院生にとっての「研究」、そして、それからの「防衛」

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もうすぐ卒業式・学位授与式である。私は、大学院入学前に、大学院で研究するということはどのようなことなのか、大学院とはどのような場所であるのかということは、知っておきたかった。数年前の私に宛てるつもりで、自分が理解したことを書いておく。

今の日本で数学の博士を取ることは、よほどのことだから、その人につける薬はない。この文章は博士課程以上の人達のためのものではない。以下を読むくらいならご自身の「研究」のための時間を使うべきだろう。ご健闘お祈り申し上げます。ご武運を。

院生にとっての研究

書きたくないことからまず書く。

院生の目的は、自分の名声を高めること

かつての私は、大学院は、勉強をし、研究をし、研究成果を論文にまとめる場所だと思っていた。 数理でも、これは確かに行われるのだが、意味合いが違っている。 大学院生の目的は、自分の名声を高めることである。 研究成果は、料理や株価でいうところの「材料」であって、「目的」ではない。

予算を獲得する。 予算を使って、研究の時間を減らしてでも自分の研究成果を研究集会で何度も宣伝する。 それが、実績となっていく。論文はそのための材料である。 院生は駆け出しのアイドル、指導教員はプロデューサーである。

研究成果なんて何でもいい。権力ある先生に気に入られれば、味付けして、ゴリ押ししてくれる。そういう場面を見てきた。 反面、周りの人が理解できない研究成果は、「ないもの」として取り扱われる。

実力よりも評判のほうが大事

基本的に院生の今後を決めるのは教授陣である。 この業界に限らないだろうが、上司の評判は、基本的に印象のほうが重要である。

ある助教の方は、かつて院生室で、ご自分の指導教員のことを「始めは名前も覚えてもらえない。しかし一度信用されると、ちょろい」と言っていた。

一方で、「こいつはダメだ」と思われると、その後は何をやってもダメである。 「こいつはダメだ」と思われると、普通だったら良いことであっても、 「ダメな理由」に取り扱われる。

  • レポートで正解を書いても「どうせどこかの本を読んで写したのだろう」と言われる。
  • 試験の点数がよくても「テストで点数を取るのはうまいようだ」と言われる。
  • 院試の点数がよくても「試験の点数は研究とは関係がない」と言われる。

といった具合である。

上記から「防衛」して、普通の意味での研究をするコツ

さて、普通の意味での研究、すなわち、冒頭に書いた「勉強をし、研究をし、研究成果を論文にまとめる」を「目的」として達成するのはなかなか難しい。

しかし私も伊達に 4 年も院生をやっていない。普通の意味での研究をするために役に立ったポイントを述べて終わりにする。

基礎の勉強をたっぷりやる

普通の院生だと、研究のゴールは指導教員が決めるものである。「自分の好きなことを見つけなさい」という教員であっても、「私の過去の研究成果の中から、自分の好きなことを見つけなさい」という意味で言っていることがあるから、よく注意する必要がある。だから、大学院に入る前に、自分のやりたいことを見つけ、指導教員を見つけるという順番になる。

しかし私の場合、そうではなかった。私はやりたいことは特になく、自分の頭を使って大学院で成果を挙げられればいいなと思っていた。だから、とりあえずということで、教科書に載っているような基礎の勉強を、普通の院生より広くやっていた。かなり長い時間をかけて、やっていた。このことは、今では役に立っているように思う。

もちろんそれだけでは研究につながっていかないという問題点はある。しかし、次項目で述べる通り、研究の材料は他の人からも影響を受けることができる。大事なのは、そのときに自分が研究に貢献できるだけの体力を作っておくことではないかと、私は実感している。

若い人と協力する

研究業界に限らないことだが、自分より少し年上の人の目は、曇っていない。それどころか、後進の人間を好き嫌いで選ぶと、自分が直接被害を被る。実力ある人と協力したいと思っている事が多いようだと、少なくとも私は感じている。この点は、好き嫌いで選んでも実害がない人たちと異なる。

さて、若い先生から、時々、問題を解いて論文を書きましょうと言われることがあるだろう。この時、何を求めているのかを見極めるのが大事だと思う。例えば、論文を書く右腕を求めているのであれば、私だったらご協力はしないと思う。しかし、一緒に解決したい問題があるということであれば、自分がお役に立てる内容なら喜んで思考したいと思う。

広く勉強しているから、少々専門を離れていても、ご協力できる事がある。また、やりたいことが特に決まっているわけではないから、成果は何でも成果だと思っている。

できるだけ研究成果を公開し、リストにしてまとめておく

「公開」と「リストにして」が、両方共ポイントである。

どれほど教授に気に入られようと、どれほど顔が広かろうと、世界単位・業界単位でみれば所詮「身内受け」である。閉鎖的な評価は「公開」に弱い。客観的に比べられれば、劣っているほうを推すことはやがて限界がくるだろう。

また、誰かが自分に興味を持ってくれた時に、業績が一覧になっていると、正当に評価してもらいやすい。reserchmap研究成果報告書をまじめに書いているのはそのためである。私は自分で宣伝して歩くことはしていないが、「来るもの」は拒まない。

追伸:私の向こう 1 年

私は今まで後先を考えてしまっていた。

論文を書くと、その論文をまず理解してもらいましょう、ということになる。 偉い人に直してもらいましょう、ということになる。 それを材料に研究集会で発表しましょう、ということになる。 予算を取るために色んな人にいい顔しましょう、ということになる。 また、就職活動していたから、民間企業の新卒採用の実体もわかっていた。

そういうことを思うと、論文を書く気をなくしていた。 それだけは、好きなことであるはずなのに。 正確に言うと、論文を書くと、付随していろいろな作業を 「将来のために必要だから」とやって、嫌になっていた。

また、研究から逃れ、ゲームをしたりアニメを見ていても、 自分は逃げていると思うと心から楽しめてはいなかった。 ゆえに、全ての時間が私にとっては苦痛だった。

向こう 1 年、どうするべきか決心がついた。 この 1 年は、嫌なことは嫌だから絶対にやらない。やりたいことだけをやる。 それらの行動の結果の「責任」は 1 年後に取る。

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