どなたを指導教員にするか (2)

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前回の続きである。

「研究者」になるのなら (2)

またざっくばらんに書くことにする。

教員の生い立ち

これは余り書きたくはないのだが、教員の「生い立ち」についてもよく見ておくべきだと思う。「生い立ち」とは、指導教員がどのようにして今の立場に招聘されたかという点である。基本的に学生にも同じことを求めると思っているべきかと思う。

例えば、生え抜き、論文の成果を地道に積み上げていった方であれば、准教授になるまでに要した論文数が多いはずである。また「決定的な」研究成果がないはずである。要するに一発屋ではない。

特定の教員に強く推薦されている場合は、奉職した大学の数が少なかったり、ある先生の通った道をそのままなぞったりしているはずである。また、指導している学生に、陰に陽に自分を敬うように求めてくるだろう。そのへんから推察がつくかもしれない。

数学の場合、多くの大学で講座制は廃止されているが、実質的に講座制が残っている分野もある。この場合は、どなたが要となっているのか、歴史的な経緯も調査した方がいい。結局その先生の評価に左右されることとなる。

ご家族の中で研究者がいらっしゃるかどうかも、一応調べた方がいい。もちろん、ご自身の能力が高いがゆえに教員となった方もいらっしゃる。これほど情報公開が進んでいる世の中である。結局実績を調べれば、どういう理由で採用になったかは推測できる。

予算の獲得と対外アピール

私の場合、指導教員から「科研費関係の書類は自分で書くように。自分はチェックもしない」と言われている。実際はこのような考え方の人は少ないように思う。なぜか? 学生が書く研究計画書で競う予算は、教員が介入すれば相当有利になるからである。

現代の院生は、実績がないうちから勝負は始まっている。研究計画書で予算をしっかり取れるかどうかで、研究者としての才能を見分けているというのが現状かと思う。研究者を目指す学生にとってもこの状況はどちらかと言うと嬉しく思っている人も多かろう。やっても出るかどうかわからない成果を挙げることより、数ページの計画書で自己アピールするほうが「確実」であるという理屈である。

研究成果である論文は「なんとでもなる」というべき状況である。予算が取れた者であれば、良いものを書いたことにしないと、推薦した側も困る。逆にそういうものを引き立たせるために、予算が取れていない者は少し低く評価しておかねばならない。幸いにして演出方法はいくらでもある。どちらの側になるべきかは明白であろう。実績で後から逆転することは難しい。地道に本数を積み上げてどこまで評価が伸びるかは正直私もわからない。

無事に予算が取れれば、あとは教員のご指示で使うだけである(予算は指導教員のものであると某教授から教わった)。博士課程修了までに何回も発表をする。カネを使って同じ発表をほぼ同じ聴衆の前で何回か繰り返すことに何の意味があるのだろうと私は思うのだけれども、院生の実績は発表をする回数で決まるので、要するにこの基準はやった分だけ確実に実績になり、オイシイわけである。数学の場合招待講演がほぼ全てであるため、やはり指導教員のプッシュが大事である。

まとめ

結局院生が研究者になるまでにするべきことは、以下の通りにまとめられる。

  1. 権力のある先生を指導教員に迎える
  2. 先生の雑用を引き受け、お気に入りになる
  3. 先生の指示通りに論文を書く or 先生の好きな分野をやる
  4. 先生の関係する雑誌に論文を通してもらう
  5. 研究費を獲得し、先生のご許可を受けて使い、顔を広げる
  6. 以上を材料にして、アカデミアに就職する

以上のルートは、大学院に来た人間はいつかは知るところとなる。研究成果が挙げられる人ほど嫌になってやめていくだろうし、そういう人を複数人見てきた。研究成果を挙げられる人が過ぎ去った中で、「違った基準」で選抜が行われているのだから、その「結果」は見るまでもなかろう。残った人をいくら「優秀な人」に仕立て上げようとしても、長い時間をかければ、市民は気づく。やがて、分野ごと崩壊していくだろう。それを見るのが悲しくないわけがない。

参考までに、私自身は 1. から 5. の全てができていないので 6. はありえない。今後できるのは、論文を書いて教員の関係しない雑誌に通すことだけだろう。

この節の最後に

以上のように書いたけれども、私はがっかりして辞めていく側の人間だから、研究者になるためのルートを過度に参考にされてもためになるまい。この文章を見て思い当たるフシがあるがゆえに怒り出すような人のほうがよほど「研究者」に向いているだろう。もし読者の方が研究者を目指そうというのなら、私でなくそういう方の意見を参考にしてほしい。

次回は、研究者になることとは関係なしに、研究のアドバイザーとしてどなたを指導教員とするべきかについて私見を述べてみたい。

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