私が一番近くで見てきたのは、私の指導教員である。本学に赴任した直後に指導教員を引き受けていただいた。当初、先生は本当に楽しそうに研究をなさっていて、新しいことをやろうという気概に溢れていた。もちろん今もその気持ちは変わらないと思うのだが、 5 年経った現在、研究室メンバーも増え、たくさんの仕事を引き受けることとなり、忙しくなってしまわれた。数学は若い頃が華だとよく言われるが、微分方程式という分野の特性を考えると、先生にはまだまだバリバリ研究していただくのが世のためだと思う。かといって先生に、学生の指導や duty を放棄させて、研究に専念させる環境を整えると、より困ったことが起こる。せめて duty を減らして、学生の指導とご自身の研究をシナジーさせるようにすると良いと思うのだが、年々 duty は増える一方であるようだ。

そして、一般論として言えば、入試関連業務というものは、研究とは全く関係のない duty である。ここにどのような思いで、どのように臨むのかは、残念ながら大学教員 1 人 1 人で異なるのは自然なことであろう。

先に、入試に心を砕いている例をご紹介しておきたい。

私は英語の問題を実際に出題した先生に、偶然お会いし話を聞いたことがある。どの問題が採用になったのかは教えてもらえなかったが、英語の問題らしい。入試業務については他言無用であるが、私が数学の学生だから、口が滑ったのかもしれない。その先生の話は以下のようなものだった。

時間を使って、問題を作って作問委員会に持ち寄るという。そこで自分の作った問題が採用になってしまうと、曰く「地獄のような日々」を送ることになるそうだ。その問題の出題者として、ずっと作問委員会に残らねばならない。つまり duty が増える。そして、来る日も来る日も、なんと入学試験当日も、他の部局の教授たちが問題を解き続け、問題にミスがないか、解答が出るかを真剣に考察するという。そのプレッシャーたるや。採点や監督の方が楽だとはっきりおっしゃっていた。しかし、

それでもね、いい問題、出題したいじゃないですか。

とおっしゃっていた。誰がどの問題を出したかは、永遠にわからない。詠み人知らずの作品である。論文や研究発表と違って、自分に返ってくる利益は文字通り「ない」のである。しかしそれでも、いい問題を出したいとおっしゃり、たくさん苦労を引き受けてくださる。このような人たちの努力によって、東大の学部入試は成り立っているのだなと、東大入学後数年経ってようやくわかったのであった。きっとこの先生の出題した問題を解いて英語の勉強したかもしれない。そう思うと、つかの間の戯言とはいえ、先生へ感謝の言葉を述べられなかった自分を悔いている。

しかし、大学にいるのはこういう先生だけではないのである。

近くにいる先生の悪口になるようでいいたくないのだが、入学試験そのものに明らかに真剣ではない人もいる。具体例は次節で書く。

さてそういう人が、入試業務を担当すればどういうことになるだろうか。例えば試験監督だと、寝たり、内職をしたりする教員も出てくるだろう(というか、私は実際に目撃した)。受験生が問題を解いている場面で、万が一のことがないように、受験生の不利益にならないように細心の注意を払うべきなのに、それに逆行するような行動は、率直に言って怒りを覚える。例えば採点だと 9,000 枚もの答案を 3 回は採点することになるが(実際は少なくとも科類別に別れるからこれより枚数は少ないだろうが)、途中で嫌になるのではないだろうか。作問は比較的問題が起きにくいセクションのように思うが、熱量のない問題が万が一出題されるとどうなるだろうか。今回のようにミスがあるとそれこそ地獄である。そして、今回のような外部からの指摘は、ただの口うるさい雑音に聞こえてしまうのではないだろうか。

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