問題の認識、強さのありか

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認識というのは不思議なもので、答えがわからない間は大変難しいことだと思えたものでも、一度答えがわかると、これは当たり前だと思うようになる。

間違いがなくなるまで

最近のゲームは、覚えておけないくらいスケールが大きかったり、事前情報を知らないと資源を浪費したり、といったものが増えている。したがって、私もよく、データが要領よく記載された攻略サイトというのものを見る。基本的には役に立っている。

しばしば、攻略サイトの方が間違っていることがある。データが間違っていることもある。しかし、もっと深刻なのは、認識が間違っている場合である。「このパズルはこのように解くしかない」「この敵はこう倒すしかない」「こうやって片付けるのが最善だ」「このキャラクターは弱いから使いようがない」「このキャラクターはこういう風にはめられるから使うべきではない」といったように。

最近の攻略サイトは法人が運営するケースが増えている。 SEO 対策は万全である。たくさんのプレイヤーがサイトを参照する。その時にしばしば、攻略サイトの間違いがプレイヤーの共通認識として広まる。

しかし、間違いはやがて正されるものである。例えば、大会などで優勝するのがわかりやすい。弱いと思われていたキャラクターで勝つ。そして「正しい使い方」が広まり、認識が改められる。この日記の日付を見れば、具体的にどのゲームのどの大会のことを言っているのか、勘がいい人ならわかるだろう。しかし「そのこと」が大事なのではなく、一般にそういうことは起こっているということが言いたいことである。

間違いの訂正の仕方には様々な方法がある。以下に他の例を 2 通り掲げる。

  1. 華麗なプレイ動画が投稿されるケース。そこで使用された武器は、今までは強さが認識されていなかった武器であった。その動画をきっかけに、正しい使い方が知れ渡り、今や対戦はその武器で溢れるようになった。最終的にこの武器は、大幅な弱体化がかけられた。

  2. 例えば、他のキャラクターが登場して、今まで弱い弱い言われていたキャラクターと組み合わせると効果抜群というケース。または、長所が強化され、今までちぐはぐだった固有スキルの「意味」がわかってきたというケース。これらは、厳密には過去に「間違っていた」わけではないのだが、同じようなものである。

インターネットでプレイヤー全部が繋がるような時代である。スタンドアローンの場合でも、動画投稿や RTA で、結局インターネット対戦ゲームみたいなことになっているジャンルもある。すると、ゲームの理解というのは、プレイヤーの総意として行われるものになってくる。

間違いを指摘し、正しいことを述べるだけでは、間違いは直ったことにならない。正しい認識が広まって、間違いがなくなる。

強さの種類

強いプレイヤーにはたくさんの種類がある。一番目立つのは、対戦ゲームで一番うまいプレイヤーである。そういう人はよく体育会系の言葉を述べている。飽きるのは、強くならない自分に飽きるからだと。もちろん私は、彼らのことを純粋に尊敬している。センスに加えて抜群の努力、その継続性、順応性。

しかし、ゲームの強さには他の要素もある。ここで述べたいケースは、上の「認識」のギャップを利用するものである。

先見の明があるプレイヤーであれば、攻略サイトにどう書かれていようが、周りの人がどう言おうが、正しい使い方がわかる。「正しくなる瞬間」まで独占的に、正しい方法を使用して、たくさん勝っていく。または、「正しくなる瞬間」に備えて、使い方を研究しており、人よりも早くアドバンテージを得ることができる。

「たまたま偶然わかっただけだろ」と思われるかもしれない。しかし、私の見る限り、そうではない。なぜなら、そういう人は連続的に、正しい使い方を見出すからだ。だから運の良さではなく、強さの一種なのだ。証拠を見せろと言われると立場上色々困るのだが、そういう強さを持った人は確かにいる。

よくできたゲームほど、そういうことがある。わかりやすい強さを持った選択肢と、わかりづらい強さを持った選択肢がある際に、よくできたゲームだと、前者よりも後者の方がトータルでわずかに強くなるように設計されているように感じる。頭が良い人がトップを務め、粘り強く調整する開発チームだと、そういうことがよくあるように感じる。先述の「大会」のゲームは、そうである。

さて、こういう強さを持ったプレイヤーは、あまり目立たない。その理由の一つは、記録がほとんど残らないからだ。対戦ゲームでトップに立つのとはわけが違う。せいぜい、あの攻略サイトは間違っていて、正解はこうなんだと、まるで狼少年であるかのように吹聴して回るだけである。そして、こいつは別に強くないなと思われている。しかし、勝つときは勝つ。人々の記憶にも残りづらい。この記事の、冒頭の一文を読み返してほしい。

間違いがなくなるのと、間違いが初めからなかったことは、異なることである。だが、しばしば前者は後者になる。私がこの記事を書いた理由はそこにある。

最後に

以上はゲームの場合だけれども、研究としての数学にも当てはまるものが多いように思う。長くなるのでこれは略するが一言だけ。天才だ秀才だ、こいつはすぐに正教員にしようと言われるような数学者は「対戦ゲームで一番うまいプレイヤー」のタイプで、よく目立つし、演出もできる。しかし今の時代、地味に重要な仕事をしている人は、「正しくなる瞬間に備える」タイプの人であると思う。これは、彗星のように登場したきらびやかな論文の関連論文を地味に洗うとそう思う。

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