JIP Specially Selected Paper

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我々の書いた論文が、情報処理学会の Specially Selected Paper に選出された。

周りを観察する限り、賞というものは、指導教員の力でねじ込んで取るものだと思っていた。しかし、この分野は内容をみてくれる人がいるようだ。

今回の件は、すでにリンク先にあるようにアナウンスされている。けれども、誠に残念なことに、数理科学研究科としては、このことをきっと握りつぶして来る。研究科としては、「なかったこと」にしてくるだろう。

以下は、どうしてなかったことにされるのか、理由を書いておく。大学院という場所のくだらない力学に興味のない人は以下はもう読まなくてよろしい。

数理科学研究科に通ってよくわかったこととして、大学院生とは「先生の好きなこと」をやって差し上げる立場だということがある。指導教員は、自分の好きな分野で成果を上げることを期待している。それ以外の分野で成果を上げられると、指導教員としては複雑な気持ちになる。

しかし、この論文の内容は、私の指導教員の好きなこととかけ離れている。実際、以前この論文の内容を指導教員に話したところ、

「すぐに形になるものは、大したものではない」

「君はもう若くない。コンピュータが専門の人は、学部の時から一生懸命やってきているんだから、その差は埋まらない。どうせ今からコンピュータに転向したところで、大したことはできない」

「数学に集中しなさい」

とコメントをいただけた。このような見方をしている方に「この度、あの論文が JIP Specially Selected Paper に選出されたんですよ」と申し上げたところで、より一層握りつぶすのが得策だと思われることだろう。

思うに、数学という分野は、封建主義が非常に強い学問だと思う。平たく言えば、指導教員に指示された内容以外をやってはいけない。私は実は、指導教員を変更してもらったことがある。セミナーで、先生の指示した内容と違うことを予習して発表したため、非常に怒られ、指導教員を変更するように強く言われた。

この方も自分の指導教員から非常に強いご恩と奉公の関係を求められたのだろう。誤解のないように書いておくが、この方は決して、悪い性格の持ち主ではないと思う。私は今でも、この方を尊敬している。しかし、このレベルの方がこうなのだから、この業界の「伝統」は根が深いと思ったのも事実である。今若い先生も、上が消えてなくなったときに、同じことをするようになるだろうと想像すると憂鬱な気分になる。

今の時代は、良いところは変わり、悪いところは変わりない。この 5 年間、私の周りで起きたことを一言で総括するならば、大学院という場所では、学生は結局、先生のいうことをどれだけ聞けていい子ちゃんができるのかということを競っていただけだった。この人たちが若くして教員に招聘され、上が消えれば我が物顔のように自分のされてきたことを下の世代に向けて発散する。それが数学のサーガなのだと思う。

こういうのに嫌気がさして、私の周りで数学が好きで数学の能力に恵まれた人は、ほぼ全員数学の研究を辞めていったのだろう。今なら答えがはっきりわかる。この環境で論文を書き切るのは、辛く、苦しく、やるせない。

私は今、とても苦しい。何かを書いても、言葉では褒めても、どうせ低く評価するのは目に見えているから。教授は、人事とお金の前ではひたすら正直だから。そういうことを思うと、計算する気をなくす。好きなのに。大学に入って、数学をやっていたはずなのに、いつのまにか、否応無く、数学を取り巻く人間関係をやっていたんだなと。そんなものに少なくとも 5 年も費やしてしまったんだなと。

喜ばしいことなのに、素直に喜べず、色々疲れました。

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